216話 希望消失
ユーラシアにエルフたちの相手を任せた直後、勇者は完成させた『ゲニウス』の魔法陣へとひたすらに魔力を注ぎ込んでいた。
「クソッ、あの数の魔人化を解くとなると、こんな魔力量じゃ全然足りねー」
オルタコアスの結界が消失したことにより、大勢の民たちが魔人化の被害を受けることになる。
そうなれば、千人どころの話ではない。
既に発動できる魔力は魔法陣に蓄えられているが、発動したとして解除できるのはせいぜい百人程度。
更に地下ダンジョンを含むオルタコアス周辺一帯は、また別の結界により別次元へと囚われてしまっている。
そのため、ダンジョンのみを移動させることはできない状況。加えて外部との連絡も完璧に遮断されてしまっている上、魔王因子を含まない生命体を弱体化させる効果まで付与されている。
この時、既に頼みの綱の魔法協会が消滅していることなど、勇者は知りようもない。
勇者は魔力を魔法陣へ注ぎながら、ダンジョン全体へ思念伝達送る。
『ダンジョン内にいるみんなに伝える。今地上は、ダークエルフと化したエルフたちが攻めて来ている状態だ。だけど竜王が彼らの相手をしてくれている。だから——————』
突如、かつて世界から恐れられていた魔王すら超えるほどの邪悪な気配が頭上に出現する。
勇者は思念魔法を中断させ、全身に鳥肌を立たせながら上を見上げる。
「何だ・・・・・? この気配、全身が危険を発してる」
それは魔王だけでなく、以前対した三体の神人すらも大きく上回る圧倒的強者の気配。
言ってしまえば竜王にすら届きうると思わせられるほど。
直後、ほんの数秒まで感じていた竜王の気配が消失する。
「は?——————は? 何、どういうこと? 何であいつの気配が消えたの?」
それだけはあり得ないと思って考えすらしていなかった事態。
竜王ならばどうな状況であっても、圧倒的な力で理不尽を解決できる力を持っている。
誰にも負けない最強無敵の存在——————そのはずだった。
「いや嘘でしょ。まさか、やられたなんて言わないよね?」
「いやいやそれはないでしょ」
「じゃあ、これはどういうこと?」
「・・・・・とにかく、一瞬で気配が消えたなんておかしいでしょ? 少し冷静になろ、ヒナッちゃん」
「あ、あー悪い。焦ったわ」
ゆっくりと深呼吸をする。
「サンキュー、マサムネ。落ち着いたわ」
「よかった。それじゃあ、地上へ出ようか」
「だな。正直竜王の邪魔になりたくねえから、この魔法陣で我慢してたけど、この大きさじゃ余計な魔力消費がすぎる」
魔法陣とは、その効果範囲にいる者に影響を与える。
例えば転移魔法陣ならば、魔法陣の中にいる者のみに影響を与えられる。
しかし例外も存在し、特定の魔法陣に必要以上の魔力を注ぎ込むことで、魔法陣の大きさ以上の魔法範囲を実現することができるのだ。
今回で言えば、直径五メートルほどの『ゲニウス』の魔法陣へ国全体を効果範囲とするほどの魔力を注ぎ込もうとすると、想像を絶する量と時間が必要となる。
つまり、国全体を最初から範囲とできるほど巨大な魔法陣を描くことができれば、それだけ消費魔力量も少なくて済むということ。
しかしそれには大きな問題が一つ。
それは、『ゲニウス』の魔法陣の構成はかなり複雑であり、建物などが建ち並ぶごちゃごちゃとした地上に魔法陣を描くことができないため、宙に魔法陣を描かなければならない。
故にユーラシアがいてくれた時は邪魔にならないよう、剣聖村の魔法陣を発動させようとしていたわけだ。
「あの数を相手に、民も守りながら魔法陣を描くなんてマネ、できると思う?」
「やるしかねえだろ。それに、一番の問題はこの巨大すぎる気配の主だ。ありゃマジで尋常じゃねえ。正直タイマンでも勝てる自身はないな、私は」
「まぁそうだけどさ、ヒナッちゃんまで弱気にならないでよ」
「うるせえな。私は女だぞ! 少しくらい弱気になったっていいだろが」
「女って・・・・・否定しないけど、今の僕たちは二人で一人なこと忘れないでね」
「ああもう、分かってるよ。 早く行くぞ!」
「うん」
そうして勇者は命落とす覚悟を決めて、恐る恐る地上へと出る。
ダークエルフと同様に黒く、ゴツい見た目。
しかし、その異様さ故に巨大な気配の主が誰であるのかを勇者は一目で判断した。
「マジやべー」
魔法陣は空中に描かなければならない。
勇者は恐る恐る宙を飛び、エルフたちの下へと進んでいく。
「久しいな、勇者」
「・・・・・十大魔人か?」
「そう呼ばれるのは懐かしいものだな」
「竜王をどうした?」
「今の我でもあの者には勝てん。故に遠くへ行ってもらったまでだ」
それを聞き、心の底でホッと安堵する勇者。
「勇者よ、貴様ならばどうかは分からん。だからと言って簡単な相手ではないことも確か。どの道消えてもらうのなら、貴様だけは今日ここで死んでもらおう」
オーレルはエルフたちへ向けて右手を差し出すと、以前勇者がエルフへ話したことのある「日本刀」にそっくりな大剣が一人のエルフからオーレルへと手渡される。
「・・・・・コウィジン。君の作る武器はいつも優れていたからこそ、こうして敵に回って欲しくはなかったよ」
コウィジンと思われるダークエルフは無言のまま他のエルフの影に紛れる。
エルフは決してダークエルフと化した後も話せないわけではない。
他のエルフたちもロッド同様に普通にコミュニケーションを取ることができるものの、意識は完全に別物とすり替わっている。
「行くぞ、勇者」
身の毛がよだつ殺意を向けられた勇者は、その恐怖を強引に抑え込む。そして、何もないところから白銀に輝く聖剣を取り出す。
「懐かしい輝きだ——————ん? この気配・・・・・以前竜王とともに魔界にいたペガサスか」
そういうとオーレルは勇者へ向けていた殺意を消し、視線を地上———いや、地下へと逸らす。
「先ほどの竜王の怒り、神が望むほどではなかった。ならば更なる絶望を与えるまで」
そう言うと、もの凄い勢いでオーレルは急降下していく。
「行かせないよ!」
勇者は高速で移動するオーレルの首元を聖剣で捉えるも、軽々と剣で防がれてしまった挙句、桁違いの腕力により後方へと勢いよく吹き飛ばされる。
「イッツゥ・・・・・はっ⁉︎」
直後頭上を見上げると、いつのまにか巨大な地水火風の魔力による塊が宙へと生じる。
「クッソ」
エルフ千人分の魔力が込められた攻撃が地上へ向けて落とされようとする直前、勢いよく振るった聖剣から巨大な光が飛び出し、全ての攻撃を消失させた。
勇者の聖剣には、予め複数の魔法陣が彫られており、魔力を込めた斬撃で魔法陣による魔法を飛ばすことが可能。
今飛ばした魔法は、魔力を消滅させるというモノ。
既に聖剣に刻まれているため制限はないが、剣自体の制限もあるため、扱える魔法にも限界はある。
それでもこの状況下で『ゲニウス』の魔法陣が彫られていれば、この状況を剣一振りで簡単に解決できたのだ。
彫る時間などなかったため、考えても仕方のない理想ではあるが、もう少し早く魔法が完成していればと、悔やまずにはいられない勇者であった。




