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第八話

 拾われてから五ヶ月が経った。季節は移り変わり、冬となる。辺り一面は雪が積もったために目が痛くなるくらい真っ白だった。

「秋なんてすぐに終わっちゃうね」と、カナデが言う。僕は同意した。

 この頃には僕のレベルも十二にまで上がり、姿見に映る姿は赤ん坊の頃のそれとは異なっている。手や足は肥大し、顔はそのままだが身長も高くなった。お陰で猟銃も、今までよりは容易く扱えている。

 しかし躰が変わるということは、草むらへの隠れ方や、猟銃を構えた時の適切な腕の角度などが変化しているわけで──つまり、これまでに蓄積してきた経験を修正しなくてはならない。

 必要ないというのに、未だに四つん這いで動き回る記憶も残っているのだ。捨ててしまいたい──辞書によればこれは『忘れる』と形容するらしい──が、そんなことはできそうにない。だからまた、経験でもってこれを上書きすることになる。

 いつもの狩りの時間、僕は例の如く姉とともに鹿や兎を獲っていた。カナデの腕も上達したが、僕と比べるとまだまだである。彼女の不器用さは果たしてどこからくるものなのだろうか、ずっと不思議に思っていた。思えば違和感は前からあった。

 初めて家へ拾われた時、ネイアは「姉で居られる期間は短いだろうさ」と、カナデに言っていた。きっとこれは、レベルの増加に個人差があるためだろう、と思っていた。けれど、姉との狩りでなかなか覚えられないこと、そして一番の違和感はほんの数週間前のこと。彼女がイワシ作戦のことをマグロ作戦と言い間違えたことだ。

 僕はそこで違和感の形がはっきり見えたように思う。姉の方がレベルが高いというのに、僕よりもずっと前から銃を扱っていただろうに、どうして様にならないのか?

「ねえ、カナデ。少し年輪を見せて欲しいんだけど」

 姉はぎょっとした顔で、

「何で?」と、言った。「レディにそんなこと聞くなんてデリカシーないんじゃないかしら」

「年輪にデリカシーなんてないんじゃないの」

 彼女は押し黙り、思案気に俯く。それから大きくため息を吐くと、決心したように僕を見つめた。

「今回だけよ」

「忘れないから一回でも大丈夫」

「そういうことじゃないのよね……」カナデは苦笑する。

 差し出された手をまじまじと見つめると、僕はこれが自分やネイアの年輪とは少しばかり違うことに気がついた。僕らのは痣や皺に近いが、彼女のは傷や溝に近い。或いは何かで書き足されたような痕に見える。記憶を掘り起こしてみると、類似したものを発見した。

 ありがとうと言って、カナデの手から離れると、

「姉さんはさ、ネイアの太腿に模様が入ってるの見たことある?」

「模様?」聞き返した後、ふるふると横に振った。

「初めて狩りへ出掛けた時のことなんだけど、偶然目に入ったんだ」

 突然何を言い出すのだろう、とカナデの顔に緊張が走ったのを僕は見逃さない。

「それがどうしたの?」些か声が震えたように思える。

「年輪みたいな見た目だったんだ。その模様は、聞けばどこか民族によるお呪いみたいなものらしい。でもどこの誰が作ったのかは教えてくれなかった。ところで──」

 長話になるかもしれないと思って、僕は荷物を地面に落とし、座り込んだ。カナデもそれに倣う。

「保育所には色々と本が置いてあった。もしかしたらと思って、その模様がないか調べてみたけれど、見つからない。そもそもそんなものないのか、或いは別の本にでも書かれているのか、伝聞によって曖昧に聞きつけたのか、何もわからない。けれどひとつだけ、わかったことがある」

 カナデは相槌を打つこともなく、口を噤んだまま、じっと耳を傾けていた。顔色は徐々に青くなっていく。恐らく、話が見えてきたのかもしれない。僕は構わず続ける。

「ネイアの太腿の模様と似たものを見つけたんだ。それが──」僕は彼女の手の甲を指差した。「カナデの年輪なんだよ。……ねえ、それは本物なの? もしかしたら、刺青だったりするんじゃない?」

 カナデは僕を睨むように見た。そして一度下を見ると、今度は天を仰ぐ。

「私は──私からは、何も言えない。こればかりは、何も……」

「わかった。じゃあ、僕の考えを聞いてくれる?」

 カナデはそっと頷いた。彼女の意思を確認して、僕も頷くと、

「多分、ネイアは何かしらの目的があって、自分の太腿に刺青を入れたんだ。それはきっと、カナデに年輪を作るため。失敗しないように、先に自分で練習したんだろうね。それで納得のいく出来だったから、今度はカナデの手に彫ったんだ……。でもそうなると、カナデの手には元々、年輪がなかったことになる。そんなこと、あるかな……? でも、僕にはその方が納得できるんだ」

 僕は姉に向かって、これまでの違和感を包み隠さず教えた。恐怖の色に染まっていた表情が、少しずつ和らいで、そのうち可笑しそうにくすくすと笑い始める。

「どこか間違ってた?」

 そうであったら、良いけれど。そう思って聞いた。しかしカナデは首を横に振って、

「ううん。まさかこんなに沢山のぼろが出ていたとは思わなかったから。……でも、まあそうね。猟銃って難しいよ。重たいし、反動は大きいし、何より掃除が大変。それに、全部覚えていられないって。イワシ作戦を言い間違えたのは、ちょっと焦ったけどね──」

「み、認めるの?」

 僕は恐る恐る訊ねた。

 カナデは視線を外すと、寂しそうにどこか遠くを見つめて、ふう、と一息。ややあって、一度だけ頷く。僕は驚きのあまり絶句した。これまでに構築してきた常識が一挙に崩れ去って、頭の中は真っ白に染められる。

 つまるところ、姉はレベルに縛られない。自由に経験し、知識を得られ、そして──忘れることができる。

「あーあ、遂にバレちゃった。やっぱり秘密は持たないに限るね。何だか……罪悪感がある。ネイアに言わないとな、ソウに知られちゃったって」

 声色こそ悲しそうに聞こえたが、その顔は奇妙に晴れやかだった。姉は僕の肩を優しく叩くと、荷物を手にして、立ち上がる。

「そろそろ帰ろう。日が暮れちゃうよ」

 僕はよろよろと立ち上がり、猟銃を背にかけた。カナデから荷物を取ると、彼女の両手は自由になる。陰ができ始めた道を、横並びで歩いていく。幾つもの言葉が頭を駆け巡ったけれど、どれも声にならなかった。響いては消え、消えては生まれる。

「実感が湧かないんだけど」かろうじて出た言葉はそれだった。

「そうだね」

「カナデは、レベルがないの?」

「生きているから、年齢ならあるよ。でも年輪はないかな」

「何年生きてるの?」

「ちょっと、デリカシー……」言いかけて、吹き出した。「そうだね、年輪の通りだよ」

「十四……年……?」

「そう。ネイアと同い年。あの子は、私よりずっと大人に見えるけど」

 目を見開いた所為か、目蓋がひくついた。驚きと一緒に息を吸う。母娘のように思われたが、まさか、ふたりが同い年だったとは予想だにしなかった。

「そうか──そうか……」

 手の甲が痛みだし、年輪がまたひとつ増えようとしている。玄関扉を目にした時、この家がまた別物のように見えた気がした。

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