161話 神攻の終わり
都エリア。
チャンドラ宅である城へと着く頃には、最高神が『エルフの都』へと送り込んで来た魔力のおかげでミラエラやその他重傷者たちの負傷も完治していた。
するとユキは城へと架かる橋の上に佇み、聖水による雨を都全体に降らし始める。
「どういうつもり?」
ミラエラが少し怒りを含んだ物言いでユキへと詰め寄る。
「安心せよ。もうわらわには人類にも、其方にも刃を向ける理由などない」
「それじゃあ、この雨は何のつもり?」
「わらわの声を皆へ届けるためじゃ。この場には勇者もおる。最高神様との繋がりが消えた今、例えわらわが暴走しようとも勝機などあるまい」
先ほどの光景を目にしていないミラエラからしてみれば、ユキの発言、行動の全てが理解不能。
しかし、ミラエラもエルフたち同様に今のユキからは全くの殺意も感じ取れないため、大人しく見守ることにする。
「感謝する」
そんなミラエラへと、ユキは軽く頭を下げる。
『人類。そして、この場にいる皆に告げる。神による人類への侵攻は今日この時をもって終了とする』
雨の降る音など関係なく、むしろ自ら降らす雨を利用して発する声を拡大している。
『わらわは最高神様にお仕えする神人の一人であったアクエリアスである。真の名をユキ・ヒイラギと言う。約十年前に其方ら人類に「ゴッドティアー」なる絶望の雨を降らせたのは、他でもないこのわらわである。何億という数えきれぬほどの命を奪ってしまった・・・・・けれど謝罪など必要なかろう。そしてする気もない』
その直後、放たれる大勢の人の声がユキの耳へと届く。
「ふざけるな」「人殺し」「外道」「悪魔」「奪った命を返せ」「自害しろ」など、怨み憎しみの込められた真っ黒い感情の渦が一斉にユキへと向けられる。
ユキが雨を止ませると、先ほどまで強きな意思を見せていた者たちは一斉にたじろぎ、再び城内へと逃げていく。
「謝罪をしたところで、自害したところでわらわの罪は償えぬ」
ユキ自ら市民たちの前へと姿を現し、神攻の終了を知らせる必要などどこにもなかった。
しかし、ユキは自らの罪と向き合っていくことを決意、覚悟したのだ。
勇者もユキへ強い眼差しを向け、向き合おうとするその姿を見守っている。
ユキは一度口を閉ざした後、意を決し再び口を開く。
「わらわはこれから——————人間としての人生を再び始めようと思っておる」
そのユキの発言を聞いていたほとんどの者たちの顔には、理解が及ばない目の前の存在への拒絶を意味する表情が浮かべられていた。
知らない・・・・・けれど覚えているような感覚。
自身へと向けられる拒絶の視線に、ユキの身体は無意識に恐怖を覚える。
覚えてはいないため思い出せないが、大切にしたかった者たちから常に向けられていた視線。
今回はその中に恐怖の感情も混ざっているが、かつて向けられていた視線には、恐怖など微塵もない怒りの感情のみ含まれていた気がする。
「大丈夫? 雪」
「———助けはいらぬ」
ユキは、勇者から伸ばされた手を拒む。
今この場は、自らの力のみで向き合わなければならない。
これでもまだまだユキが犯してきた罪の重さには軽すぎる。
「ユキ・ヒイラギ。お前はもう私の生徒ではない。人間としての人生を歩んで行くだと? これまで数えきれないほどの命を奪ってきたお前が、どの口でそれを言う?」
ユキの背後からびしょ濡れ姿のエルナスが絶望感を全面に押し出し近づいてくる。
普段の余裕さも、笑みも見せることなく、ただただ挫けそうな脚を一歩一歩ゆっくりと踏み出している。
「ミューラを返せ・・・・・ミューラを返せ!」
「そうであったか。其方らにとってミューラは、わらわにとっての勇者と同じくらい大切な存在だったのだな」
ユキの言葉を受けたエルナスは、瞳に大量の涙を浮かべると同時に、全面に怒りの感情を露わにした鬼の形相でユキへと掴み掛かる。
実力差など関係ない。
エルナスはかつてないほどの殺意をユキへと向ける。
「ミューラは私の妹だ! 母を失い、父を失い、私までも離れてしまった・・・・・だからこそ絶対に救わなければならなかったんだ!」
それはユキへの怒りでもあり、自分自身への怒りでもある。
「ミューラを返せ・・・・・返してくれ」
エルナスは、戦場に赴くロッドへと自身の魔法人形を渡していた。それにより、状況の把握と、万が一人形を使用して転移した後、すぐさま皆を連れて安全なところへ再び転移させることが可能であるから。
故に聞いてしまった。
ロッドの悲しむ声を。
ミューラの死の事実を。
急ぎ樹のエリアへ向かうと、ロッドの姿と痩せ細り息を引き取ったミューラの姿があったのだ。
「わらわのことが殺したいほど憎いことだろう。けれど、わらわを殺して満足か? そうであるなら、思う存分痛めつけるが良い。それで其方の気持ちが少しでも楽になるのなら、わらわは抵抗せずに其方の選択を受け入れよう」
「ふざけるな!」
エルナスの目は血走り、その怒りの感情が込められた拳をユキの顔面へと振り下ろす。
その衝撃により地面へと倒れたユキの上へと馬乗りとなり、エルナスは何度も何度も拳を振り下ろし続ける
始めは周囲で見ていた者の中にもエルナスの行為を肯定し、応援する者もいたが、次第にエルナスのユキへと振るわれる拳の衝撃音のみが皆の耳へと届くようになっていた。
勇者も止めに入ろうとしていたが、ユキ自身が無言の圧でそれを止めた。
「私はミューラに、たくさんの幸せを教えてやりたかった・・・・・ぎこちのないあの子の笑顔を、心からの笑顔にしてあげたかった」
止まらない拳。
もう何度振り下ろしたかも分からない真っ赤に染まった拳は、ユキの顔へ届く前に空中で止められ、ポタポタと血が滴り落ちる。
「やめろ。そんなことをしてもミューラは生き返らない」
「ロドィ——————」
エルナスは一瞬自身の腕を掴むロッドへと視線を向けた後、再びユキへと視線を戻す。
「どうして止める? 私以上に苦しいはずじゃないのか?」
「ああ、苦しい。だが、お前が今拳を向けるそいつも、誰かの幸せなんだ」
そう言ってロッドは不安そうにやり取りを見ている勇者へと視線を向ける。
「憎しみの連鎖は断ち切らなきゃならない。俺は少しだが分かった気がするんだ。かつての人間同士の戦争は、最後は結局憎しみの連鎖でしかなかった。自分でも分かるほど、俺たちは愚かだった。だから神は愚かな俺たちに牙を向けちまったんだと思う」
ユキは腫れ上がった瞼を薄らと開け、ロッドを見る。
「エルナス。俺たちはもう、過去に囚われるのはやめにしよう」
「ミューラとラベンダのことを忘れろと?」
「そうじゃねぇ。お前の憎しみはいずれ誰かの感情へと転化することになる。エルナス。お前にはまだ俺がいる——————俺にもまだお前がいる。だから俺を大切にしてくれよ。俺もこれまで以上にお前のことを大切に守ると誓う」
「・・・・・今ある幸せを大切に——————か」
エルナスの拳からだんだんと力が抜けていく。
「俺たちなりの新しい家族の形を作っていこうぜ」
エルナスはロッドから伸ばされた手を取り、横たわるユキへと視線を戻すことなく、この場を後にしたのだった。