197話 ユーラシア・スレイロッの偽りなき思い
『エルフの都』
樹のエリアにて、聳え立つ魔力樹の頂上にてユーラシアとエルピスは肌を寄せ合う。
『ユーラシア、もうへいき?』
ユーラシアの頭の中へと響くエルピスの声。
「ああ、久しぶりにケンタたちと会って、少し動揺してただけだ。もう大丈夫。ありがとな」
『だけど、ほんとにみんな私たちのこと覚えてないんだ』
本当の記憶を消されてしまっている上、竜王が世界の敵である認識に改変されてしまっている。つまり、竜王と常に共にいるエルピスも世界の敵であるという認識。
忘れられたのは、ユーラシアという一人の少年の記憶。その他の記憶は、竜王が世界の敵である事実を軸に改変されているのだ。
当然、対人魔暦と神放暦の歴史に関する文献などは今も世界には残っている。
それにより、自身の記憶と世界の歴史の矛盾や異変に気がつく学者たちも徐々に現れ始めているが、竜王に対する恐怖心は揺るぎない。
それは人間の弱さによるもの。
根付く竜王への恐怖心が、自分にとって都合よく物事を思考する決定打となってしまっている。そのため、実質対人竜暦が始まり五年以上経過した現在も尚、竜王は全人類の敵のまま。
しかし唯一、オルタコアスの民だけはユーラシアの記憶を改ざんされずにいた。
それは、ユーラシアの魔力樹である世界樹の影響。
エルフの都やダンジョンなどと同様に、竜王の魔力樹から発せられる魔力が邪神の力を妨害していたおかげで、オルタコアスに暮らす者たちはユーラシアを忘れることはなかった。
しかしそのせいで予期せぬ争いが生まれることとなる。
それは世界の記憶改ざんから数日が経過した時のこと。
竜王を敵対視する者たちと、竜王を味方するオルタコアスの民たちによる戦争状態へと突入してしまったのだ。
竜王は争いを止めるため、自らの魔力樹をオルタコアスから移すことを決意。
その移動先として選んだのが、以前ユグドラシルの魔力樹が聳え立っていた『エルフの都』の樹のエリアだったということ。
そしてユーラシアの魔力樹を移動させ、残されたオルタコアスの民へと邪神の力が届かないよう国全体に結界を施した人物こそ——————
———「勇者」である。
結界のおかげでオルタコアスの民たちは今も尚広がり続けている『ワールドDエンチャント』による魔人化の力から逃れることができている。
しかし結界外へと一歩出てしまえば、『ワールドDエンチャント』の影響を受けてしまう可能性がある。
邪神により世界規模の記憶改ざんが行使されてから数日は、力の影響が世界中を覆い尽くした状態にあった。
そのせいで『エルフの都』から出てしまった神攻の避難民やマルティプルマジックアカデミーの教師や生徒全員の記憶も、今では改ざんされたものとなってしまっている。
「——————また随分と派手に暴れたみたいだね」
突如、ユーラシアの背後から声が響く。
「勇者か」
「今回ポーメル国で起きた悲劇は、君たちの仕業じゃないことは分かっている。まずはケンタたちを助けてくれたことの礼を言わせてほしい」
「あー、そうだったな。あんたたちも今はソルン村に暮らしてんだっけか」
ユーラシアは勇者から視線を外すと、辛そうに俯く。
「何度も言うようだけど、ミラエラが死んだのは君のせいじゃない。それに、ケンタたちも今はまだ君のことを思い出せないかもしれないけど、いつか絶対に思い出してくれるはずだよ」
「——————色んな意味でソルン村のことを思い出すと辛くなるんだ・・・・・ミラとの楽しい日々を思い出すだけで胸が痛むし、大好きだったみんなに冷たい視線を向けられるのはもっと胸が痛む。痛んで痛んで仕方ねぇんだ」
「・・・・・あんたの辛さを背負ってあげることは悪いけど、私たちにはできない。けどさ、あんたの使命を一緒に背負うことくらいはできるんだよね。今日はそれを伝えたくてさ」
ユーラシアの全てに疲れ切ったかのような瞳が勇者へと向けられる。
向けられたユーラシアの瞳には、勇者への期待など微塵も存在してはいなかった。
「オレの使命を背負う?」
「間違ってたらごめんなんだけど、あんたさ、人殺してるよね?」
「——————それがどうした?」
「何それ・・・いくら魔人化の影響を受けてるからって、まだ人間なんだよ。それに、本人は魔人化してること気づいてすらいない。そんな人たちをあんたは——————」
「勇者なら分かるだろ? 守りたいモノ全部守ることなんてできやしないんだ。だから、本当に大切な人たちを失わないために、オレは人をこれからも殺し続けるつもりだ」
ユーラシアは感じてしまっている。
