第四十三話
開いた扉の向こうから、空に稲光が走るのを見た。轟音と共に空気を切り裂いたと思えば、雨は段々と静まっていく。通り雨だったらしい。周囲に合わせてか、ジョウも声を潜める。
「俺がお前たちを襲ったのも偶然だと思ったか?」
この一言に、僕はミルドレッドの言葉が想起された。グリットがカナデの名前を持ち出した、と。姉を見つめる。
「何だ、知ってるらしいな」彼はつまらなさそうに鼻から息を漏らして、「奴は俺がお嬢さんを誘拐するのを期待していたんだ」
「何故……?」
「何故ってお前、そんなの簡単だろう。俺たちを叩くためさ。彼女は撒き餌だよ。それでいて、公的に保護するための名目でもあったんだろうさ」
それもすべて失敗に終わったがな、とジョウは嘲笑した。空いた手で前髪を掻き上げると、指先に付いた水を払い、目元に銃を持ってくる。その先には僕が居る。彼の引き金に掛かる指が動いた。
「グリットのたった一度の誤ちは、大きな波紋を招いたわけだ……俺がお前たちに執念深く付き纏うことになり、却って安全から離された。そして、死ぬことになる」
アリアが反撃のためにテーブルから姿を現し、長銃を構える。だがそれよりも早くジョウが動いた。撃ち放たれた弾丸が長銃を弾き、腕を貫く。ずたずたに裂かれた筋肉から流血し、
「うああああ……!」アリアは呻き、床に倒れた。
「アリア!」
カナデが彼女の元へ寄ろうとして、動くなとジョウが叫ぶ。
彼は素早く弾倉を入れ替えると、疲れたように息を漏らした。
「……どうだ、悪くない腕だろう。これで怪我もなけりゃ本調子なんだがな……」言いながら、念入りに撃鉄を起こしてみせる。「前に言ってたな、特別であるが故にお嬢さんは孤独だったと。まったく虚しいもんだ。人は本当の孤独の時にはそんなふうには感じない」
彼はカナデに銃口を向けた。僕は立ち上がろうしたが、どうにも躰に力が入らない。姉が撃たれてしまうかもしれないというのに。筋肉が疲労していて、使い物にならなかった。
「私は孤独なんかじゃない!」カナデが叫ぶ。
「そうか? ……他者が居なければ孤独は生まれない。お前は散々、相手とわかり合えないことを学んだはずだ。自分は誰とも違う──そんな孤独に。お前はこれから王城へ匿われ、手厚く隔離されるんだろう……。だがそれは本当の意味で孤独になるだろうよ」それは可哀想だ、とジョウは僕を睨め付けた。「死こそ永い牢獄からの解放だ」
と、引き金に指を掛けてみせた。
口がからからに渇いている。
脇腹が痺れて、にわかに痛みとして感じられた。躰が動かない。動きたくても動かせない。背筋をなぞるように冷や汗が垂れていく。ちら、と目を辺りに向けた。使えるものはないか、と考える。
倒れた近衛兵が持っていた長銃が視界に映った。
ジョウと目が合う。
僕は動いた。間に合わない。彼の方が早いだろう。
目を瞬かせた。僅かな痛みなら我慢できる。銃を掴み、相手に撃ち込むだけで良い。
記憶と照合して、この銃が弾切れしていないことを確かめる。
手にしっかりと重みを感じると、ずどん、と空気圧を伴って音が鳴らされた。
やがてそれはカナデの元へ届くだろう──ネイアと姿が重なって、僕は歯を食いしばった。
「人生に」と、声がしてデミアンが横から現れた。「ソウ。人生に必要なのは?」
それならわかる。いつも聞かされた思い出の言葉──
「こ……根性ォオオオオ!」
颯爽と立ち上がるなり、彼女の前に立ちはだかる。僕は座り込むカナデの、頭目掛けて飛ぶ弾丸を、その身で受け止めた。お陰で腹部に穴が空いてしまった。貫通した弾は、僕の邪魔立てのために逸れていき、テーブルに着弾。
僕は倒れ込みながらジョウに発砲する。
決着は一瞬だった。
僕とジョウが同時に倒れ、どこからかひゅうひゅうと、風の通るような音が聞こえる。それはジョウの、大きな穴が開いた喉からだった。刹那、空が閃光する。
僕は長銃を杖代わりに立ち上がると、ジョウの元へよろよろと近づいた。ふらつく足取りで彼を見下ろせば、雨粒に当たりながら、
「これが俺の運命だったわけだ」可笑しそうに顔を歪ませた。「ソウ──お前は、正しい。だが俺も……間違ってはなかった」
上手く唾が飲み込めないのか、それとも雨が降りしきる所為か、泡立つような声で言う。
──間違ってはいなかった、だと?
