192話 月夜に動き出す悲劇
昨夜。
ポーメル国 都市「ウェストン」は、王侯貴族連中が数多く暮らす都市として名高い名所である。
王族でありながらも商業を営むムスコス・バーンテッドもまた、ウェストン市に暮らしている者の一人。
ムスコスは一人窓の外を眺めながら片手に持つワイングラスをゆらゆらと揺らす。
グラスが揺れる度に中に注がれている赤ワインが月明かりに照らされ、美しい表情を醸し出す。
「今夜はいい夜だ」
「確かにいい夜だなぁ。なぁ、王族さんよぉ」
黄昏るムスコスの下へ、見知らぬ男が訪れる。
「誰だ? 部屋へ立ち入ることを許可した覚えはないが」
「俺が誰かなんざどうでもいいだろぉが、どうせてめぇはもうすぐ死ぬんだからよぉ」
月明かりに照らされ、徐々に声の主の姿が露わとなっていく。
その男は、鋭い牙を持った口が幾つも身体中に存在している人間とは思えない見た目。
ムスコスは恐怖のあまり硬直してしまう。
「てめぇはよくやってくれた。けど邪神の魔人化は凶悪っつっても万能じゃねぇ。人間レベルの強さとは言え、特殊な力を継承してやがる剣聖、剣姫には通用しない」
約五年半前に邪神が発動させた『ワールドDエンチャント』により、世界中に魔人化の悪意がばら撒かれた。
しかし剣聖やエルフなどの特殊な力や結界に守られている者たちにその技は通用しない。
「魔人化? そんなもの私は知らないな。聞いたこともない言葉だ」
『ワールドDエンチャント』により魔人化した者は、自身の魔人化に気づくことができない。
ただの魔人化とは異なり、魔人化による魔法では、見た目や実力ともに魔王因子で強化されるのだが、『ワールドDエンチャント』は、今のところ見た目も実力も外部に発信する情報にほとんどの変化はない。
しかし魔人化しているのは確実。既にその者たちは皆邪神の支配下から逃れることが不可能となってしまう。
他にも、普通の魔人化では己の魔王因子を花粉のようにばら撒くことは不可能だが、『ワールドDエンチャント』では、それが可能となるのだ。そしてウイルスのように感染していく。
それに、例え魔人化による多少の凶々しいオーラを感じたところで、今の人間に人魔戦争の記憶など存在しないため、疑問にすら思わない。
「けど、てめぇはどうやら失敗みてぇだ。普通の魔人化ならただ死ぬだけだが、てめぇが受けた力の源は魔怪獣や魔物。死ぬことは許されないんだよ」
「グフッ」
次の瞬間、ムスコスの体が「バキッバキッ」と、耳障りな音を立てて大きさ・形ともに異形な見た目へと変形していく。
「てめぇにはまだ働いてもらわねぇとな。理性を無くし、人を襲う怪物となったてめぇを隠れ蓑にすることで、俺の食事を全部てめぇのしたことにできるってわけだ。久々に暴れられると思うとワクワクするぜ」
「グルルルルルルルルルッ」
理性を無くし、魔物———いや、魔怪獣と化したムスコスは、暴れることしか能のない怪物となり果てるのだった。