世界中の人々の内に眠る邪神の力を。
それが表へと出た時、一体何が起きてしまうのか? それは分からない———誰にも分からない。
だからこそ、人類に罪はないことを知っていようとも芽が育つ前に摘む必要がある。
危険が表面化してからでは遅いのだ。
これまでそのことを存分に思い知らされてきた。
「私たちを信じられないわけ?」
「信じる?」
「邪神だっけ? そいつに魔人化させられてる人たちを元に戻す魔法を私たちなら創ることができる。既に三、四年、魔法の創作に取り掛かってるとこだし。あともう少しで——————」
「オレのやり方が間違ってることなんざとっくの昔に分かってる。もしシェティーネやケンタたちが魔人化しちまったら、オレにはどうすることもできねぇってことも。けどオレは止まるつもりはねぇ。この一分一秒が、邪神の目的を阻止することにも、大切な人たちを守ることにも繋がるからだ」
ここで勇者は何かを察したようにユーラシアへと鋭い目つきを向ける。
「あんたのそれ、ただの怒りじゃない? 確かに血を見ずに平和なんてものは実現できない。けどさ、あんたが今やってることって、ただの人殺しなんだよ。魔人化してる人たちからは、微かに邪悪な気配を感じる。きっとこの気配があんたが感じてる邪神の気配なんだろうね」
勇者はユーラシアの心を見透かしたような落ち着いた瞳で言葉を続ける。
「つまりあんたは、自分から大切な者を奪った存在が許せなくて、その気配を感じる存在を片っ端から始末して回っているだけ——————魔王と何も変わらねぇじゃんかよ!」
ユーラシアが奪われた大切な者とは、ミラエラのこと。
勇者は、最後にユーラシアと会った四年ほど前に邪神によりミラエラが命を奪われた事実を聞かされている。
しかしそのことをケンタたちには聞かせていない。
勇者はソルン村へと後から移住してきた部外者的立場である。
元々形成されていたユーラシア、ミラエラ、教会の人々との絆に入ることなどできやしない。
あれほどミラエラの帰りを待ち遠しいそうにするソルン村の人々へ真実を伝えるべきかどうか、勇者は葛藤していた。
直接ミラエラの死を目撃し、誰よりもミラエラを、ソルン村を愛しているユーラシアが真実を伝えるべきである。
ならば、ケンタたちにユーラシアのことを思い出してもらわなければならない。
それなのに当の本人は大切な者たちから向けられる蔑む、恐怖の混じった視線に怯え、これまでずっと姿を眩ませていた。
確かに勇者がいくらユーラシアの名を出そうと、記憶を掘り起こそうとしても、ソルン村の人々だけでなく、世界の誰一人としてユーラシアのことを思い出してはくれなかった。
「辛いのは分かるよ」
「分かるわけねぇだろ」
「いい加減にしろよ!——————一人だけ悲劇のヒーローみたいなツラしてさ、これ以上傷ずくのが怖くて、ただ逃げて、自暴自棄に陥ってるだけじゃんかよ!」
「ちょっとヒナッちゃん言い過ぎ———」
直後、ユーラシアは勢いよく立ち上がり勇者へ視線を合わせると、怒りの表情を向ける。
「逃げて何が悪りぃんだよ・・・・世界から忘れられた挙句、味方と呼べる存在はもう一人もいねぇ。それでも・・・・・それでも、大切な者を守るために戦ってんだろうぉが」
「だから、その守り方に問題があるっつってんだろ! 逃げずにしっかりみんなと向き合えば、前までのあんたなら悲しませたくないって思ったはずじゃないの? 大切な人を悲しませることも傷つけることになるんじゃないの? あんたが人を殺すことで悲しむ人たちが大勢いるんじゃないの?」
怒りを収めるためにユーラシアは一呼吸おくと、今にも涙をこぼしてしまいそうな儚げな表情へと変化させる。
「もう、限界なんだ・・・・・だからオレの好きにさせてくれ」
「悪いけど、これ以上あんたに人を殺させるわけにはいかないよ」
「それは僕も同意見だね」
エルピスにはその場で座っているよう指示を出したユーラシアは、ゆっくりと勇者の方へと歩き出す。
「あんたたちを傷つけたくねぇ」
「それは僕たちも同じだよ」
「けど、オレを止めようとすりゃあ、無事じゃ済まねぇぞ?」
「悪いけど、あんたの相手は私たちじゃないんだよね」
勇者がそう言い放った直後、先ほどは微塵も感じなかった者たちの気配が出現する。
その者たちは、何もないはずの空間から突如姿を現した。
「———なっ⁉︎ どういうつもりだ?」
「どういうつもりも何も、この子達がここにいるのは、私たちの意思じゃない。この子達自身の意思だよ」
ユーラシアの前には、つい先ほど別れたはずのシェティーネ、レイン、ケンタ、ルイス、大切な四名の姿があった。