127話 マンティコア vs ヤム&ゲト
時は少し遡り、アートが魔王としての魔力を解放した直後。
「おいおい、なんて魔力してやがるんだあの野郎⁉︎」
「ここまで邪悪に染まった魔力は初めてだよ」
ヤムとゲトは、突如放たれた身の毛がよだつ悍ましい魔力の気配に晒され、無意識に体が動きを止めてしまう。
しかし、対するマンティコアも同様にブルブルと体を震わせ、魔力の発生源であるアートに恐怖している様子。
止めどなくビシビシと空間一帯を支配する邪悪な魔力。
魔力はオーラと化して視認できるようにすることもできるが、基本的に魔法として変換されるため、魔力自体に色はない。
そして今まさにアートから発せられている魔力は気配のみであるが、目には見えないドス黒い圧が周囲の者全ての表情を歪ませているのだ。
しかし対する神人の表情にはゲスい笑みが浮かべられていた。
対人魔暦は、今から約五百年前の時代であり、現ゴッドスレイヤーで言うと、例えば東の王であるロッドがその時代から生きている存在である。
しかしこの場にいる大半の者たちが人魔戦争の経験者ではない。つまり、勇者や魔王の戦の伝説や存在について詳しく知っていようとも、魔王の魔力など感じたこともない。
それは当然のこと。
それなのに、ヤムとゲト。いや、二人だけではないだろう。アートの魔力を初めて感じた世界中の者たちがその邪悪さに恐怖させられた。だからこそ本能で悟ることとなる。
「俺の勘ってのはいつも当たって欲しくない時ばかり当たっちまうんだわ。ひょっとしてあいつ、魔王の生まれ変わりなんじゃね?」
手を震わせながらタバコを口へと運び、そんな発言を躊躇いなく口にするヤム。
「こんな時にタバコとはね。全く緊張感のない奴だ。だけど、僕も君と同じことを考えていた」
「緊張しまくってますけど何か?だからこうしてヤニを体に巡らせてるんでしょうが」
状況が状況なだけに呆れてしまうようなヤムの発言だが、タバコの影響でヤムの筋肉の硬直がだんだんと緩んでいき、体の強張りが緩和されていく。
「僕も一本貰えるかな?」
「おっ、お宅も吸うの?」
「まぁね」
ヤムはゲトへとタバコを差し出し火を付ける。ゲトは深く深呼吸をするかのようにゆっくりと脳を通り体全体でタバコを味わっていく。
ゲトはヤムほどヘビースモーカーではないものの、たまに吸ったりしているのだ。
最近では自粛していたものの、絶対に超えられないと思い知らさせるほど力の差が開ききったマンティコアを目の前にして、更にそれ以上に邪悪な魔王の魔力にまで晒されてしまっている。
まともでいられるだけ御の字というものだ。
しかしこの状況、仮にあの少年が魔王の生まれ変わりだとしても、味方であるということならば希望になり得る。
事前に聞かされていたユキ・ヒイラギを球体結界で捉える作戦は失敗に終わってしまっているため、自分たち以上に目の前には絶望的な光景が広がっている。
隣にいるマンティコアはまだ動く気配を見せない。
しかし、突如コロシアムに真っ白な仮面を被った白銀の剣を握りしめる騎士が姿を現した時だった。
直前まで体をブルブルと震わせていたマンティコアが再び活動を再開させ、ヤムとゲトの二人に襲いかかる。
疑問となるのは、今も尚浮かべているマンティコアの微笑みの表情は、先ほど身震いしていた際にはどのような変化を見せていたのかということ。
どんな恐怖の表情を浮かべていたのか?
