二度目の豆撒き
栄養補助食品。
日常の食事で不足しがちな栄養などを取ることを目的に、
食事とは別に追加で摂取する食品や栄養剤などのこと。
錠剤タイプのものからお菓子のようなものまで様々なものがある。
日本の片隅の地方にある研究所。そこはただ研究所と呼ばれている。
何の研究をしているのかもわからず、周辺の人々には気味の悪い存在。
その研究所に、多数の人たちが集まり、ある会合が行われていた。
「お集まりの皆さん!
今日、二月三日は、この研究所にとって重要な日になるでしょう。
夢のような物質が完成したからです。
その名も、生物強化物質。
人間でも動物でも、生物がこの物質を摂取すると、
たちどころに記憶力が向上し、運動能力が強化されます。
では実際に、こちらの犬で効果をお見せしましょう。」
白衣の男が、連れていた犬に何やらドッグフードのようなものを食べさせた。
すると、その犬は、途端に狼のように力強く走り回り、
建物の上の方へ駆け上がって登っていった。
それだけではない。
数字が書かれたカードを見せると、どんなに複雑な計算でも解いてみせた。
「ご覧いただけましたか。
ただの犬が、この生物強化物質を摂取すると、
まるで猛獣のように駆け巡り、算数もこなす賢獣に変貌しました。
これぞ、生物強化物質の効果です。
この生物強化物質は、人間が摂取しても効果があります。
これにより、心身ともに衰えたご老人や病人の助けになるでしょう。」
「何と、生物強化物質は、人間にも使えるのですか。」
来場者の感嘆に、白衣の男が自信満々に答える。
「はい、もちろんです。
この生物強化物質は人間にも効果があります。
欠点があるとすれば、後に現れる倦怠感などの副作用が大きいところ、
それと液体には混ぜられないところでしょうか。
成分の関係で、液体に混ぜると効果が失われてしまいます。
今回は丁度、節分の日ということもあり、大豆の煎り豆に配合しました。
美味しくて効果が大きい、夢の栄養補助食品です。」
おお~と聴衆にどよめきが起こり、続けて拍手が起こった。
白衣の男はお辞儀を一つ、それから表情を緩めた。
「ありがとうございます。本日の発表は以上です。
堅苦しい話はここまで。
今日は二月三日の節分の日ですので、
節分の豆撒きをする準備をしてあります。
生物強化物質の完成のお祝いも兼ねて、
お集まりの皆さんで節分の豆撒きをしたいと思います。
では、建物の外に移動しましょう。こちらへどうぞ。
係員の方、準備をよろしくお願いします。」
そうして白衣の男を先頭に、集まっていた人たちは、
ぞろぞろと広い部屋から出ていった。
残った数人の係員が、乱れた椅子を整えたりと後片付けをした。
それから、節分の日の豆撒きの豆を用意しようとして、はたと手を止めた。
台の上に置かれた、節分の日の豆撒きのための、大豆の煎り豆。
山盛りの煎り豆が入った容器が、二つ用意されていたからだった。
「あれ?これ、どっちが節分の豆だっけ?」
「どっちもじゃないのか。」
「いや、それにしては量が多すぎる気がするんだが。」
「何をしてるんだ。
早くしないと、来賓の皆さまをお待たせしてしまうぞ。」
「二つあるんだから、両方持っていけばいいだろう。
足りないよりは多い方がいいんだから。」
「そうか、そうだな。」
そうして、係員たちは、山のように大豆の煎り豆が詰まった容器を
そこにあった二つとも抱えて持って行ったのだった。
研究所の外には広場があり、その周囲を町並みが城下町のように囲っている。
その町には一般の人たちの他に、研究所の職員とその家族も暮らしている。
研究所に集まった人たちは、枡に盛られた大豆の煎り豆を渡されると、
早速、節分の日の豆撒きを始めた。
「鬼は外ー。福は内ー。」
煎り豆がそこら中にばら撒かれる。地面に撒かれた豆を鳩が啄んでいる。
すると、それを目にした近所の子供たちなどが、興味深そうに寄ってきた。
「みんな、何してるの?」
「おや、研究所の方々も、節分の日の豆撒きをするんですねぇ。」
研究所にとって、周囲の町の人たちは家族も同然。
普段は気味悪がられている分、こんな日は気さくに応じた。
「ええ、そうなんですよ。よろしければ、皆様もいかがですか?
