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従妹の話

腹黒というか、クズというか……そんなキャラが、大量に爆誕しているきらいがある、今日この頃であります。

終わりが近いからと、ぐずぐずになっているのでしょうか?

こんなお話でもよろしければ、最後までお付き合いください。

 ついつい、暗い気持ちになる見舞客の男から、古谷初代当主の手記に目を落としている女に目を移し、水月は切り出した。

「オレとしては、どんな馴れ初めよりも、お前とカ・コウヒの馴れ初めが気になるんだが? 一体、どういう気まぐれだ? お前の好みは、ランだっただろう?」

「それよりも、ミズ兄さま。これはもしかして、古谷の御坊と律ちゃんの、馴れ初めのお話もあるの?」

 逆に含みのある問いかけをされ、水月は察した。

「……お前、いい加減に諦めたらどうだ? もう、手遅れだ」

「分かってるわよっ。でも、悔しいじゃないっ。少しくらい悩んでもらわないとっ」

 悔しそうに叫ぶ優に溜息を吐き、患者は諭すようにゆっくりと説明した。

「この最終巻にあるのは、古谷の御坊の、片恋の話だ。旅先であった白い狐に思慕し、ついつい勝負を挑んだら、ある案件を解決できたら考えると返され、その長旅の前にこの手記を封印するとあった。律の不義の話じゃない」

 それを聞いた巧が、首を傾げた。

「封印って、術をかけてですか?」

「ああ。持ち歩くのは可能だったが、中身を読むことは不可能な状態だったらしい。天狗の娘の、姉の方が封印を解いたそうだ。で、これは、賄賂で貰った」

「? 誰からですか?」

「蓮だ」

「は?」

 余程意外な名だったのか、巧の目が真ん丸になった。

 だが、水月からすると、別に意外な話でもない。

 自分が、律の戸籍に入っていることを踏まえ、この手記の話に興味を持つだろうと踏んでの、賄賂だ。

 そう教えてやると、巧は疑わしい目を投げた。

「ですから、何故あなたに賄賂を渡す必要が? 何か、頼み事でも?」

 あの蓮が、賄賂を渡して頼み事する姿は、想像がつかない。

 仕事に関する話ならば、賄賂ではなく報酬を用意するはずだ。

「仕事ならば、な」

 元刑事の言い分に頷いた水月だが、それ以上は教える気はない。

 それよりも、優の気まぐれの経緯を、いい加減に知っておきたいものだと思っていた。

「……大体の予想は、ついてるんでしょ?」

「まあ、お前の性格は、変わっていないようだからな」

「だったら、聞かなくても分かるでしょ?」

 これは、ただの勢いだったと、優は頬を膨らませた。


 その当時までで、ランは遊び惚けるダメ人間と化していた。

 オキに体を譲る前に、様々な経験をさせ、再会するまでで律が、どんな趣向に走っていても、受け入れられる男になっておこうなどという、意味不明な言い訳で、女遊びも男遊びも盛んだった。

「ならば、近親交配も、一度は試してみたらって、何度も仄めかしてみたんだけど、それだけは嫌だって」

「……」

 そんなやり取りが日常化したある日、ロンがカ・コウヒを拾ってきたのだ。

「あの人、酷く落ち込んでて……そんな人に、きつく当たるのも何でしょ? だから、適度に優しく慰めていたら、懐いちゃって」

 ジュリと共に、でかい愛玩動物を養っている気分で可愛がっていたのだが、それが面白くなかったジュラが、ランと共に苦言を呈してきたのだ。

「国を出たら、打ち捨てる予定なんだから、情を移すなとか何とか、そんな苦言だったわ」

「ランも、一緒だったのか?」

「一緒だったけど、反論するジュリと私を、面白そうに見てただけだったわ。それどころか、喧嘩別れする兄妹をしり目に、こっそりと言って来たのよ」

 遊ぶくらいなら、いいんじゃないのか?

