第六話
保育所には現在、三十人ほどが在籍しているという。彼らはここで兵士となるべく社会について学ぶわけだ。例えば、どのように運営されるのか? そのためにはいったい何をすれば良いのか、といった概念を叩き込まれる。
今は昼食後の、細やかな休み時間であった。子どもたちの大多数は教室に居らず、広い庭で遊んでいる。ここで先生を務めている、ノルンという女性が温かな眼差しで、
「どうです、ここは……広いでしょう?」と、僕に聞いた。
「そうですね」
話によれば、この施設は居住空間と学校としての役割を持つ空間とは切り離されているらしい。住まいは地下にあり、寝室や食事所、台所に浴室などが設置されていた。部屋のどれもが清潔に保たれていて、
「姉の部屋よりも綺麗ですね」
と、素直な感想を伝えたところ、ノルンは失笑した。カナデからは凄まれた。
地上階には沢山の教科書が置かれた教室や、運動のために設けられた体育館に校庭がある。また他にも、外には野菜や果物の植えられた庭園があったり、屋上には遊泳用のプールがあったりと、なかなかに充実していた。
案内が終わると、一度教室に戻って、僕はそれぞれ一冊しかない教科書を簡単にパラパラと捲ると、一目で記憶していく。面白い内容だった。「躰作りのためにどう運動すれば良いか」という本や、「よくわかる剣術、銃術」など兵士育成のためのものや、「初めてのガーデニング」と言った、この場でできるような──それでいて将来、仕事に繋がるような──知識が並び置かれていた。
他にも周辺地域の地形や歴史などといった、様々な本がある。中には弓矢で狩りを行なっていた民族などの話もあり、興味深く読み耽った。
とは言え、知識もレベルに負荷をかけてしまうからか、どの本の内容も基礎ばかりだったりと必要最低限に抑えられている。これも配慮のひとつなのだろう。
すべて読み終えると、校庭から子どもたちの声が聞こえてきた。見に行ってみると、八人程の男女が追いかけっこをしている。胸には図鑑でしか見たことのない、瓶の蓋──いわゆる王冠というやつだ──をバッジ代わりに付けており、取り合っていた。
しかし喧嘩ではなさそうだ。内容はどうも、鬼ごっこに違いような気がする。僕の視線に気が付いて、少年──髪は短く、目尻のホクロが特徴的だった──がひとりこちらを向いた。たちまち全員の動きが止まって、こちらへ駆け寄って来る。
「アンタ、誰?」
短髪の少年が訊ねた。僕は名乗ってみせると、彼は自分の名前をヴァンだと教えてくれる。
「あたしはアリア。宜しくね」赤髪の女の子がふんぞりかえって手を伸ばした。
「はあ、どうも」
僕は恐る恐る手を掴むと、ぐっと引き取られ、力強く握り返される。手を離した頃には、指先の感覚はなくなっていた。
「レル、です……」
小柄な少女が、申し訳なさそうに言う。僕は不思議に思いながら、宜しくと言うと、顔を真っ赤にさせて目を背けた。少しばかりショックに思ったのが見透かされたのか、
「こいつは照れ屋で、全員にそうなんだ。まあ気にするなよ」と、ヴァンがフォローする。
確かめてみると、この場にいる全員が同じレベルだった。ノルンは子どもたちと、比較的に、だが──平等に接しているらしい。
「それで、何をやっていたの?」
「変則鬼ごっこだ」彼はニヤリとして言った。
「何それ?」
「知らないのか?」
「そりゃそうでしょ」アリアが呆れたようにヴァンを見やる。「貴方が作ったんだから」
「ルールは?」
「簡単だ。人間と鬼に分かれて、追いかけっこをする。違うのは、人間と鬼はそれぞれ同数から始める、ということ。何故なら、この王冠を使うからだ」と、彼は胸に貼り付けた瓶の蓋を指差した。「これは人間の証だ。鬼にタッチされるたび、ひとつ渡さなくちゃならない。これが全部なくなったら、鬼になる」
彼の胸には二個付けられていたので、
「へえ、なるほど。じゃあ人間側は二回までタッチされても良いんだね」
「その通り! タッチされた場合、王冠のやり取りがあるが、その間に囲まれて別の鬼に狙われないよう、十秒ほど手を挙げなきゃならない。そうすれば、鬼はそいつを狙わなくなるからな。……反対に、鬼は王冠を二個手に入れた瞬間、人間に成ることができる。人間であると証明するには、王冠を胸に付ける必要がある」
ヴァンが胸から王冠を外すと、ピンが目に入った。どうやらバッジのように、服に針で固定できるようになっている。
