流転の國 お願い
突然のフラッシュバック。
マヤリィ様、戻ってきて下さい…!
「この髪を短く切って下さいませんか」
夜、マヤリィはジェイに向かってそう言った。
なぜ、丁寧語なのかは分からない。
そもそも、彼女の髪はベリーショート。これ以上、どう短くして欲しいと言うのだろうか。
「お願い。私、もう耐えられないの…」
すぐにいつもの口調に戻るが、マヤリィは哀しそうな表情で懇願する。
「…姫。どんな風にお切りしましょうか?」
ジェイは困惑しつつも話を合わせる。
決して彼女の言葉を否定することはない。
「私の髪をバリカンで…。そう、バリカンで刈り上げて欲しいんです。きっと気持ちが良いのでしょうね」
彼女の言葉遣いは定まらない。
「いくら綺麗だと言われても…私にとっては鬱陶しくて邪魔なだけの長い髪。もう我慢出来ない。私は…どれだけ抑圧されてきたことか」
フラッシュバック…!
その言葉が脳裏をよぎる。ジェイは戦慄する。
「ああ、いつも想像していたわ。想像するしか出来なかった。髪を短く切った私を。ショートヘアにしたら、どんなにか身軽になることでしょう。…ううん、それじゃ物足りない。もっと短くしたい。似合わなくたっていい。ベリーショートにしてしまおう。…些細なことなのに、実現出来ない願いね。馬鹿な私」
独り言のように、マヤリィは話し続ける。
「でも、諦められないの。いっそのこと、この髪をバリカンで刈り上げたい。男の子みたいに、後ろ髪を短く刈り上げるの。ふふ、きっと気持ちが良いのでしょうね、バリカンで髪を刈り上げるのって。どんな感触なのかしら。…こんなにも髪を切りたいのに、どうして私は出来ないの?どうして逆らえないの?」
マヤリィの目から涙があふれる。
「…長い髪を大切に扱う代わりに、私は手首を切る。髪の毛の代わりに、身体はボロボロになる。…いいのよ、それで。私にはそれしか出来ないのだから。…今夜も、傷が増えるわね…」
そう言いつつも身体は全く動いていない。
《こちらジェイ。ルーリ、至急、僕の部屋まで転移してきてくれ。…フラッシュバックだ》
《こちらルーリ。了解した》
マヤリィが相槌を求めてないのを確認したジェイはルーリに念話を送った。
ルーリは返事をするとともに『転移』し、ジェイに合図を送ると『透明化』した。
「この傷痕は私が死ななかった証。…でも、それも今日限りよ。私は明日、死ぬ。こんなことなら髪を切ってやればよかったと、後悔するがいいわ」
マヤリィはそう言って哀しく微笑んだかと思うと、急に表情を変える。
「…そうよ、どうせ死ぬのなら、髪を切ってから死にましょう。おかしくたって似合わなくたって構わないわ。どうせ死ぬんだもの。可愛い洋服もメイク道具も持ってないけど、そんなのどうでもいい。最期に髪を短く切ろう。それくらい、許されるわよね?…ううん、許されなくたって切るわ。どうせ死ぬんだもの」
彼女は泣きながら笑っている。その様子は、己の人生を嘲笑っているかのようだ。
《っ…マヤリィ様…!》
彼女は今、本気で自殺しようとした、あの夏の日に戻っている。
《どうしたらいい…?どうしたら姫を救い出せる…?》
二人とも、自分の心の中で考えている言葉が念話になっている。
その時。
着信音が鳴る。ジェイの部屋のパソコンだ。
《こんな時にメール…!?》
ジェイは頭を抱えたくなったが、
「…あら、メールが来たみたいよ?ジェイ」
マヤリィが何事もなかったかのように言う。
「えっ……」
「今、確かに聞こえたのだけれど…」
「か、確認します…!」
そのメールの差出人はシャドーレだった。
【ジェイ様、ごきげんよう。シャドーレにございますわ。…畏れながら、今宵はマヤリィ様のお心の具合がよろしくないように思われます。あくまでも私の『気力探知』によるものですので、何事もなければご容赦下さいませ。…それでは、失礼致します。 シャドーレ】
《シャドーレ…!》
《なんだ?なんて書いてあったんだ?》
「何?何が書いてあるの?」
ルーリとマヤリィが同時に聞く。
しかし、次の瞬間、再び着信音。
【ジェイ様、先程はネクロ様に送ろうとしていたメールを誤ってジェイ様に送ってしまいました。大変お手数おかけしますが、削除して下さいませ。申し訳ございませんでした。 シャドーレ】
それを開くと同時に最初のメールが消え去った。