「……」

「まあ、確かに、ヒスイ伯父様の子ならば、ラン程血は濃くないから、もっともだとは思ったわ。でも、実の可愛い妹を、他の男にたきつけるなんて、酷くない?」

 当時を思い出した優は、ぷんぷんと怒りながら言うが……。

「その焚き付けに乗ったからこそ、娘が出来たわけだよな?」

「……」

「しかも、一緒に群れを離れたと聞いたぞ」

「……流石に、船に揺られながら、無事に生む自信がなかったのよ」

 つまり、カスミ率いる群れが意外に長い間、日本を離れなかったという事だ。

 というより、と水月は思う。

 あの旦那、これを狙っていたのでは?

「……本当は、一人で群れを離れて、産み落としてから子供と一緒に、再びお父様たちが来るのを待とうと思っていたの。なのに、目立つあの人もついてきちゃって。その上、その目立つ姿を見とがめた何処かの兵に命を狙われて……産気づいた時には、もう意識朦朧だったの。故郷が鬼門って、本当だったんだって、実感したわ」

「鬼門になった原因も、明確だがな」

 意識朦朧になり、息も止めてしまった優を、コウヒは死んだと思い、娘を他人に託して姿を消した。

 娘を託された者が、ねんごろに葬ってくれたおかげで、優は自力で地面から這い上がれなくなってしまった。

 そして鏡月と律が思い当たり、日本中を探し回り、土を掘り起こして助け出した時には、心がすっかりささくれ立っていたのだった。

 あの赤毛の顔だけ男っっ、今度会ったら、根元からもぎ落とすっっ、種なしにしてやるっっ。

 そんな、優にしては汚い言葉を叫んだと言う。

「相当強い怨嗟だったと、二人が笑っていたが……」

「ええ。あれも反省しているわ。言霊って、本当にあるのね。こんなことになるとは知らなかったとはいえ、何の知識もなく呪いをまき散らしてしまったわ」

 優は神妙に言い、巧を見た。

「御免なさいね。まさか、あの人を飛び越えた次の代が、子を残せない呪いをかけてしまったなんて、思わなかったの」

「……いや、偶然でしょう。もしかしたら、他の兄弟もいて、そいつらは子沢山かもしれないでしょ」

「でも、ユズも子を作れなかったって。偶然と言い切るわけには、行かないわ」

 先程と一転して、謝罪モードになった従妹を眺めながら、水月は溜息を吐いた。

「……集まらないものだな」

 入院している間にするべき課題は、難航している。


 課題に難航しすぎて、真面目に考えた。

「自分で作るか」

「やめてください」

 入院患者の見舞客の女を見繕って、何人かと楽しんでみるかと考え、つい呟いた水月の言葉に、丁度来ていたエンが鋭く反応した。

「多少無茶なことをするのは大目に見ますが、病院で修羅場を繰り広げるのだけは、やめてくださいよ。止める方法が分かりません」

「お前、何年も生きている癖に、その位簡単にできないでどうする?」

 懇願に近い言い分に、水月は娘婿候補を睨む。

「大体、お前たち、どうしてそんなに清いまま、今日まで生きてこれたんだ? 野田医師の話を聞いて驚いたぞ。ジュリの奴も、男の影が全くなかったそうじゃないか」

「全くなかったわけじゃないですよ、ジュリの場合は。単に、近寄りがたかったんですよ。傍にあんな大男が控えていたら、誰も近づきませんよ」

 その野田医師こと、ゼツとの睦事も、大概色気がなかった。

「……何でジュリの方が、夜這いを敢行しているんだ? あの狼の息子も、甘ったれか?」

「もって、何ですか、も、とはっ。まさか、まだオレは、甘ったれなんですかっ?」

 思わず、悲壮な返事を返してしまってから、慌てて話題を戻す。

 言われ慣れている形容なだけに、あえて返事をもらう話題ではない。

「ゼツは、父親から受け継いだ本能が、悩みの種だっただけで、本当ならばいくらでも言い寄ることは出来たはずなんです」

 声を抑えて言うエンを、水月は目を細めて見やる。

「ジュリは、その悩みを知っていて、寿命が近いあの時期に、その悩みの種だけでも、なくしてやりたいと、そう考えたんだと思います」

 狼の父親を持つとはいえ、その本能と体質が遺伝するとは限らない。

 だが、容姿があまりに父親に似てしまった上、本能に従って一度は父を手にかけた過去があるゼツは、子供に本能を芽生えさせるために、好いた女を苦しめることを考えるようになるのではと、怯えていた。

