179話 訪れるネメシスの狂気
神攻終了から一週間が経過した『エルフの都』。
チャンドラ宅の一室には、ミラエラとエルナスの姿があった。
「ここ数日で大分顔色がよくなったわね」
「ユキへの怒りが消えたわけでも、ミューラを思う気持ちに変化があったわけでもない。ただ、私にはまだ生きる理由があるのだと教えられた」
「以前の貴方は、かつて自暴自棄になっていた私みたいだったわ」
ミラエラはかつて竜王の死後、生きる意味を見失ってしまった時期がある。
食事はまともに摂らず、来る日も来る日も廃人のようになっていた。
「ミラエラは私の何百倍も長い時を生きている。私には想像もつかないほど大切な者との別れを経験してきたのだろう」
「確かにその通りよ。けれど、私が心の底から後悔し、絶望のどん底に叩き落とされたのはたったの一度だけ。だからこそ、貴方の気持ちは痛いほど理解できる。貴方が経験した苦しみや痛みは、かつて私が味わった絶望と同じものなのだから」
生涯を通して守りたい者。世界で一番大切な存在を亡くしてしまった苦しみ・痛みは、想像なんかでは決して理解することはできない。
しかしミラエラは、その辛さをかつて経験しているからこそ、エルナスに寄り添うことができ、そしてエルナスが立ち直りつつある現状に感心させられている。
「貴方はとても強い人よ」
「強くなどない・・・・・本当に強いのは、父であるロドィだ。私は知っている。いつも誰にも見られない場所でミューラとラベンダを失った悲しみに涙していることを。だが、その涙は決して誰の前でも見せることはしない」
ロッドがコウィジンのみにその弱さを見せていることをエルナスは知っている。
「それに比べて私は、大勢の目の前でユキへと怒りをぶつけて涙する姿を見せてしまった。その後も幾度となく生きていく気力を失いそうになる私をロドィは支えてくれたんだ・・・・・感謝しても仕切れないな」
エルナスは久しぶりに笑顔を浮かべる。
エルナスにとってロッドは誇りだ。
それは今も昔も変わらないが、もう頭が上がらないほど、エルナスのロッドに対する尊敬の気持ちはより一層強くなっていっている。
突如、室内にノック音が響く。
数秒後に姿を見せたのは、勇者だった。
「悪いね、お話中に」
「いいえ、大丈夫よ」
「そっか、それじゃあ失礼するよ」
勇者は遠慮気味に部屋へと入ると、エルナスへと視線を向けた後、どこかよそよそしい雰囲気を漂わせながら話し出す。
「突然なんだけど、今日この後、僕たちと雪はエルフの都を離れようと思う」
「本当に突然ね。けれど、神の侵攻も終わったことだし、本来なら私たちもここにいる意味なんてないのだけれど」
幸いなことに、地上にはほとんど神攻の影響が出ていない。
代償として勇者が『創生世界魔法』で創り上げたマルティプルマジックアカデミーが存在した世界は綺麗さっぱり消滅してしまったが、エルフの都は最高神が送り込んでくれた魔力の影響で戦いの痕跡はゼロ。
人の心に刻まれた悲しみや絶望、恐怖は、時とともに次第に薄れていき、神放暦は過去の記憶となっていく。
「まぁ当然っちゃ当然なんだけどさ、みんな口にしないだけで、やっぱり雪のことを受け入れることは難しいと思うんだ。だから僕たち三人でどこか田舎の静かな村にでも暮らそうと思ってさ」
「行く当ての検討はついているの?」
「まだかな。老師とかエルフのみんなに挨拶して回ってたからまだ全然決まってないんだ」
「行き当たりばったりと言うか・・・・・ヒナタにもマサムネの悪影響が及んでないかしら?」
「ちょっとやめてよ、ミラエラさん! 私はその、色々記憶探ってみたけど見つからなかったって言うかなんて言うか」
「まぁいいわ。それなら、ソルン村がオススメね。私とユーラシアの故郷の村よ」
勇者はどこか気まずそうな表情を浮かべる。
「えっ、ミラちゃんの故郷に僕たちがお邪魔しちゃってもいいの?」
「普通の人として暮らしたいだけなのよね?」
ミラエラの真剣な眼差しを受け、勇者も真剣に答える。
「もちろん」
「それじゃあ、歓迎するわ。きっと村の人たちも歓迎してくれるはずよ。まぁ始めはユキの正体を知れば、よくは思わない人たちもいるでしょうけど、そこは頑張ってとしか言いようがないわ」
「ありがとう。それじゃあ、僕たちは先に行くね。雪を樹のエリアで待たせてる——————」
突如、勇者の表情が一気に険しいものとなる。
「どうかしたの?」
「この気配・・・・・この前のあいつだ⁉︎ けど何で? 最高神は人類を滅ぼすことを諦めたんじゃ——————いや、違う・・・・・狙いは雪?」
勇者は事の詳細を自己完結し、ミラエラたちへと意識を向ける余裕すらなく、扉が壊れる勢いでどこかへ向かってしまった。
「ちょっと! 一体何が起きてるの?」
「あの慌てよう、普通じゃないことだけは確かだ。ミラエラ、私たちも向かうぞ」
「ええ、そうね」
ミラエラとエルナスは、急ぎ勇者の後を追い、樹のエリアへ。
「どうして——————」
二人の目に飛び込んできたのは、ユキを庇い、ドス黒い短剣を握ったバーベルドの腕が胴体を貫通し、血を流す勇者の姿。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ——————」
空間中にユキの悲痛の叫び声が響き渡るのだった。