僕たちの生活を潰しておいて?
レルの人生を踏みにじっておいて?
「僕は同情しないし肯定もしない」きっぱりとそう言ってやる。
ジョウは力なく笑った。
「……なら、何故泣く?」
それは紛れもなく雨の所為だった。彼は何も言わず、真蓋を震わせると、動かなくなる。呆気ない幕切れだ。年輪に痛みが走る。
僕は銃を落とした。
復讐はあまり良いものではないらしい。爽快かと思っていたが、終わってみれば後には何も残ってはいなかった。無念ばかりが募る。
遅れて雷鳴が響き渡り、僕は仰向けに倒れた。雲は流れ、身を引いていく。
「ソウ!」
背後から、アリアたちが駆けつけてきた。ヴァンは顔を青白く変色させて、「死ぬな」と、声を掛ける。「許さないぞ」
僕は重たい目蓋を無理やりにこじ開け、彼に目を合わせると、
「当たり前だよ」と囁いた。「まだ死ねない……」
アリアは頷いて、近衛兵から服を剥ぎ取ると、使えそうな部分を傷口に当て、出血を止めようと試みる。腹部が痛み、喉の奥が強く震えたが、声にならないよう口元を手で押さえた。
応急処置を終えると、ヴァンが僕の肩をそっと叩く。
「根性、見せたな」
「走らされた甲斐があったね」
アリアはくすっと笑い、「歩ける?」
傷を塞ぐと、皆の肩を借りて、立ち上がる。「何とか」と返事すると、アリアから安堵のため息が漏れた。ヴァンは自分の腹部を撫で付けると、
「俺と同じだな。多少の怪我くらい何ともないだろ」
と励まされる。男だからね、と僕は笑ってみせたが、
「でも、こんな躰じゃあ戦える気がしない。どうしようか……」
僕の言葉に全員が押し黙った。銃声も聞こえているだろう。いつどこから敵軍が来たとしてもおかしくはなかった。ふと、アリアが顔を上げて、
「逃げ回るのは疲れたわ……」負傷した腕を掴みながら呟く。
「え?」
何が言いたいのか、と嫌な予感がして聞き返した。彼女はカナデを見やる。まさか、グリットに売るつもりなのか──そう聞けば、アリアは曖昧に頷いた。
「そうとも言えるし、そうでもない」
その言葉によって、カナデの表情が強張る。僕はアリアを睨み付けた。
「それはソウに対する駄洒落か?」ヴァンが疲れ切った顔で下らない冗談を言う。
僕らは返事せず、無視する形になった。
「つまり?」些か語気が強くなったが仕方ない。「ここまで来て姉さんを裏切るの……」
アリアはきょとんとして、それから笑いを噛み殺すように、
「まったく何を勘違いしてるのかしら。そうじゃない。戦法を変えるのよ」
「戦法?」
「ジョウがしていたことを真似するの。カナデを人質に取れば、相手は手も足もでなくなる。それなら──私たちは無傷で王城まで行けるでしょ……」彼女は大きく息を吸う。「そして、グリットを出迎えてやるのよ」
と、力強く宣言するのだった。