 リハビリ初日、夜勤中だと言う野田医師が、エンからの差し入れを持ってやって来た時、水月は長年の疑問をぶつけたのだが、その時に経緯と、野田本人の当時の心境を聞かされた。

 ジュリに思いを寄せていた大男は、寿命が近い彼女に思いを告げぬまま、看取る覚悟でいた。

 だが戦場に近づいたある日、突然着飾った女の襲撃を受けたのだそうだ。

 その話を裏付ける様に、エンが続けた。

「戦場から戻った時、ジュリのお腹の中には、子供がいました。母子ともに息絶えましたが」

「……」

「もし、一粒種の父親の血が受け継がれているのならば、もうゼツには子孫を残すすべはありません。が、遠い未来で、誰かを好きになって関係を深め、子ができた場合は、全ての不安が杞憂だったという事になる。どちらにしても、誰かへの情を抑えて生きる必要はないと、ジュリはゼツに伝えたかったんだと思います」

 水月はつい、溜息を吐いた。

 重い事情の末の話しか、集まってこない気がする。

 野田医師の件と優の件は、気になっていたから重そうな事情が出てくるのを承知で尋ねたのだが、標準の家族であるはずの連中まで、シャレにならない事情持ちというのは、どういう事だろうか。

「これでは、話のネタとしては使えんだろう。矢張り、オレが作るしか……」

「やめてください、本当に。雅さんに合わせる顔が、無くなります」

 真剣に止める娘婿候補の声を聞き流しながら、一つだけ、心を穏やかにした話を思い出していた。

 それは、無表情にジュリとの事情を話した男に、一つの疑問を投げた時の話だ。

 初対面の時から、気になっていた。

 例え情を交わした相手でも、年月とともに薄れるはずの残り香が、野田にはずっと染みついている。

 いや、染みついていると言うより、新たに漂っているようにも感じていた。

 何故なのかという疑問に、野田は少しだけ固い顔を緩ませた。

 そして、白衣の襟元を引っ張る。

 そこから、覚えのある気配が顔を出した。

 ジュリが幼小の頃から引き連れ可愛がっていた、小鬼とも精霊とも呼ばれる、小さな人型の生き物。

 その一匹が、丸い目をこちらに向けて、まじまじと見つめていた。

「他の子は、ジュリと共に逝くことを選んだのですが、この子だけは、共に残ってくれました」

 ジュリが、野田医師を男として意識したのが、いつなのかは分からない。

 だが、一人残してしまう男を心配して、小鬼に託そうと思うほどには、情があったのだろう。

 水月が死んだ頃は、まだまだ小娘だったジュリが、立派な女に成長していただろうことが想像でき、心も体も軽くなり、その後のリハビリにはかなり力が入ってしまったのだった。


