170話 アストラル界
暗黒大陸には、そこからしか行くことのできない三つの世界が存在する。
それがアストラル界と自然界。
そして、魔会が開かれる王級界。
アストラル界とは、感情エネルギーに空間が支配された精神空間のこと。
精神空間と言えども、生命は肉体を持った状態で入ることが可能。
しかし、そこでは精神と肉体の間に三百六十倍もの時差が生じているのだ。肉体は現実世界の時間軸で時を歩み、精神=感情のみが現実世界の三百六十倍の速さで時を歩むこととなる。
つまりアストラル界で体感する感覚としては、意識に肉体の動きが追いつかない現象。
更にそんな状態の中、アストラル界の内に存在する生命が抱く感情によって、空間内にはその者の感情エネルギーが魔力が込められて発生する。
自然界には、地水火風の四界存在しており、各々の世界は、一つの自然エネルギーに支配されている。
ちなみに魔大陸は地の自然界に該当する。今は様々な魔力が発生し合い、地以外の自然エネルギーも発生している。
三日前、ユーラシア、ドラルド、ユーリの三名は、アストラル界の境界線付近まで足を運んでいた。
「それじゃあ、俺は一先ず自然界の方で待ってるとしようかな」
「そうでしたね。貴方は、アストラル界が得意ではなかったですね。それでは、数年後にまた会うとしましょう」
「俺からしたら、たった数日の出来事なんだけどな」
そうして、到着して間もなくユーリは一人次元の壁を抜けていき、自然界へと向かった。
「それでは私たちも行きましょう」
「は、はい」
道中、ユーラシアはドラルドからアストラル界と自然界についての説明を受けていた。そして理解を深めるためには、体感してみるのが一番である。
砂嵐の中に存在する透明な次元の壁を抜けた先に広がっていた景色は、視界一面が星々の煌めきを放つ幻想的な夜空に包まれた姿。
空間内は、一体どこまで続いているのかも分からなく、足場も視線を向ければ星々が浮かぶ夜空の景色。
そこには風も音も存在せず、感じるのは己の鼓動と息遣いのみ。
そうしてユーラシアがアストラル界の景色に感情を昂らせた瞬間のこと。
不意に背後から魔力の気配を察知するものの、避けることができずに掠ってしまう。
背後から放たれた魔力の塊は、神々しいほどの光を纏った光の球となりユーラシアを襲い、そのまま空間の彼方へと何にもぶつかることなく飛んでいってしまった。
「ひょっとして、今のが感情エネルギーですか?」
「そうです。先ほども説明した通り、この空間内で抱いた感情は、そのまま魔力となって具現化し、感情を抱いた者へと襲いかかる仕組みとなっています」
つまり、少しの感情の揺れが自らを傷つける刃と化すことになる。
「落ち着いてはいられないでしょうが、落ち着くことこそが、アストラル界を攻略する鍵となります」
アストラル界は、ユーラシアの些細な感情の変化を汲み取り、休む暇を与えないほど次々と攻撃を仕掛けてくる。
しかし、感情を完全にコントロールすることができれば、ドラルドのように一つも攻撃させずに済むということ。
ユーラシアは必死に回避を試みるが、それにより揺れ動いた感情のせいで更なる攻撃が仕掛けられていく。加えて、精神と肉体との間に生じる時差のせいで、全ての魔力弾が直撃してしまっているが、それはユーラシアには全く意味のないこと。
一体ドラルドはなぜユーラシアをアストラル界へと連れて来たのか。
アストラル界は元々、魔王が魔族から恐怖という感情を完璧に取り除くために作り出した空間。つまりは、感情をコントロールすることを目的とした空間。
そして、アストラル界により発生する魔力と、自然界、魔大陸に存在する魔力との違いは、臨機応変に質と威力を変化させられる点にある。
自然界や魔大陸に存在する魔力は、その空間そのものに根付く魔力に加え、魔物や魔怪獣から日夜発せられる魔力などが混ざり合ったもの。
アストラル界は、空間内に存在し、とある感情を抱いた者自身の魔力を無意識に利用する。要するに、魔力量の異なる二者が同レベルの同じ感情を抱いたとしたら、発生する魔力の質は同じでも、その威力はその者の魔力量に比例することとなる。そして、抱く感情によって、発生する魔力の質は見た目、性質共々異なってくる。
どうやらドラルドも感情操作は完璧ではないらしく、数度魔力による攻撃を受けている。
しかし、その全てを手足一つ動かせずとも、自身から発する魔力で相殺している。
つまり、瞬時にアストラル界により抜かれた魔力量を察知し、それに見合う魔力量をぶつけて相殺しているということ。
「十大魔人と言えども、感情を完璧にコントロールできるわけではありません。それは、これまでの様々な強者との戦いで貴方も理解していることでしょう。私も多くの経験を積んで来ましたが、完璧と言えるほど感情をコントロールできる存在は一人しか知りません」
ドラルドは少しの間沈黙した後、再度口を開く。
