172話 3年後
アストラル界での修行開始から三日後。
空間内では、実に三年もの時間が経過していた。
「・・・・・私はなんという怪物を目覚めさせてしまったのでしょう」
ドラルドはユーラシアから発せられる魔力の圧に当てられ、思わず跪かされてしまう。
現実世界ではたったの三日だが、アストラル界では三年もの月日が経過。その上、ユーラシアには竜族の思考領域たる精神世界が存在するため、アストラル界で過ごした時間は計り知れないほど。
今、ドラルドの目の前に立つユーラシアからは、かつて魔族の仲間であった竜王の息子から感じられた竜の魔力と同様の気配が感じられる。
つまり、アストラル界での修行を経て、ユーラシアは世界樹の魔力に耐え得るだけの器を完成させることに成功したのだ。
しかも、暗黒大陸に来てから外の世界の時間ではまだ十日ほど。
ユーラシアは、アートにかけられた魔力核と魔力樹との干渉を阻害する力を無理矢理に消し去ってしまったわけだ。
「おそらく魔王様は彼にアストラル界へは近づいては欲しくなかったはず・・・・・それなのに私は——————」
そう言うと、ドラルドはユーラシアへと悲しみを含んだ視線を向ける。
いつの間にか、ユーラシアからの放たれていた魔力が嘘のように消えている。
既にユーラシアの魔力制御の域は、ミラエラやアートと同等に達したと言っていいだろう。
更に、この三年で自らの感情も大分制御できるようになり、アストラル界に生じる魔力の大きさや質をコントロールできるようになっている。
最初の頃に見られた息つく暇もないほど発生していた魔力の攻撃は、今では見る影もない。
本来アストラル界では、肉体に変化は及ぼさない。
しかし肉体に依存する魔力核は、実際には精神にも依存していたわけである。
ストレスが肉体へ変化を及ぼすように。時に意思の強さが新たな魔法を生み出すように。精神的なものが物理現象に作用することは多々あるのが事実。
アストラル界で発生する魔力は、その全てが自身の内に秘められる魔力。始めは順調にアストラル界での魔力の発散と吸収を行っていたユーラシアだったが、三年もの間アストラル界で自身の魔力を循環させていたユーラシアは、ついに魔力が底をついてしまう。そして、魔力がなければ空間によるエネルギーは発生しない。しかし、ユーラシアの体内から魔力を吸収しようという空間の働きが途絶えたわけではない。
つまり、長い間環境がユーラシアの魔力を求め、更に長い間ユーラシア自身が枯渇した自身の魔力を求めた結果、次第にユーラシアの魔力核にかけられていた枷は外れてゆき、徐々に徐々にと世界樹からの魔力供給が施されるようになって行ったのだ。
そうして枷が完全になくなる頃には、ユーラシアの魔力核は世界樹に見合うレベルへと成長した。
しかしここで忘れてはならないのは、竜族の思考領域は、肉体にすら変化を及ぼすという点。
実際、ダンジョン試験でオータルと戦った際、脳が振動した直後に思考領域へと意識を逃し、再度意識を現実へと戻すことで脳へのダメージを相殺して見せた。
そのため、長い間を思考領域の精神世界で過ごしていたユーラシアの精神は、少なからず肉体の成長も促していたのだ。
結果、ユーラシアの肉体は五年分の年を重ねることとなった。
「外ではたった三日しか経っていませんが、私たちは三年もの時を共にここで過ごしました。何か、親近感のようなものが湧いて来ますね」
ドラルドは薄らと微笑んで見せる。
「そうですね。だけど、それだとドラルドさんは困るんじゃないんですか?」
「どうして、そう思うんです?」
「それは・・・・・」
ユーラシアは僅かながらに動揺の色を見せる。
根拠などないが、三年もの間共に時間を過ごせば、それなりに相手のことを知ることはできる。
「どうやら貴方とも、仲を深めすぎてしまったようですね。貴方は、これから先の自分の未来が見えてしまったようですね」
「はい。そう遠くない未来に、アートくんはきっとボクの敵になる。その理由も、今アートくんが何を考えてるのかも全然分からないですけど、これから先も友達でいられるように頑張ってみるつもりです」
ドラルドは、ユーラシアが自身の主人を友と呼んだこと、その意思を聞いても特に反応を見せることなく、ゆっくりと口を開く。
「私は魔王様を裏切るマネはできません。故にこれ以上何も語ることはできませんが、ここでの日々で、私と貴方は友になれたと思っています」
その言葉を聞いたユーラシアの眉が少し上げられ、嬉しそうな表情が浮かべられた。
「いつか敵になってしまうとしても、例え魔王様が望んでおられなくとも、アストラル界でのユーラシア、貴方との日々を後悔で終わらせたくはありません。ですから一つ、質問に答えてくれますか?」
ユーラシアが首を縦に振ると、ドラルドはいつにも増して真剣な表情となる。
「・・・・・もしも貴方に子供がいたとします。その子供は、来る日も来る日も父親へと助けを求めていたとします。貴方ならどうしますか?」
「え——————それって、どういうことですか?」
ユーラシアはドラルドからの質問の意味が分からず、しばらくの間思考を巡らすこともなくフリーズしてしまう。
「当たり前の答えになっちゃいますけど、自分の子供なら命を張ってでも助けたいと思います」
「その子供が別人のように変わり果て、貴方に牙を向けて来たとしてもですか?」
「だとしてもです」
ユーラシアは強い瞳で今度は素早く言葉を返す。
「ボクには守りたい人たちがたくさんいます。だけど、家族なら何よりも全力で助けて守ります。ボクの命に替えてでも」
するとドラルドの表情が少し和らぎ、そのままユーラシアとは反対方向に視線を向ける。
「貴方ならそう答えてくれると分かっていました。ですが、直接聞いたことで貴方をここへ連れて来たことへの後ろめたさがなくなりました」
そう言うと、ドラルドは出口へゆっくり歩き出す。
ドラルドも三年もの間アストラル界にいた影響で、少しだけ肉体を動かすことができるようになっていた。
「もうこの場には用はありません。そして貴方は守りたい者たちの下へ向かってください」
こうしてドラルドとユーラシアはアストラル界を後にするのだった。