 国王陛下謁見の場。

 第一王子(男1)とその婚約者(女1)広間で陛下(男2)に挨拶。

 男2の隣には、王妃殿下(女2)、疑わしい目で男1と見下ろしながらも、無言。


男2「本日呼んだのは他でもない、先日のお主の主張についてだ。時間を空けた後の考えも、変わらぬか?」

男1「勿論でございます、陛下。聖女の護衛は、私とその側近にお任せください。女である婚約者たちでは、守り切れるものも守り切れないでしょう」

男2「だが、聖女はうら若き乙女だ。異性であるお主たちの、よからぬ行為に侵されてしまっては、国の存続にかかわるのだ。それを踏まえての話であろうな?」

男1「勿論でございます。私は、婚約者一筋です。ですから、そのような疑いをかけられることすら、不本意でございます」


 女2,溜息。

 男2、厳かに。


男2「そうか。それでは致し方がない。イチよ。そなたは廃嫡とする」

男1「はっ?」


 言葉を無くす男1に男2


男2「儂は、英雄だ。その息子であるお主が、女を好まぬと言うのは、王位継承者としては、いささか不安があるのだ」

男1「こ、好まぬとは申しておりませんっ。聖女に懸想することは、有り得ぬと申しておるのですっ」

男2「それが、おかしいと申しておるのだっっ」


 男1、怯んで黙り込む。

 そんな男1に、女2


女2「陛下がお主ほどの年の頃にも、聖女がおられました。ですが陛下は、ご自分の事を鑑みて、近づかぬ選択をされたのです。陛下ほどの英雄は、色を好みます。人望のお話も色にあたるのですから、それ自体には含むことはありません。ですが、聖女様に気に入られるのは当然のことながら、万が一、何かの間違いを起こしてしまっては、国が危ぶまれるのです。国の存続のため、聖女様を守ると言う栄誉を、わたくしに譲ってくださいました」


 男2、無言で頷く。

 女2、その横で扇子で口元を隠しつつ、


女2「イチ。侍従長の話では、あなたももう朝から健康の兆しがうかがえると、報告があったのですが、誠ですか?」

男1「は? あ、あの……」

女2「年頃になったのですから、当然の事です。気になる者を夢に見、朝方興奮して反応する、そう報告を聞いて、わたくしたちがどれほど喜んだかっ。それなのにっ」


 あわあわと婚約者の方を見る男1に、女2。


女2「一体、何を思って興奮していたのですかっ。イチ嬢でない、何処の令息を思い浮かべたのですかっ。それとも、あなたが育てている、銀杏の木ですかっ?」

男1「お、お待ちくださいっ? 何故、私の思い人が、婚約者じゃないなどと、とんでもない誤解がっ?」

女2「聖女に興味がないという事は、男として異性に興味を持てないと同意語ですっ」

男1「そ、そんな、横暴なっっ」


 慌てる男1に、男2。


男2「聖女の護衛としては、女に興味がない者が適任ではあろう。だが……」

男1「……陛下っ」

男2「子を残せるか分からぬものを、王族として置いておくことは出来ぬ」

女2「幸い、後継者はあなただけではありません。ですからあなたは、好きに生きなさい。ああ、それとも……」


青ざめる男1に、女2微笑みながら


女2「聖女の守護を命令しましょうか? その場合は、断種と宦官の処方を施すことになりますが。そうすれば、例え聖女に惑わされても、内側まで汚す心配は、ないでしょう?」


 何だ、この寸劇は?