節分の日の豆撒きに使う煎り豆は、たくさん用意してありますので。
ご家族の皆さんの分もお渡ししますので、是非お持ち帰りください。」
そうして研究所の人たちは、会合に集まった人たちにも、町の人たちにも、
節分の日の豆撒きに使う煎り豆をたくさん配った。
人々は豆撒きを終えた後は、歳の数だけ煎り豆を食べて、
一年の無病息災を祈ったのだった。
節分の日の、次の日。
研究所の周囲の町で、ちょっとした騒ぎが起こった。
そこら中にいる鳩が、まるで鷹のように空を飛び回っていたからだった。
「なんだ、あれは!?」
「鳩だ。鳩が空を勢いよく飛び回ってる。」
「鳩ってあんなに元気な鳥だったか?」
町の人たちは不審に思ったが、しかし研究所の人たちは特に何も思わなかった。
きっと上空で強風が吹いているのだろうとか、その程度にしか思わなかった。
数日後。
研究所の周囲の町で、騒然とする出来事が起こった。
町の小さなスポーツイベントで、世界記録レベルの好記録が出た。
それも一つや二つではない。幾つもの好記録が並んだ。
「これはどういうことだ?」
「計測機器の不具合じゃないのか。」
「いや、しかし・・・」
町の人たちは不審に思ったが、しかし研究所の人たちは無関心だった。
科学の実験は計測機器の誤差との戦いでもある。
きっとスポーツイベントで用意された計測機器がよくなかったのだろう。
その程度にしか思わなかった。
さらに数日後。
研究所の周囲の町で、大騒ぎが起こった。
二月と言えば受験の時期。
その町の受験生たちは、今年何故か難関校への合格者が相次いだ。
それだけではない。
足腰も立たない老人たちが、飛ぶように走り回っていた。
「僕があの学校に合格!?ただの記念受験だったのに?」
「婆さん、足が動くようになったぞ!まるで若返ったみたいだ。」
いくらなんでもおかしい。
町の人たちは、この異変の原因が研究所にあるのではないかと疑った。
何故なら、異変が起きたのは二月三日の後からだから。
より詳しく言えば、
研究所から受け取った節分の煎り豆を食べた人や動物が、
異常な能力を示し始めたからだった。
町の人たちからの通報を受けて、研究所の人たちは調査を行った。
その結果。
「・・・無い。生物強化物質の試作品が無いぞ。」
生物強化物質が配合された煎り豆が大量に失くなっていることがわかった。
盗難も疑われる状況だが、それよりも疑わしい原因があった。
「もしかして、節分の日に誤って、
節分の豆として試作品を使ってしまったのでは。
生物強化物質は大豆の煎り豆に配合されていましたし。」
そしてその疑いはまさしく正解だった。
鳩が鷹のように飛び回っていたのは、
節分の豆撒きで撒かれた生物強化物質入り煎り豆を食べたから。
研究所の周辺の受験生や老人たちが異常な能力を発揮したのは、
節分の日に研究所で煎り豆を食べたり、家族が持ち帰った煎り豆を食べて、
生物強化物質を摂取したから。
他にも野良猫などが能力を強化された例もあり、同じ理由であると思われた。
そして何より、同じく煎り豆を口にした研究所の人たち自身が、
運動能力が強化されているのを確認したのが決め手となった。
記憶力の方はともかく、体が軽い、疲れにくいなどの変化は、
生物強化物質の効果であることは疑いようもなかった。
