257話 兎人族
翌朝。
ユーラシアと勇者は、普段ならまだ皆が寝静まっている時間に身支度を整える。
本日、年に一度のホワイトプリムス大陸で行われる釣り大会が開催されるということで、時刻はまだ朝四時だというのに宿の中はドタバタと騒がしく、人の声が多々響いている。
しかしシエルたちはまだ就寝しているらしく、ユーラシアと勇者はそっと部屋を後にする。
そして、宿の外に描いた転移魔法陣により、ホワイトプリムスの麓まで転移した。
「てっぺんが見えないね」
ホワイトプリムスは辺りが暗くなってから自身の姿を露わにするのだが、あまりにも標高が高すぎるせいで、夜だとしても全体の姿は雲に隠されて見えない。
すると、ユーラシアたちの下へと極寒の寒さには似合わないスーツのような服装をした中年の男性が近づいて来た。
「誰だ? あんた」
「案内人みたいなもんだと思ってくれ。それで、ここに来た目的は登山か? それとも兎人族か?」
「兎人族?」
聞き慣れない単語が飛んで来たことにより、勇者とユーラシアは一度互いの顔を見合わせる。
「ああ、人間の中にはアイスエルフと呼ぶ奴もいるけどな。一昔前までは、自分たちの力だけで登ろうとする登山家が多くてな、勝手に命を落としたくせして、俺たちが山に来る人を殺してるだの変な噂を立ててくれたおかげで、今では俺たち自ら案内してるってわけだ。それに、兎人族の印象を変える意味でも、村を観光スポットとして提供してるってわけだ」
「あんたも兎人族なのか?」
「そうだ」
すると男は後方に宙返りすると、一瞬にして変身する。
服装はそのまま。身長にも変化はないが、顔全体が青っぽい毛に覆われ、頭のてっぺんに長い二つの耳が生えている。
兎人族がエルフと勘違いされている理由は、耳である。
エルフは横に細長く耳が伸びているのに対して、兎人族は、縦に耳が伸びているのが特徴。
それにエルフは、耳以外の見た目は人間そっくりである。
「長いこと生きて来たけど、兎人族に会ったのは初めてだよ」
勇者は未知の存在との出会いに、分かりやすく興奮を見せる。
「俺たちは山の周囲に五十人配置してる。こうして麓までやって来た者たちを案内してるんだ。地上で人間として暮らしている奴も何人かいるが、人に化けられる時間は限られててな。タイムリミットが近づくと山に戻ってくる必要があるんだ。昨日の夜も若いのが一人戻って来た」
男性は喋りすぎたと思ったのか、バツが悪そうに眉間に皺を寄せ、一度深いため息をつく。
「あー、少し話しすぎた。初めて会うはずなのに、普通の奴らとは何か違うせいか?——————一つ約束しろ。地上に兎人族が紛れていることは誰にも話すな。分かったな?」
「心配いらないよ。確かによくは思ってない人もいるみたいだけど、僕たちは君たちを守りに来たんだからね」
「守る? 一体何から?」
北側領土は、あまり情報の流れが良くはないのか、昨日の宿の店員といい、この兎人族といい、どうして目の前の勇者の正体にすら気が付かないのか? それに今ではユーラシアも顔を隠してはいない。
そう疑問に思う勇者だったが、一先ずそのことは置いておくこととし、ここへ来た目的を話す。
「———つまり、そのウイルスみたいな力を気づかない内に俺たちが植え付けられていて、お前たちはそれを浄化するために来たと?」
「邪神の力を体が拒絶すれば、死に至るか、酷ければ異形の存在と化すことになる。例えそうならなくても、無意識に奴の洗脳下に置かれることになる」
「なるほどな。だけど、それを信じる根拠はあるのか? 悪いが、どうやら観光客というわけじゃないみたいだし、俺も得体の知れない存在を仲間の下へと案内することはできない」
「いや、仲間の下へ案内はしなくていいよ。目的は君たちの中に燻る邪悪な力を浄化することだからね。浄化の力を行使するためには、山頂に行く必要があるんだ」
「山頂だと⁉︎」
兎人族の男性は驚いた表情を浮かべる。
「山頂だけは、兎人族の誰も登ったこともないくらい危険な場所だ。現に俺たち兎人族は、山頂から七キロ以上離れた場所で暮らしている」
氷山全体の高さは、約一・五万キロメートルである。
その中間よりも少し下に兎人族たちの集落が存在している。
「大丈夫。僕たち勇者だからさ」
「勇者・・・・・? 話だけなら少しだけ聞いたことがある。けど、実際会うのは初めてだな」
「少しでも知ってくれてて嬉しいよ」
そう言って、証拠となる聖剣を鞘から抜いて見せびらかす。
しかし、男性はあまりピンとは来ていないのか、特に驚きもせずに難しげな表情を浮かべている。
「まぁ、さっきから言ってることに嘘はないみたいだし、少なくとも俺たちに害を及ぼす存在じゃないことは分かった」
「え? 嘘が分かるかい?」
「ああ。まぁ兎人族の特殊能力だとでも思ってくれ。直接言葉を交わした相手の言葉が、嘘か本当か分かるようになってる。けど、兎人族間では全く効果を発揮しないからこそ、俺たちは平和な暮らしを保ててるんだ。ついて来い」
そうしてユーラシアと勇者は、案内人と名乗る兎人族の後ろをピッタリとつき、氷山を駆け上がる。