 病室の扉を開いた途端、目に飛び込んだ光景を一部始終見終わってから、蓮は心の中で呟いた。

 森口水月は、明日退院する。

 そう聞いたので、今日は見舞いがてらに、頼んだことを教えてもらう場所を見つけた旨を、伝えにやって来た。

 バイトの合間のこの時間は、高校生の下校の時間とも重なっていたようで、そこには雅とエンもいた。

 呆れ顔の鏡月が立つ隣で、大笑いしている凌の姿もあり、病室の中は満杯だ。

 その上、もう二人の客もいて、当の患者の水月はベットの上に座り、手にした本を読み上げていた。

 仕事で伸ばした腰までの髪を、丹念に縦ロールに巻いた髪形だ。

「いくら発展していない世界とは言え、異性相手にべったりとくっついて護衛だなんて。礼を欠いてるんだから、まず初めから問題になるはずだよねって話よ」

「そこから、巷の物語は、矛盾だよねえ。まさかの、ヒロイン逆恨みルート爆誕」

「ヒロインの護衛に選ばれたら、去勢必須」

 藤原萌葱浅黄の兄弟が、仲良く顔を見合わせて笑う。

 女2を熱演した水月は、男1を演じていたエンを見上げ、優しく言った。

「誰にでも優しいと、こういう事態になることもあり得るな」

 言葉を返せない娘婿候補を、少し意地悪な気持ちで見やりながら、そのままドアを閉めて立ち去ろうとしている蓮に、声をかけた。

「折角来たんだから、入れよ。時間がないんだろう?」

「……邪魔そうなんで、出直します」

「いや、気にするなっ。オレたちは、もう帰るからっ」

 水月に代わりにそう引き留めたのは、まだ笑いが取れずに酸欠状態になっている凌だ。

「……挨拶に来ただけだから、もう帰る」

 呆れたようにそんな師匠を見ていた鏡月が頷き、患者を振り返る。

「じゃあ、お土産、期待しててくれ」

「ああ。気を付けてな」

 水月が手を振り、それに手を振り返す従弟と、その師匠が軽く手を上げて病室を後にするのを見送り、蓮はまず尋ねた。

「その髪形は?」

「明日、退院したら断髪する予定でな、ならば今の内に、普段はやらない髪形をしてみようという事になったんだ」

 どうせならば、悪役らしい髪形をという水月の希望を、雅が叶えたのだと言う。

「……悪役違いじゃあ?」

「ああ。だから、悪役王妃をやってみたんだ」

 見舞いに初めてやって来た凌には、大うけだった。

 その上、寸劇を始めたものだから、久しぶりに酸欠を起こすほどに大笑いしていたようだ。

 その凌と弟子である鏡月は、これから二人で旅行に出かけると言っていた。

 それも世界一周する勢いでの旅行で、凌は長期の休みを取ったと、蓮も聞いている。

「久しぶりの読み合わせ、楽しいのう」

 男2を演じた半透明の男が、楽しげにつぶやくのを一瞥し、蓮は再び尋ねた。

「……この方とは、お知り合いで?」

「ああ。あんたの主だったそうだな。オレは、知り合いだっただけだ。今回の仕事で、協力してもらったんだ」

「成程。ご迷惑は、掛けませんでしたか?」

 疑いのまなざしを向ける若者に、水月は首を傾げつつ答えた。

「一緒に遊びまわるだけだったからな。迷惑は、さほどかけられていない」

「良かったです」

 短く返す蓮の前で、台詞はなかったものの、女1としてたたずんでいた雅が、先日見た父親の相手役の姿を思い浮かべた。

「まあ、良くもなく悪くもなく、と言った容姿でしたね。安藤社長の弟さんの役ということでしたけど、夫婦に見えたんでしょうか?」

「男女のつり合いより、親子連れに見えるかどうかが、大事だったんだ」

 成程と、ただ頷くだけの雅の隣にいるエンは、この話題を避ける話題を探すように、天井を仰いでいた。

「……」

 その様子に、少しあり得ない予想を覚え、蓮は尋ねた。

「子供の歌手は、もういないんですか?」

 穏やかな笑顔は変わらないエンがこちらを一瞥したが、目の色が動揺に染まっているのを見て取り、矢張りと思う。

「ああ。あの子は、故郷に戻った」

 優しく笑う患者は、その目の中に別な笑いも宿している。

 納得の頷きをしながら、蓮は叔父に当たる男に同情した。

 暫く会わぬ間に、いじられる材料を増やしているようだ。

 それに反発することは出来ない状態で、エンは心底困っているのも見て取れるが、蓮にもどうにもできない。

 これから、お世話になる人にたてつくのは、得策ではないのだ。

「例の勉強場所、確保しました」

「ほう。意外に早かったな」

「そりゃあ、来年には、学生になっておかないと、色々と狂いますんで」

 殆ど成長が止まり、あとはゆっくりと年を重ねるだけだと言うのに、気が短い事だ。

 呆れつつも水月は、何故か大仰な資料を取り出した蓮を見上げた。

「?」

「山の権利書です。葵の生家ごと、ようやく買い取ることが出来ました」