しかし、流石のヤムもその点に疑問を抱く余裕すらなく、普段は滅多に見せない必死の形相で自身の愛刀である黒刀を流水の如くしなやかに走らせ、マンティコアの牙と撒き散らされる涎を周囲に散らす。
マンティコアの攻撃は、主人であるバーベルド同様に口腔の開閉を高速で行い、ひたすらに獲物を求める一芸に固執した面を持っているが、マンティコアの狂気の武器はその巨体からは考えられないほどの高速なスピードにある。
ほぼ瞬間移動に近しい速さで姿をあちこちに移動させるマンティコアの予測不可能な攻撃は、ヤムとゲトを精神的にも物理的にも追い込んでいく。体感的には、同時に四、五体のマンティコアが存在している感覚。
おまけにマンティコアは神の力を宿す存在へとバーベルドの体内で作り変えられているため、気配を一ミリたりとも探れない。
しかし、アートの魔力を感じる前は、今以上のキレを持っていた。ヤムとゲトは己の死を覚悟するところまで来ていたのだが、今のマンティコアは先ほどと比べると動きのキレが鈍くなっている。
そのため、マンティコアのスピードに慣れてきた二人はギリギリではあるものの、繰り出される攻撃を全て受け流すことに成功している。
しかし受け流しつつも、攻撃により確実に伝わる衝撃は体内に蓄積されつつあるため、この均衡状態が崩れてしまうのは時間の問題。
更に、いつの間にかコロシアムは崩壊しており、視界一帯の海は全て凍結された状態。
空間全体にものすごい地鳴りが響いている。
ヤムとゲトは、マンティコアとの戦闘に意識を没頭させればさせるほど、神経が研ぎ澄まされていき、不思議なことに周囲の状況の把握が徐々にできるようになっていた。
そんな時、遠方から白銀色の輝きを放つ巨大な斬撃が迫り来る。
斬撃は偶々二人の間を通り、その中心にいたマンティコアに直撃。
撃破まではいかないものの、マンティコアは瀕死状態となる。
その期を逃すまいとヤムとゲトは、惜しみなく全力を解放する。
先ほどまでは力を使う暇すらないほどに逼迫した状態が続いていたが、この数秒のおかげで、皆の戦闘の邪魔にならないよう、力を使い果たすつもりで力を振るいマンティコアを仕留めることに専念できる。
先に仕掛けたのはヤム。
黒刀を脳天で構えながら、額には漆黒の角を生やしている。
ヤム・スケイルの魔法属性は炎と闇。扱う魔法は『鬼炎』。
赤ではなく、漆黒色の炎を扱うことができ、銀色に輝く刀身に炎を纏わせた状態が黒刀というわけだ。
更に、『鬼炎』は炎属性だけでなく闇属性の特徴も兼ね備えているため、地獄の住人と昔物語では世界に伝わっている鬼となることができるのだ。
今のヤムは、人々の固定観念にあるような真っ赤な鬼の見た目ではなく、黒い線の模様がいくつも全身へと刻み込まれ、漆黒の角を生やすという見た目と化している。
更に、「鬼人」となった影響で、体と、それに比例して黒刀までも数段大きくなっている。
ヤムは黒刀に纏わせていた黒炎の火力を上げて燃え上がらせると、容赦なくマンティコアを刻み込んでいく。
しかし断ち切れない。
遠目すぎて何者かは判断がつかないが、何者かが放った白銀の斬撃により、マンティコアの体は真っ二つになっている。しかしまだ息はあり、意識もある。
更に、黒炎により全身を燃え上がらせるマンティコア。
それでも尚、意識を保てているのだから大したものだ。
おそらくだが、このまま放置しておいても倒すことはできない。むしろ、回復してしまうだろう。
ヤムの出番は終わり、続いてゲトの出番となる。
ゲトは紫と黒が何重にも渦を巻く紫黒色の巨大なゲートのようなモノを発生させる。見た目は、銀河のような感じ。
すると、マンティコアはズルズルとその中へと吸い込まれていく。
意識はあれどどうやら体を満足に動かすことは最早不可能らしい。
マンティコアは一切の抵抗なく、ゲトの発生させた空間内へと吸い込まれてしまった。
ゲトの魔法は、無属性の『亜空間魔法』。
魔力樹に実る実は亜空間の種類であり、既にゲトは様々な種類の亜空間を取得している。
今使用したのは、空間内の時間の流れが停止している亜空間であり、囚われたマンティコアは、死してはいないが、死んだも同然の扱いとなる。
亜空間自体の吸収力はとても弱いため、今回はマンティコアが動けなかったことが功を奏し、亜空間内に捉えることに成功した。
ヤムとゲトは二人して凍結した海面へと力が抜け落ちるようにバタリと倒れ込み、他の仲間たちへと視線を向ける。
「ダメだなこりゃ。満身創痍で少しも体が動かせねぇや」
「僕も同じだよ。後は、彼らに託すとしようか」
二人は静かに意識を失った。