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第五十話

 葬儀に参列したのは僕とカナデだけだった。というのも、ふたりの方からそうしてくれと希望されたからであり、誰も来たがらないわけではなかった。むしろ、彼らは皆から好かれていて、参列したがる者も多かった。

 話によれば、ふたりは生前に様々なことを教えてくれたのだという。今までに得た経験や知識を、後世のために残そうとしたらしい。それが彼らの生きた証となって、この地に根付いている。今や記憶の中に住まうばかりでなく、記録として、誰の目にも見える状態にあった。

 これが魂というやつなのだろう。そう思って、僕は過去を振り返った。

「葬儀は何のためにあるか知ってる?」

 湖の見える寝室にて、ベッドに座る晩年のアリアが、小首を傾げながら訊ねる。知らないと素直に答えると、

「それはね、残された人のためにあるのよ」と言うのだった。「その人は確かに亡くなった、と確かめるための作業なの」

「どうしてそんなことを?」

 意味がわからないと思い、僕は首を捻る。アリアは慈愛に満ちた表情で、

「死というものを観念的に捉えてしまうからでしょうね。生と死の明確な違いはどこにある? 目を瞑ってしまえば、死者と眠っている人との差異なんて微々たるもの。貴方が乖離病を患って眠り続けていた時、あたしは何度も貴方が死んでしまったんじゃないかと不安になったわ」

「そんなものかな。本人からすれば、死は安らかであれ、苦しいものであれ、意識の終わりには違いないよね。わかりやすいと思うけどなあ」

「意識の終わりね──だったら睡眠と死は同じもの?」

「いや……」僕は苦笑した。「確かに違うね。じゃあ問題は意識ではなく、躰の活動が続いているかどうか──かな」

 ほら、眠っていても呼吸していればお腹は上下するでしょう、と僕は言ってみせる。彼女は鼻息を漏らすと、いいえと首を振った。

 問題なのは、残された人から見た場合よ──と。

「生きているか死んでいるのか、それを判別できたとして、受け入れられるかはわからない。ある人はね、その人の死を認められなくて、会いに行こうと後を追ったらしいの」

 目蓋を重たそうに瞬かせて、僕にそう教えた。

「凄いね、それ」と相槌する。

「死後の世界があると考えられているからこその行動でしょうね。実際のところ、死後の世界は生きた人の記憶を指している」少なくとも生きたまま認知できるのは──だけどねと付け足して、「躰が朽ちても、記憶の中では息づいている。つまり生きている──というロジックなのね。でも、人はそれだけで死と割り切れるものじゃない」

「そうだね」僕はかつて出会った人たちを思い浮かべ、しみじみと頷き返す。「記憶は風化しないから」

「だからその人が亡くなったのだと認知するための儀式を、経験することで記憶に植え付けるのよ。決別するためにはそれだけのことをしなければならないの」

 もしかすると、だからふたりは僕に人生を語らせたのかもしれない。立ち合わせるためにも──殺したのだと意識させることで、決別を促すためにも。

 或いは、彼の場合は異なっていたかもしれない。グリットの辛い死に目と立ち会ったヴァンは、こう言っていた。

「最期くらい安らかでありたいよな。今まで頑張ってきたんだからさ、それくらい許して欲しいもんだ」と。

 僕たちはあまりにも壮絶な死と向き合い過ぎていた。今にして思えば、出会った人の殆どが、もう彼岸へ旅立っている。ぞっとしない話だ。確かに見てきたはずだと言うのに。

「報われないもんだよな」記憶の中のヴァンはからっとした笑顔で、「別に救いを求めてるわけじゃない。ただもう少しくらい、報われても良いのに」

「うん……」

 やるせなくなって、小さな返答になってしまう。

「そうとも」彼は力強くそう返事し、「俺たちはカナデを救ったんだ。彼女のためにも、もう少し胸を張った方が良いぜ」

「だけど、短命種は絶滅するって……」

「そりゃ人はいつか死ぬからな。長命種だっていつかは絶滅するだろうさ。だがこれは俺たちに抱えきれる問題じゃない。仕方ないことさ。受け入れるしかない。受け入れて、今の俺たちには何ができるのか、それを考える方がよほど建設的ってなもんさ」