 思えば、市原葵が朱里と所帯を持つにあたって、戸籍を手に入れることになった時に、資産を作るために売りに出したのは、半世紀は前になる。

 それを古谷家が買い取ってくれ、管理を松本家に任せ、ヤキモキする必要もないほどの待遇の元、金をため、今回買い戻すことができた。

「オレは、葵の甥っ子という立場で、戸籍を得ましたので。さっさと買い取っておこうと思った次第です」

「あんたさては、学費も既に、足りているな?」

 しれっと、軽い経緯を話した蓮に、水月が笑いながら問うと、あっさりと頷きが返った。

「まあ、どうせならば、奨学金制度が使えるくらい、好成績での合格を目指そうとは思っていますが」

 だからこそ、しっかりとした受験勉強をしたいと思っていると、若者は真顔で言い切った。

「気晴らしに働く以外は、そこで勤勉に励む予定です」

「そうか」

 頷く水月は、受験生にしては呑気な若者を見やった。

 塾に通うつもりもなく、独学での進学を目指すらしい蓮は、この数か月の内で、義務教育の学科を勉強していたらしい。

 その上で、初歩的な躓き方をしていた。

「譲った教科書と教材で、それは解決したか?」

「はい。大体は。最近の辞書はすごいですね。まさか、音声を読み上げる機能もあるとは。オーディオ機器も、とても助かりました」

「あんたの携帯機器に、その手のものが入っていないと聞いた時は、驚いたが。まあ、役に立ったなら、よかった」

 優しい笑顔で頷く水月に、蓮は苦笑して言い返した。

「まさか、小学生一年生用の教材まで、保存してあったとは思いませんでしたけど。時間をかけて、全て読み込ませてもらいました」

「ほう。書物嫌いだったあの蓮が、変われば変わるもんだのう」

 中肉中背の幽霊は、感慨深げに呟くが、若者は気にせず患者へと提案した。

「諸々のお礼と言っては何ですが、葵の生家に招待したいんですが、どうでしょうか? ついでに、勉強も見ていただければ、有り難いです」

「いいのか?」

 目を丸くした水月に、蓮は頷いた。

「今まで、かなり動きを制限されていたんでしょう? 仕事復帰するにしても、病院でのリハビリだけでは、本調子に戻れないですよ。自然の中で、思い存分暴れ回ってください」

「蓮?」

 住居が小さいらしいが、手を加えていない自然は魅力だ。

 つい、目を輝かせた患者を見、雅が蓮を睨む。

 その目を受けて、若者は不敵に笑った。

「それくらい、目をつむってやれよ。相手が必要なら、及ばずながらオレが手合わせするし。多少の気晴らしは、大切だぞ」

 その有り難い申し出に、水月が目を見張って口を開く前に、それまで会話を黙って聞いていた雅の弟二人が、蓮にすり寄った。

「蓮、水月君のお相手より先に、私たちと遊んでよ」

 浅黄が上目遣いで言うのを聞き、雅が肩を強張らせたが、そんな姉が制する前に、萌葱も笑顔になった。

「本当に、蘇芳兄の言うとおりだね、成長したらすごいって。あの人とセットならって想像すると、ぞくぞくしちゃう」

 あの人?

 無言で首を傾げる水月を一瞥し、娘は慌てて弟たちを黙らせようとするが、その前に蓮が不敵に微笑んだ。

「お前ら、本当にぞくぞくする暇があんのか? ガキだった頃のオレにすら、たった一度で終わったくせに?」

「……蓮」

 くぐもった雅の声は、諦めも含んでいた。

 黙ったままの水月が、優しく微笑んだのだ。

「その話、親父から伝わっているんだが、あんた側からの話は、聞こえてこないな。一度詳しく、教えてもらっても構わないか?」

 娘が、深い溜息を吐いた。

 この父親、三人の子が揃っているこの室内で、それぞれへの呼びかけにも注意しつつ、会話を楽しんでいるが、息子二人の色事の相手の話をも、楽しもうとしているのがありありと分かる。

「……ここでは、自重してくださいよ」

 苦笑するエンに頷く。

「勿論だ。ここでは、聞かない」

「? どうしてですか? 巧の話も、ここで聞いたんでしょう?」

「ああ」

 伝わっていたのかと頷き、水月は答えた。

「今日は、その手の話は自粛している」

「? 今更、こいつらに聞かれても、オレの方は別に……」

 蓮は不思議に思いながら、室内の見舞客たちを見回して……気付いてしまった。

 水月のベットの足元にある、添え付けのテーブルで、こちらに背を向けて丸椅子に座り、熱心に何かを書いている、見慣れた金髪の後姿に。

「……今日は、二人の高校生がいるから、ここでその手の話は自重して欲しい、と思うんだが」

 固まった蓮に、水月が優しく言った。


本当に、グダグダです。

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