「勝利条件は?」
「休み時間が終わるまでに人間だった奴が勝利だ。王冠の数は問わない。人間であれば良いわけだ。いつもなら大体二十五分くらいだけど、今からだと残り十分くらいかなあ。どうする、アンタもやるか?」
「やりたい」僕は言った。
「でも、人数が足りないんじゃ……」控えめにレルが指摘する。
「だったら、カナデにも参加して貰いましょうよ」
アリアがカナデを連れてきた。姉はもう何度かやったことがあるらしい。ルールの説明は要らなそうだった。始める前、ヴァンは思い出したように、
「あっ、言い忘れてたけど、鬼になったら王冠は二個以上持っちゃいけないぜ。回らなくなっちゃうからな。……それじゃあ、開始!」
ゲームは仕切り直され、僕とカナデ、ヴァンにアリア、レルが人間となって始まった。鬼たちが十秒数え切るまで、僕らはできる限り遠くまで走り続ける。頭の中でルールをおさらいしながら、ふと気になったので、ヴァンに聞こうと思った。
──が、鬼たちが動き出し、その余裕はなさそうだ。一旦、ヴァンに話がしたいと持ちかけると、じゃあ木の上に登ろうと、提案される。
その木はかなり太く高く、避難には絶好の場所であるように思われた。僕は二つ返事で肯定すると、早速木登りに取り掛かる。枝の上から見下ろすと、
「さて、聞かせてもらおうか」
「思いついたんだけどさ、ふたりで一回ずつタッチされることで、鬼を人間にしていけば、鬼を三人にまで減らせるんじゃないの?」
「ほう、面白いじゃん」ヴァンは笑ったが、「でもそう理論通りにいくかな。まずそのためには他の人間たちに協力して貰わなくちゃならない。これが問題だ。殆どが王冠を一個犠牲にしなくちゃならないのに、誰かひとりは無傷のまま。命が二個ある状態だ。不公平だぜ、これは。揉めるに決まってる。それに──」
ヴァンは意地悪く、それでいて楽しそうな表情で、遠くを指差した。その先には鬼が寄って集ってレルを追いかけている。
「実は、連携するのは鬼の方が簡単なんだ。人間に成るには王冠がふたつ必要だからな、それまでは全員が一個ずつ揃うように協力している」見ていると、レルは王冠をなくし、鬼となった。「その上鬼がひとり増えるお陰で、更に王冠集めが捗るってわけだ。……俺が作っておいて何だけど、このルールには破綻があるらしい。ソウの理論は人間にも鬼にも有用なんだよ」
面白い、と思った。まるで狩りにも似た構図が、目の前で繰り広げられている。
「でも今なら、人間は四人だ。僕の言った方法で鬼を人間に戻すことができるよ」
「そうだな──やってみるか!」
ヴァンは思い切り飛び降りると、僕もその後に続いた。胸の王冠を確認して、集まるよう要請した後、鬼たちから逃げながら、僕からの提案を話す。ところが、
「そんなの嫌よ。危険すぎるじゃない。王冠をみすみす捨てるなんて、自分で自分の首を追い詰めるだけだわ。それに、下手すれば全員がタッチされて、総入れ替わりだってあり得るでしょう?」
と、アリアに却下されてしまった。カナデは幾分乗り気ではあったが、アリアの話を聞いているうちに、考えを改めたらしい。誰ひとり賛成する者は居なかった。
「と、言うわけだ。そう簡単には協力はできないな」
「何言ってんのよ。協力ならできるじゃない」アリアが語気を強める。
「ああ、あれね?」カナデが思い出したように、「マグロ作戦ね?」
「何それ」僕は素っ頓狂な声で聞いた。「ずっと走り続けるの?」
ヴァンは苦笑して、
「イワシ作戦のことだな? 確かにあれも一時期はよくやってたけど、どうだ……? やり尽くされた方法だから、今更やっても通用しないんじゃないか……」
「せっかくソウが提案してくれたのよ、あたしは協力したいわ」アリアが鼻息を荒くさせて、「それに、これなら無傷のまま生き残る可能性が高いし」
「そうだな」ヴァンが頷く。
「あの、そろそろ説明を……」
困惑して、僕は皆の顔を見比べた。前を走るカナデが顔だけ振り返り、
「イワシの大群って、図鑑で見たことない? あれってさ、天敵に食べられないように群れで動いてるでしょう。私たちもそれと同じことをするの」
「ただ群れるだけじゃない。校庭を周回するように、大回りで走るんだ。それで目の前まで奴らが押し寄せたら、二手に分裂。避けた後、合流する。これを繰り返すんだ」と、ヴァンが補足する。
「じゃあ、やる?」アリアが聞いた。
「……良し。イワシ作戦、開始!」