こうして、研究所で、節分の日に間違えて、
生物強化物質が配合された大豆の煎り豆を使ってしまったことで、
研究所とその周辺の町の人や動物たちは、
生物強化物質に汚染されてしまったのだった。
生き物の記憶力や運動能力を増強する生物強化物質。
それが大豆の煎り豆に配合されていたことで、
図らずも研究所と町の人たちは生物強化物質を摂取することになった。
これは汚染とも言える重大な状況。
しかし、事情を知らない人なら、こう思うことだろう。
記憶力や運動能力を増強する物質を摂取して何が困るのか。
栄養補助食品を誤って食べたようなもの。放っておけばいい、と。
だが事情はそう簡単なものではなかった。
生物強化物質には副作用があるのだ。
記憶力や運動能力が増強された後には、
強烈な虚脱感に襲われ、記憶力が大幅に低下する。
それは例えば寝たきりになってしまったり、
先程食べた食事の内容すら忘れてしまうくらいの副作用。
しかも、生物強化物質は、摂取した生物の体質を変化させる。
一度、生物強化物質を摂取すれば、体内で繰り返し生成されるようになる。
その期間はおよそ一年間。
だから放っておけば解決というわけにはいかなかった。
一先ずは調査中ということにして、押しかけた町の人たちを追い返して、
研究所の人たちは、頭を掻きむしってがなり立てていた。
「どうしたらいいんだ?
このままじゃ、この町の人たちは常人を超える記憶力や運動能力になって、
あらゆる大会でこの町の人たちだけが大活躍ということになってしまう。
そんなことになれば大騒ぎだ。」
「問題はそこじゃない。
能力強化の後は、大きな副作用があるんだ。
場合によっては命に関わるかも知れん。
これじゃ生物強化物質どころか、ただの毒薬だ。」
研究所の不祥事だけでなく、多くの人の命に関わる惨事。
ところがそこに、光明がもたらされた。
生物強化物質を無効化する物質が発見されたのだった。
誤って広まってしまった生物強化物質。
生物強化物質は一度口にしてしまうと、
放って置いても体内で繰り返し生成されるようになる。
万事休す。
そう思われたが、しかしそこは優秀な研究所のこと。
すぐに新たな解決法がもたらされた。
「やりました!
生物強化物質を無効化する物質の生成に成功しました!」
飛び込んできた研究員の報告に、研究所の人たちは色めき立った。
「なんだと!?本当か!」
「それはよかった!早速、それを使おう。」
しかし、事はやはりそう簡単には運ばなかった。
生物強化物質無効化物質。
それは生物強化物質とほぼ同じ特性をもつ。
つまり、大豆の煎り豆に配合されていて、口から摂取する必要がある。
液体に混ぜることはできない。
研究所の人たちは、それを最初、
生物強化物質と同じく大豆の煎り豆のままで町の人たちに配ろうとした。
しかし、人は疑心暗鬼になると頑なになる。
今年の節分ももう終わったばかり。
一度、研究所からもらった節分の煎り豆を口にして、
その結果、酷い目に遭った町の人たちは、
再び研究所が配ろうとした煎り豆を、簡単に受け取ろうとはしなかった。
「体にいい大豆の煎り豆?
そんなものはもうごめんだね。」
「今年の節分の日はもう終わったよ。」
「どうせまた、変な薬でも入っているんだろう?
