156話 罪と幸せ
勇者がユキにメモリーフレアを浴びせた瞬間、ユキと勇者を包み込む龍の顔は真っ白な煙に包まれ、そのまま二人の意識はリンクする。
理論では説明できない。
互いが抱く共通意識が衝突した結果、スピリチュアル的現象が起きたのだ。
現実世界へと残された肉体は動きを停止しているわけではない。脳は正常に稼働しているため、ユキによるミラエラたちへの攻撃は再び開始されることとなる。
しかし、チャンドラがユキを捕らえた時のような真っ白いこの空間内は、ユキと勇者の魂に宿る意思が直接リンクした精神空間。
今現在は何人たりともこの場に立ち入ることは不可能。
メモリーフレアによりかつての記憶を知ったユキの表情は、より一層の絶望感を滲み出す。
「其方たちと家族であったと言う話は、本当のことであったのか⁉︎」
楽しそうな、幸せそうな自身の姿に胸が激痛を走らせる。
「———かつてのわらわは、夢のような暮らしをしていたのだな」
勇者の記憶を見たからといって、かつての感情を取り戻したわけでも、政宗、日向と出会う前の記憶を思い出したわけでもない。
それでも、かつての自分にとって目の前の存在がどれほど大切な存在だったのかは、痛いほど理解できてしまった。
「もう一度、僕たちと家族になろう」
「私たちは今でも貴方のことが何よりも大切なんだよ」
・・・・・できない。
そう発しようとするが、言葉に詰まる。
「・・・・・知っておるか? わらわがこれまでどれほどの命を奪って来たのかを」
ユキの瞳には、絶望・悔しさ・怒り・喜びなどの様々な感情を含ませた涙が浮かんでいる。
「其方たちも知っておろう。人類間では『ゴッドティアー』と称される厄災。何千、何億という者の命をこの手にかけてしまったのだ」
ユキは両手を見つめ、身体を震わせ恐怖する。
「この世で初めて目覚めた時、記憶はなく、己が何者なのかすら分からなかった。最高神様から名を頂き、神人として過ごしていく内に深く理解していく感情があったのだ。それは——————情じゃ。人魔戦争で死にゆく何者の死に対しても、わらわは心が抉られる思いであった・・・・・理由は分からなかったが、誰しもに大切な存在はいて、家族がいる」
勇者は何も言わずに、ただ雪の言葉を一言一句受け止めている。
「いつしか人魔戦争を終え、人々は人類同士で争いを始めた。どうして生きたいと足掻いていた其方ら人間同士で殺し合わねばならないのか理解ができなかった。同じ人間だ。互いに失いたくない者、守りたい者、守らなければならない大切な存在がいることは分かったっていたはず。それなのに血を流し、争いに興じる意味があったのか? 命を奪うということは、残された者から向けられる恨みを背負う覚悟を持たねばならぬ。わらわはその覚悟を持てぬまま、最高神様により争いの場へと放り込まれたのだ」
「それが、ミラエラと初めて出会ったっていう——————」
「そうよ。ミラエラ・リンカートンにより運命を狂わされた・・・・・そう、思わなければ耐えられなかった」
「僕たちは勇者だ。魔族は勿論数えきれないくらいその命を奪ってしまったし、人間だって手にかけてしまったこともある。誰かの命を奪う覚悟を持つためには、自分を正当化するしかなかったんだよね」
かつてユキは救いの手をミラエラへと差し出した。そしてその手は取られることはなかった。
しかし、例えミラエラがユキのSOSに気付けたとして、何ができただろうか?
たった一度きりの殺しをやめさせたからと言って何が変わったというのか?
やりたくもない殺しをさせられていたのは、最高神による命令故。
人類の一人に殺しはダメだと説かれたところで、ユキは止まることはできなかったはず。
よってあの時ユキを止めるなら方法は一つしかなかった。それは、あの場でユキを見逃さずに殺すこと。
魂の悲鳴から解放してあげることだった。
しかしそうはならず、ユキはこれまでの甘い自分を強引に殺し、新たな自分を作るしか方法がなかったのだ。
そして、殺しを正当化する理由を作っていかなければいけなかった。その第一段階として、己を変革させるきっかけとなったミラエラとの出会いは、自分の辛さを必死にミラエラへと訴えかけなかった自分の責任を抹消し、差し伸べた救いを求める手を取ってくれなかったミラエラに全ての怒りをぶつけることとした。
「もう、誰も殺したくはない。誰の命も奪いたくはなかった」
ユキの心の叫びが、言葉となって勇者に届く。
「けれどこれが今のわらわじゃ。例え命を奪う行為をやめたとしても、犯して来た罪は決して消えはしない。それは其方も分かっているであろう?」
「ああ分かってるよ。命を奪う時も罪を背負う今も、自分の意思を正義にして考えを正当化していくしかないこと。魔族を殺すのは人類の平和のため。雪を助けたいのは、家族だからだってね。そのために多くの犠牲が出たとしても、私たちにとってあんたが生きてることが全てなんだよ」
「罪と幸せは表裏一体だ。これは大きな罪を背負う僕たちだからこそ言えることかもしれないけど、幸せを掴むためにはその大きさに見合うだけの罪を誰かが背負わなくちゃならない」
「いくら自分を正当化しても結構だよ。確かに罪は決して消えねぇからな。けどな、その罪を過去にできるかは自分次第なんだよ。私たちは、奪っちまった魔族の命を決して無駄にしないよう、人類の平和を全力で築き上げた。まぁ、結局その後戦争が起きちまってたんなら偉そうなこと言えないかもだけどさ、人類のためを思った正義なら、これまで奪ってきた人たちの命を無駄にしないよう、争いのない世の中を作っていったらいいじゃん。私たちも協力するから。一緒に乗り越えて行こう?」
勇者は一度目を閉じ、そして目の前のユキへと自身の手を差し出す。
「色々偉そうなこと言っちゃったけど、雪がこれから一緒にいたい存在は誰? 最高神? それとも僕たち? 僕も最高神の意志が見えた気がするよ。ここで雪がどんな選択をしようと、最高神なら君の選択を見届けるはずさ。だから君の本心を見せてほしい!」
「わらわは——————私は」
勇者はその一言に思わず瞑っていた目を開けてしまう。
すると、目の前にはムスッと顔の雪が立っていた。
「・・・・・雪?」
「そうだよ。いい? 二人とも。今の私は、以前の私じゃないんだよ? だから、今の雪として接してあげてね」
まるで勇者の考えを見透かしているように目の前の存在はそんなことを口にする。
「え? これって、幻なの?」
「フフッそうかもね。あっだけど忘れないでね。以前の私の人格はいないけど、二人への想いは、今もずっと覚えているから。ううん。二人のおかげで思い出したって言った方がいいかな」
そう言って、目の前の雪は満面の笑みを浮かべる。
それを見た勇者の両目からは、涙が溢れる。
「大好きだよ。政宗! 日向! ばいばい——————」
まるで今の体験が本当に幻覚だったように、気がつくと差し出した手のひらが温かみを帯びていた。
「わらわは、其方とともに暮らしてみたい」
「・・・・・ありがとう。雪」
そうして勇者は雪を引き寄せ抱きしめたところで、現実世界へと意識が戻る。