「魔王様ですら、時として感情が揺れることがあると言うのに・・・・・オーレル。あの者は、死の間際でさえ、表情一つ動かしません。全く、異常極まりないですよね」
次の瞬間、ドラルドの話に感心させられ、より大きな魔力の攻撃がユーラシアへと直撃する。
「頭では分かっているつもりなのに、全然ダメだ。攻撃一つ一つはボクにとって大したことないけど、感情をコントロールすることがこんなに難しいことだったなんて——————」
「貴方をここへ連れてきたのは、感情をコントロールさせるためではありません」
「———え?」
この動揺が、またしても新たな攻撃を発生させる。
攻撃はもろに顔面へと直撃するが、何らダメージは発生しない。
それもそのはず。ユーラシアには魔法———魔力が効かないのだから。
効かないし、避けられないのならば、避けようとする必要がない。ユーラシアは無駄な攻撃を食らっているにすぎないのだ。
「ネビュラとの戦いを見ていてまさかとは思いましたが、貴方には魔力が効かないのですか?」
ドラルドのその直球な質問に、ユーラシアは迷いなく首を縦に振る。
「はい。だけど、敵は神だから・・・・・いくらボクが魔力が通じない体だったとしても意味がないんです。だけど、竜の力を引き出せるようになれば、どんな敵とだって戦える・・・・・」
ユーラシアは小さく握り拳を作る。
「そうですね。それならばこのアストラル界は、貴方の修行場にもってこいの場所と言えるでしょう」
ユーラシアは既に飛んでくる魔力の攻撃を避けようとすることをやめ、完全に受け身に回っている。
しかし、ユーラシアへと直撃した魔力は、再度ユーラシアの内へ還元されるわけではなく、周囲に飛散し、消失する。そのため、空間内に魔力は一ミリたりとも残らない。
「先ほど私は、飛んでくる魔力を自らの魔力で相殺していました。この空間で生じる魔力は、全て私たちの内にある魔力を利用して発生しています。つまり、抜かれた魔力分、放たれる魔力にぶつければよいのです」
「だけど、抜かれた魔力なんてどう感じれば・・・・・」
「確かに普通は外部の気配しか感じ取ることはできないでしょう。ですが、魔孔を扱う私たち魔族や魔物は、魔孔から侵入した魔力を自らがコントロールする術を身に付けているのです。そしてそれは貴方にも可能だと私は思います」
ドラルドは表情を一切変えることはないが、言葉には微かに優しさが垣間見える。
「貴方はまだ魔孔が開いて間もない。だからこそ、内へと意識を集中させ、内なる魔力を感じることができれば、魔力制御の制度は急速に上がり、一切の魔力を無駄にすることなく、使用することができるはずです」
ユーラシアは、これまでごく僅かな魔力に甘え、魔力というものに向き合っては来なかった。
そのため、擬似魔力樹の封印が解け、少なくともロッドと同程度にまで成長した魔力核を宿しているにも関わらず、まともな魔法が放てていない。
最初の三日間で相手にした魔怪獣を倒した時も、『竜王の咆哮』を放とうとする感覚でガムシャラに常時魔力を放出させていただけ。
世界樹の魔力により咆哮を放つことに慣れてしまったため、遥かに少ない魔力量で魔法を放つ感覚が分からずにいる。
けれどドラルドの言うように、内なる魔力を感じ、魔力制御を身に付けることで魔力の運用の仕方。即ち、魔法を放つ時の感覚とリンクさせて劣る魔力量でも魔法を放つことが可能となっていく。
確かに魔法とは、各々に必要な魔力量が予め決められているが、ミラエラなどの強者は、どんなに少ない魔力でも魔法を行使することができるのだ。
「加えて、アストラル界に抜かれ放たれた魔力を魔孔を通して還元。つまり、吸収するのです」
ドラルドの言っていることは、抜かれた魔力量を察知した上で、放たれるエネルギーに更に自らの魔力をぶつけて相殺する。その後、魔力が飛散して消失する前に無理矢理自身へと還元するということ。
「そんなこと、できるんですか?」
「はい。ですが、今も分かる通り、貴方に触れた魔力は宙を舞い、消失するだけ。つまり、この空間にはそもそも魔力が存在しないのです」
感情に意識を向けることに必死になっていたユーラシアはここに来て、アストラル界には、飛んでくる魔力以外の魔力が存在しないことに気がつく。
「・・・ほんと、だ」
「今言った二つのことができるようになれば、発散と吸収による魔力核の育成を促しながら、より効率的に魔力制御の術も身に付けることができます。ですが、覚えていてください。アストラル界に魔力が存在しないということは、飛散する魔力を取りこぼせばいずれ魔力は底をついてしまうということを」
ユーラシアにはアストラル界よりも更に現実との時間差が存在する思考領域があるため、想像にも及ばないほどの時間を費やすことができ、容易に肉体を動かすことも可能もなってくることだろう。そして尋常ならざる成長速度を持ってして、爆発的な成長を遂げることができる。