恐らく、マヤリィの目に触れないように、2件目のメールに魔力が込められていたのだろう。
「メールはシャドーレからでした。…でも、間違いだったようです。ネクロに送ろうとしたのを僕に送っちゃったみたいで」
ジェイはそう言って姫に報告する。
「…そう。桜色の都にはパソコンなんてなかったみたいだし、シャドーレも色々大変ね」
姫はしっかり2件目のメールを見てから、他人事のように呟く。
その瞬間を逃さず、
《こちらルーリにございます。マヤリィ様、今どちらにいらっしゃいますか?急にお顔を拝見したくなりました。畏れながら、お部屋の前まで参上致してもよろしいでしょうか?》
ルーリはマヤリィに念話を送る。それはジェイにも聞こえるようにしてある。
「…ルーリから念話があったわ。私に会いたいと言うのだけれど、貴方の部屋に転移させても良いかしら?」
「はい。直接、部屋に入ってもらって構いませんよ」
ジェイの言葉を聞いて、マヤリィは頷く。
《こちらマヤリィ。今、ジェイの部屋にいるわ。直接、転移してきて大丈夫よ》
《有り難き幸せにございます、マヤリィ様》
そう言うと、ルーリは『透明化』を解く。
ネクロに見習わせたいほどのタイミングの良さ。そして見事な言い訳。
「珍しいわね、ルーリ。どうしたの?何かあったの?」
すっかりいつものマヤリィである。
「マヤリィ様ぁっ…!!」
ルーリはいきなりマヤリィに抱きつく。
「…もしかして、また悪夢でも見たんでしょう?大丈夫よ、私はここにいるわ」
『闇堕ち編』が夢落ちに終わり、ルーリが現実に戻ってきて以来、マヤリィは彼女が悪夢ばかり見る夢魔だと思っていた(当然マヤリィは『闇堕ち編』のことを知る由もなく、今ではルーリ自身も忘れている)。
「私を置いて、どこにも行かないで下さいませ…!」
「大丈夫よ、ルーリ。何があっても貴女から離れるなんてことは有り得ない。約束したでしょう?」
「はい…!マヤリィ様…!」
(ルーリはどこで演技力を身に付けたんだろう…)
ジェイはルーリを見ながら感心していた。
実際のところ、ルーリは演技をしていたわけではなく、先程のマヤリィの独り言を聞いて本当に悲しくなってこういうことになっているのだが。
(それにしても、シャドーレのメールは不思議だったな…。『気力探知』とやらで姫の不調を見抜いたって言うのか…?)
ある意味、ネクロの『魔力探知』の上位互換とも言える魔術である。
ネクロさん、今夜は比較されてばっかり。
(それに、あの2件目のメール。まるで姫が僕の部屋にいることを知っていたみたいだったな…)
配下とはいえ、マヤリィ様が他人のパソコンをいきなり見るわけがない、という予想を前提に書いた最初のメール。シャドーレの予想通り、マヤリィが目にしたのは、ジェイが内容を報告した後の2件目のメールだけだった。
ルーリがマヤリィに抱きついている間、ジェイはシャドーレに念話を送った。
《こちらジェイ。シャドーレ、君のメールのお陰で助かった。本当にありがとう》
《こちらシャドーレですわ。ジェイ様、お役に立てたようで何よりです。…マヤリィ様はやはり貴方様のお部屋にいらっしゃるのですね?》
《ああ。先程までフラッシュバックを起こされていたが、君のメールの着信音が彼女を流転の國に連れ戻したんだ。…君がマヤリィ様を救ったんだよ》
《そ、そうなのですか…!?それは何よりですわ。フラッシュバックはとてもおつらいことだと伺っております。そこからマヤリィ様をお救い申し上げることが出来たなんて、畏れ多くもシャドーレは幸せにございます…!》
《あ、そうだ。『気力探知』に関しては、後で詳しく教えてくれ。…それじゃ、ミノリによろしくね》
《はいっ!失礼致します、ジェイ様》
シャドーレはマヤリィの役に立てたことが嬉しかった。
しかし…。
「シャドーレ、今の念話、誰と?」
「ジェイ様ですわ。何やらマヤリィ様がお苦しみだったようなので、その報告を…」
「それにしては嬉しそうだったけど?」
「今はお元気になられたようですの」
「…そう。それは良かったわ」
最近、シャドーレとミノリの夫婦仲(?)はあまりよろしくない。
というのも、シャドーレが黒魔術の実験や研究に没頭するあまり、部屋に戻ってこないことが多いからだ。
それに、ミノリの方も書庫での仕事が忙しい。
この二人、大丈夫か??