その後はひたすらに急な斜面を走っていく。
流石は兎人族と言うべきか、これほど雪が降り積もっている急な斜面をもろともせずに易々と駆け上がっていく。
しかしユーラシアと勇者としてもこの程度は何の問題もなく、見事なまでに距離を空けずについていく。ただ、前の人が蹴り上げる雪により視界が真っ白に塞がれているため、魔力の気配のみで相手との距離を調節していく。
『勇者。一つ気になることがある』
突如勇者の頭の中へとユーラシアの声が響く。
『何かな?』
『もしかするとこの領土には、ミラの力が関与しているのかも知れない』
『どうしてそう思うの?』
『北側領土に降ってる雪は、自然発生したモノみてえだけど、どうにもこの大陸と、何よりもあの兎人族とかいう奴からは、ユグドラシルだった頃のオレと似た気配を感じるんだ』
『何とも不思議な話だね。正直、僕はこの大陸の歴史を知らないから何とも言えないけどさ、それとミラエラがどう関係してくるんだい?』
『オレが竜だった頃、オレの力を唯一制限できる存在として、ミラにオレの細胞の一部を与えたんだ。オレ自身、今は竜王の力も姿も取り戻したとはいえ、ユーラシアとしての人間の要素が色濃く混じってる。だからこそ、お前らでもこの大陸から僅かに感じる純粋なユグドラシルだった頃の気配に気づかない。まぁ、知らないんだから無理ないけどな』
実は魔力の気配にも様々あり、種族ごとに雰囲気というものが決められている。
以前アートなどが一瞬でユーラシアの力を感じた瞬間に、竜王の生まれ変わりであると悟ったことや、エメラルやシエルといった同族、ドラゴニュートたちが今のユーラシアからユグドラシルの気配のみを探れるのは例外として、転生した今のユグドラシルの気配は、人間であるユーラシアの要素と融合し、全くの別物のようになっている。
そしてミラエラにおいても、竜王の因子とミラエラ自身の因子が結びつき、表面上は融合した新たな気配を醸し出していた。
しかし、竜族からすれば、ミラエラの中からユグドラシルの気配のみを探ることだってお手のもの。
だからこそユーラシアは、この大陸全体に広がる純粋な竜としてのユグドラシルの気配が、ミラエラの中に存在していたものだと考えている。
『確かに、僕たちにはそれらしい気配は感じられない。いや、感じているのかも知れないけど、それが君のモノだと気がついていないだけなのかも知れない。だけどさ、もしもミラエラが関係しているとして、彼女の気配を微塵も感じられないのはどういうわけかな?』
問題はそこである。
この時代に生きていた。あるいは、今も尚生きており、竜王の純粋な因子をその身に含んでいる者は、竜王をおいて他にいない。
ユーラシアの要素と融合しているとはいえ、全ての竜王の因子が融合を遂げているわけではない。同族などには見極めることのできる程度には残っている。
邪神やその配下たちにおいては、ユーラシアと融合した竜王の力を完全にその身に取り込んでいるのであり得ない。
確かに勇者の言う通り、ミラエラの気配が全くしないこと自体不自然なのだが、純粋な竜王の気配をこの時代へと残せる存在がミラエラしか思いつかない。
『そもそもこの大陸は、僕らが勇者としてこの世界に誕生した時には既に存在していたはず。それよりも更に昔——————君たち竜族の時代に作られた大陸ってことは考えらないの?』
『少なくとも、オレが生きていた時代には存在していなかったのは確かだ。そんで、オレの命が尽きた時には・・・・・仲間は全滅してたしな』
多少重苦しい空気感が漂い、静寂が流れる。
『まぁ、ただ気になっただけだ』
『何か大きな秘密がありそうだし、そのことはしっかり頭に入れておくよ』
そう言うと、勇者はどこか改まった様子で話題を変える。
『ミラエラの話が出たついでに話しておくと、実は・・・・・まだ雪に彼女の死を伝えられていないんだ』
『ヒイラギ ユキか? 久しぶりに聞いたな』
『もう何年も会ってないからね。僕らもしばらく会えていないんだ』
勇者は寂しそうに、そして愛おしそうな表情でそう話す。
『話せてないのは、教会のみんなや、オレに気を遣ってのことか?』
『まぁそれもあるよ。ケンタたち教会のみんなには、僕たちからじゃなくて、君から直接話すべきだって思うからね。けど、雪は以前最高神に仕えていた頃、己の心の弱さからミラエラへとその矛先を向けてた。そして今ではその過ちに後悔している。だから余計に伝えるのが怖くてね。雪が悪いわけではないけれど、必要以上に重く背負ってしまうことがないかってさ』
『なるほどな』
『だから君がケンタたちにミラエラのことを伝える時、僕も雪にそのことを伝えようと思ってるんだ』
『今でもフェンメルさんのことを思い出すと、許す気にはなれない。けど、あいつも辛くて、苦しんでたことは理解できる。だから、十分に気を遣ってやってくれ』
そんなユーラシアの優しい反応に、勇者は思わずこっそりと笑みを浮かべる。
『うん。ありがとう』
「一先ず到着だ」
気がつけば、兎人族の集落のような場所が目の前に広がっていた。