節分の日に研究所からもらった煎り豆を食べてから、
私はずっと具合がよくないんだよ。」
「病院に行っても原因不明と言われるし、困ったものだ。」
「何が原因だったのかも発表されないんじゃあ、信用できないよ。」
結局、生物強化物質を摂取した人たちは誰も、
生物強化物質無効化物質を受け取ってくれなかった。
このままでは大規模な副作用が起こって、
その原因が研究所にあると知れて大事になりかねない。
なんとかして、町の人たちに、
生物強化物質無効化物質入り煎り豆を食べてもらえないものか。
あの手この手を考えている間に、事件からおよそ十日ほどが経とうとしていた。
日日はすぎて、だが生物強化物質無効化物質は残されたまま。
町の人たちは研究所が配る煎り豆を決して食べてはくれない。
このままでは町の人たちが生物強化物質の副作用に晒され続け、
やがては研究所の不祥事として明るみに出てしまう。
研究所の人たちは追い詰められていた。
折しも、町では華やかな次の催し物で賑わっていた。
その様子を見た研究所の人が、これだと閃いた。
「そうだ!思いついたぞ!
人から食べ物をもらって、それを口にしても不自然じゃない状況を。
バレンタインデーだよ!」
「なんだって?」
「明日は二月十四日、バレンタインデーだ。
バレンタインデーには、人からチョコレートを貰って食べてもおかしくない。
生物強化物質無効化物質を、チョコレートに混ぜて配るんだよ!」
名案と思われる案にも、しかし穴があった。別の研究員が即座に指摘する。
「それは無理だ。
生物強化物質無効化物質は、液体には混ぜられない。
チョコレートは冷えて固まる前は液体なんだ。
生物強化物質無効化物質には使えないぞ。」
対案には名案。その指摘にも反論があがった。
「いや、そうとも言い切れない。
生物強化物質無効化物質は、大豆の煎り豆に配合されている。
その状態ならチョコレートに入れることも可能だ。」
「何だって?チョコレートに煎り豆を?
そんなの、聞いたことが・・・いや待てよ。
よく考えたら、大豆以外の煎り豆を入れたチョコレートはあるな。
アーモンドチョコレートはその代表例だ。
チョコレートに大豆の煎り豆、いけるかもしれない。」
アーモンドチョコレートならぬ、大豆の煎り豆チョコレート。
それは早速実行に移された。
チョコレートを固めてしまえば、中に大豆の煎り豆が入っていても、
外見上の不自然さは少なくて済んだ。
そうして研究所では、生物強化物質無効化物質を配合した大豆の煎り豆を使い、
大豆の煎り豆入りチョコレートをたくさん作って町の人たちに配ることにした。
「さあさあ、バレンタインチョコをどうぞ。
香ばしい豆が入ったチョコレートだよ!
たくさんあるから、家族や知り合いにも食べさせてあげてくれ。」
蓋を開けてみれば、
生物強化物質無効化物質入りの大豆の煎り豆チョコレートは、
町の人たちに大盛況。
あれだけ研究所の食べ物を警戒していた町の人たちは、
バレンタインデーというお祭りに乗せられて、
まんまとチョコレートを受け取って食べてくれたのだった。
それどころか、美味しい美味しいと大盛況で、
そうして生物強化物質無効化物質は町の人たちに広まり、
町の動物たちには煎り豆を与えることで、
生物強化物質による影響は消え去ったのだった。
誤算があったとすれば。
生物強化物質無効化物質入り大豆の煎り豆チョコレートがあまりにも好評すぎて、
研究所は後にチョコレート工場に転身してしまったことくらい。
妙な研究もしなくなって、町の人たちは一安心。
鬼は外、福は内。節分の豆が、鬼を退治してくれたのだった。
終わり。
過ぎたばかりの節分と、もうすぐやってくるバレンタインデーと、
二つの催し物を煎り豆が繋ぐ、ちょっとコメディーな話でした。
どちらも見知らぬ人から食べ物を受け取る日ということで、
食べ物に纏わる非日常の出来事を書きました。
栄養補助食品にも各種ありますが、
結局のところ自分の体を動かすのは自分自身。
栄養も過ぎれば体に毒となることもありえます。
無害なものと言えば、バレンタインチョコに含まれる愛情くらいなもの。
あるいは愛情すらも、過ぎれば毒になるかも・・・。
お読み頂きありがとうございました。