一方、ジェイの部屋では、
「それにしても、サキュバスも夢を見るのね……」
マヤリィが不思議そうに首を傾げる。
「はっ。しかも悪夢とは、情けない限りにございます」
ルーリはそう言って頭を下げる。
「ていうか、サキュバスも寝るんだね」
「別に寝なくても大丈夫なんだが。どうやら皆は夜は寝てるみたいだし」
「…そりゃあ、マヤリィ様も僕も人間だし。最低限の睡眠は必要だよ」
「特に体力を消耗したとかじゃなくても寝るんだな」
今度はルーリが不思議そうな顔をする。
そんなルーリに向かって、
「私の睡眠時間が長いのは、この薬を飲んでいるからよ」
マヤリィは錠剤の束を見せる。
「それは…医学書に記載されているお薬にございますか…!?」
かつて桜色の都のツキヨに処方された薬を飲まなかったマヤリィ。その時の薬とは違うようだが…。
「ええ。もしかしたら私が元の世界で服用していた睡眠薬が載っているかもしれないと思って、エアネ離宮のツキヨ殿を通して、桜色の都の書庫から医学書を貸してもらったの。それで、私がこの世界に顕現させた」
マヤリィ様、いつの間に…。
「その医学書はもう桜色の都に返したんですか?」
「ええ。『写本』魔術を使って全部コピーした後で速やかに返却したわ」
「それって…法に触れませんかね…」
「いいのよ。私しか読まないから」
マヤリィはそう言うと、原本にそっくりの『写本』医学書をアイテムボックスから出して見せた。
「さすがはマヤリィ様。医学書からお薬を顕現させることも出来るのですね…!」
ルーリは物珍しそうに医学書を見る。
つられてジェイも覗き込む。
「読んでもいいわよ?」
そう言われて、適当にページをめくる。
「こ、この言語は…?」
ルーリは見知らぬ文字列に困惑する。
「なんと読むのでしょうか…?」
「いや、これは日本語だろう。僕達がいつも使っている言語……じゃないの!?」
「ニホンゴ?ってなんだ…?」
ここは流転の國。皆は当然のように同じ言語を使い、書庫の本もパソコンの文字も共通認識している。しかし、この医学書は違った。
「…これは、そもそも私とジェイが元いた世界から飛ばされた物らしいの。ツキヨ殿は突然顕現した、と言っていたわ。彼はその後、この本を時間をかけて読み解き、ここに記載されている薬を顕現出来るようになったの」
「雪色の白魔術師と言われるだけあって、ツキヨ様は凄い人なんですね」
ジェイは感心する。
その横で、ルーリはまだ混乱している。
「この世界の共通語を姫や僕も含めて皆が認識して使っているというだけで、今話しているこの言葉は日本語ではないんですね」
「そういうことになるわね」
マヤリィはそう言って頷く。
「この世界はまだまだ謎に包まれているわ。…今まであまり追究してこなかったから、尚更ね」
「確かに、そうですね…」
その後、マヤリィは疲れてしまったのか、二人を連れて第3会議室に『転移』すると、
「私はもう寝るわ。…二人とも、大好きよ」
そう言って寝落ちした。
「…ルーリ、僕らも寝ようか」
「そうだな。体力の回復タイムだ」
「君の場合は必要なさそうだけど…」
前に来た時と同じように、二人はマヤリィを真ん中にしてベッドに横たわる。
そして、しばらくの間、黙っていたが、
「…ジェイ、ありがとな」
ルーリは一言そう呟くと、すぐにまた黙り込んだ。
マヤリィの危機に呼んでくれたことに対するお礼の言葉だったのだろう。
ジェイもまた小さな声で呟く。
「…これからも、頼りにしてるよ。ルーリ」
ジェイの念話。
シャドーレの気力探知。
ルーリの機転。
全ては大切なマヤリィ様の御為に。