 彼らと過ごして考え方が変わったんだ。ヴァンは解放されたように、爽やかさを感じさせる口調でそう言う。

「変わったって、何が……」

「俺たちは記憶と共にある。そうだろ。経験したことは忘れない。忘れられない。だから常に過去が付き纏う。となるとどうなるかわかるか?」

 僕は肩を竦める。ヴァンは口だけで笑って、

「あくまでもこれは俺の仮説だが──行動に一貫性が生じる」何をすべきかが自明なんだよ、と彼は断言した。「過去と現在の二点を直線で引いてみるのと同じだ。それは真っ直ぐに行くべき先に向かう」

「なるべくしてなった、ということ……」震える声で訊ねる。

「そうだと思う。これ以外に道はなかった。だがカナデたち長命種たちは違う……忘れられる。だから過去に囚われず、純粋な目で未来を見つめられるわけだ」

 彼女たちは壁にぶつかるたびに迷い、考え、行動を改めることができる。それは僕みたいな生き方とはまったく別と言っても良い。未来は定まっていない──しかしだからこそ、運命を変えられるのだ。

「だからと言って、自分が何をしているのかわからないってのは笑えるがな」ヴァンは吹き出して言う。

「え?」予想外の言葉に間抜けな声が出た。

「いつも紺色の服を着て散歩している奴居ただろ」

「ああ……居たね」

「あいつ、欲しかった本を買いに行こうとして、店で友人と会ったらしい。それで気がついたら話し込んでいて、別の店で食事していたと言うんだ」

 彼は暫く朗らかに笑っていたが、話が脱線したと自覚して、苦笑に転じた。これも長命種の影響かもな、と。

「過去を振り返るのは最期にしろ、ソウ。今はまだ、生きているこの時を楽しめ。何ができ、何を残せるのか。それを考えるんだな」

 ふたりが寝ていたベッド。着ていた衣服。使っていた靴やアクセサリー。そうした遺物の数々を残して彼らは去った。アリアとヴァンという記録に触れながら、僕はカナデと共に親友たちを見送る。

 姉は泣いていたが、僕は泣けなかった。

 決別はまだ難しいらしい。涙が出たのは、ずっと後になってからのことだった。

 葬儀を終えて、施設から離れる。外では住人たちが僕らを待ち構えていた。どういうことかと驚いていると、彼らはふたりのため、もうひとつ別に、葬式を執り行っていたのだという。決別が必要なのは、住人たちも同じだったわけだ。

 カナデと顔を見合わせ、僕は彼らの輪に入った。

「ソウはさ、今の暮らしに慣れた?」

 ふとそう聞かれて、僕は返答に困った。まだわからない、というのが本音である。今の自分は、もう何もすることがない。目的も果たされたし、仲間たちも旅立ってしまった。僕にはもう、記憶以外には何も残されてはいなかった。

 今はただ、日々を生きるのに手一杯だった。

 そう返すと、姉はあそうと頷きながら、何事かを考え、照れたように髪を掻く。やがて口を開くと、

「もし良かったら、私の家に来ない?」

 本当なら、ここにネイアが居たら良いんだどね、と付け足した。僕は判断に迷い、姉を見つめ返す。

 もし僕がその輪に入ってしまえば、せっかく辿り着いた安寧の場を壊してしまうような気がしてならなかった。それに、僕の終わりを見せてしまうのは心苦しい。

 と同時に、だからアリアは遠くにひとり寂しく暮らしていたのかと、今になってわかった。

「ありがとう。でも──」僕は首を横に振り、笑ってみせる。「邪魔になっちゃうからね」

「そんなことない。ソウと暮らしたいの。私たち、家族でしょう?」

「ありがたい話だけど、僕は──」

「貴方には自分の人生を生きて欲しいの」

 カナデは僕の手を取り、その場に蹲った。瞬時に彼女の言葉が蘇る。

 私のために犠牲になって欲しくない──

「もう、私を守ってくれる必要はないの……」

 姉は救われたはずなのに、僕のために涙まで流している。良い人だ、やっぱり助けて良かったと思いながら、僕は苦笑いするしかなかった。

「わかったよ、姉さん。皆に話は通してあるの……」

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