第四十六話
快適な眠りから醒め、朝を迎えると、焼けつく肌の痛みが気になった。しかしこれはまあ、火炎瓶の所為だろうから仕方ない。不気味なのは、筋肉痛が訪れないこと。普段なら翌日に痛むはずである。
試しに肩を持ち上げてみたが、筋肉の引きちぎられたような痛みはまったくと言って良いほどにない。ゼロである。もしかすると日々の鍛錬のお陰か、とも思ったが恐らく違う。
何故だろうと気になって確認してみれば、これは僕だけではなく、ヴァンとアリアも同様だったらしい。朝食中はその話題で持ちきりだった。食べ終えてから、アリアが言った。
「老化の所為じゃない?」
「きっと、そうなんだろうね」と僕は頷く。
実際、僕らは平均して八歳ほど老化していた。
「じゃあ筋肉痛は明日に持ち越しってこと?」ヴァンが嫌そうに顔を振り、「これが老化か……」
なんてしみじみと話していたところへ、病室の扉がノックされた。どうぞと声を掛ければ、カナデがふたりの男女を引き連れて部屋に入ってくる。
癖で手の甲を見てしまったけれど、そこに年輪は刻まれていない。そうだったと思い直して、彼らの風貌を確認した。ふたりとも大体、三十代後半くらいだろうか。どちらも顔にはまだあどけなさが残っていて、子どものまま大きくなったような印象を受ける。
カナデは複雑そうな表情で、
「傷の具合はどう?」
「まあまあね」アリアは柔らかな声で返事した。
「俺はへそが増えちまった」
「へそ?」カナデは目を丸くさせる。
「まだ言ってる」
ヴァンの言葉に僕はつい笑ってしまった。
「ところでそちらの方は?」アリアが訊ね、
「私の両親です」と姉はふたりを紹介した。「お礼がしたいんだって」
「娘をここまで連れてきてくださったようで」と、彼女の母親らしき方が頭を下げる。「本当にありがとうございます」
父親と思しき方も彼女に倣い、頭を下げた。顔を上げると、
「九年前からずっと、行方不明になっていたんです。散歩の途中、私の手を振り払って、どこかへ走り去ってしまって、そのまま……。ミナトさんの話では、王城から外へ出る馬車に乗り込んだのだろう、と。あれだけ近づくなと言っておいたのですが、それが好奇心を助長させたんでしょう……もう会えないと思って、ずっと後悔していました。それがまた、会えるだなんて──本当に、ありがとうございました」
涙ぐんで、彼はもう一度頭を下げる。アリアは人の好い笑みを浮かべて、良かったですねと相槌を打って、それから楽しげに話し込んでいった。
母親からその甲の模様は何ですかと問われ、機密を教えるわけにもいかないので、彼女は「仲間の印ですね」と曖昧な答えをし、
「はあ、そうなんですか」なんて困惑させていたのが面白かった。
「王城の向こうには何があるんですか?」父親が興味本位からかそう聞く。「カナデは何も教えてくれないんですよ」
僕らは顔を見合わせて、口を曲げてみせた。
「それについて僕たちからはお答え出来ません。……ただ、静かな場所であるとだけ言っておきましょうか」
「成る程」わかったようなわかってないような口ぶりだった。
ふたりは挨拶も済ませたので帰る支度を始めたところ、グリットが入室してきた。彼らは互いに簡単な会話を二、三して、姉の方へ向くと、
「ああ、カナデ。君にも聞いてもらいたいことがある。残っていてくれないか」そうグリットは言う。
カナデは了承して、両親と一時的に別れ、その場に残った。背もたれのない椅子を持ってくると、僕の前に座る。
「ふたりとも良い人そうじゃない」アリアはカナデに向けて、「再会できて良かったわね」
「でもね、私からすれば殆ど初対面に近いんだ。あまり馴染めそうにないな……」
「何を贅沢言ってるの。ここが貴方の本当の居場所でしょ」アリアは微笑する。
「そうだね。うん、ここに帰ってこれて本当に良かった。しつこいかもしれないけど、皆ありがとうね」
カナデが見渡すようにして言った。姉の改まった物言いに、なんだか気恥ずかしさを感じる。
グリットは静かにため息を吐いた。
「本来ならもっと早くにここへ連れてくるつもりだったが──九年も掛かってしまった」
「どうしてそんなに掛かったの?」僕は聞く。
彼は苦笑いして、「もうネイアたちと家族になっていたからさ。そう簡単に引き離すことなど出来なかった。ジョウに襲わせたのは、申し訳ない。もっと上手いやり方があったはずだとは思う。焦っていたとは言え、短絡的だった」言いながら段々と声が震えだした。
彼の行いを責めるべきなのだろうが、それはどうも難しい。それは彼の苦悩が透けて見えてしまったからだろうか。ジョウも同じだ。間違いを犯してはいたが、彼もまた希望に魅せられた被害者である。
許せないが、怒れもしない。複雑な気分だった。
カナデは寂しそうに微笑むと、
「もう過ぎたことですから」と言って、俯く。「それに謝るなら私じゃなく、ネイアたちに言ってください」
間接的に、彼が殺した者たちに。
ネイアも、ミルドレッドも、デミアンも。この戦いに巻き込まれた全員の人生に、影響を与えたのだから。
「どうやって彼女に謝れば良い……」グリットの瞳に暗いものが差す。
「それを考えるんです」
きっぱりと言い退けたカナデに、深く息を吐いて、彼はそうだなと首肯した。
「確かにその通りだ。業の深い行いをした。償えば許されるとも思わないが、私も変わろう」グリットは目を瞑り、「どうするのが良いか、それを考えながら生きていくことにしよう──」
打ちのめされたらしい彼の様子から、一段と老けたような感じがして、僕は居た堪れなくなった。
ヴァンが冷ややかな目で彼を見つめ、
「それで──そろそろ長命種や年輪について教えてくださいよ。俺たちは貴方がどうなろうと知ったことじゃありませんから」
「ああ……」グリットは彼に目を向け、吐息のような返事をする。「そうだ。本題に入ろうか。長命種は人間本来の姿だ、ということは既に説明した通りだ。では何故、君たち短命種が生まれたのか。遡れば数世紀前──古代にまで立ち返ることになる……」