第四十二話
外から響き渡るそれが、雷鳴なのか銃声なのか判別が難しかった。聞こえるたび、カナデは僅かに肩を震わし、扉から入ってくるのではないかと怯えの目を注ぐ。五秒ほど待ってから、何事もないとわかって初めて、安堵していた。
そんなでは疲れてしまうぞと思ったが、神経が昂っているいま、僕も同様に反応しているらしいことをヴァンから指摘された。
「生まれたての小鹿みたいだ」とは彼なりに気の利いた比喩らしかったが、ピンとこなかったのが残念なところ。ヴァンもまた、僕の薄いリアクションに拗ねたらしかった。
毛先から水が垂れて、床に滴り落ちる。真っ暗な室内にも水溜りができて、踏むたびに音を立てた。やがて目が慣れてくると、途端に窓の外が光っては、雷が轟く。
「どこにも居ない……」声がした。
「ここを通ったはずだ」また別の者による声。「確かに見た」
「だが姿はない。足音もしない」
「彼らはどこに?」
「探せ」声が近づいてくる。
「そう遠くへは行ってないはずだ」
「では何故?」
「屋内はどうだ?」
きい、と軋んだような音がした。どこかの扉が開けられたのだろう。水を踏む固い足音が、中へ消えていった。
「ここには居ません」
「どこに身を隠した……?」また別の扉が開いた音。
「もっと良く探してみよう」更に扉が開く。
「待て──」すぐ目の前で声が止まった。「この扉の下──隙間から水が漏れ出ている……」
「雨漏りじゃないか?」
窓にどん、と音を立てながら影が近付いて、カナデは喉の奥で息を吸い込む。僕とヴァンは扉の横に付いた。アリアは正面に腰を落とし、銃を構える。
「……中からは音が聞こえない。本当に居ないのでは?」
笑い混じりに、「幾ら賭ける?」
「じゃあ──月収の半分くらい」
「俺は嫌です」
「なら分け前はなしだ。さあ、一、二の三!」
勢いよく扉が開いて、ヴァンを裏に隠した。まずアリアがひとりを撃ち倒すと、続こうとするふたりめを僕は引き摺り込み、壁に殴りつける。手袋を掴み、床へ押し倒した後、思い切り顔を踏んづけた。外れてしまった手袋を投げ捨て、息を整える。
ヴァンが扉から飛び出ると、もうひとりを追いかけて外へ向かった。彼は敵兵の首を絞めて、意識を落とす。と、そこへ、
「ここだ! ここに居るぞ!」更なる目撃に増兵が加わった。
「参ったな」
ヴァンが中に戻り、扉を閉めると、倒れ込んで動かないふたりから武器を拾い、装填を確認する。内ひとつを僕に手渡すと、
「ずっとここに居るってわけにもいかないぜ。どうする?」
「窓から逃げるとしても──」窓に穴が空いて、弾丸が貫通した。アリアは驚いて、そちらへ射撃する。「まったく、話してる途中なのに!」
窓ガラスが大きく割れ、何かが投げ入れられた。それは奇妙な球体で、火の付いた紐が延びている。まるで火炎瓶にも似た仕組みだが、中身は恐らく違う。火薬だ。これは爆弾──
「テーブルを倒して!」
僕の指示を理解して、彼女は即席の壁を作った。僕らはその裏に移動すると、たちまちその場に衝撃が走る。地鳴りのような音がして、部屋は大きく崩壊した。次いで、扉が開け放たれる。
反撃する間も無く囲まれて、僕らは銃を落とした。彼らは人差し指で銃を渡すよう指示したので、それを蹴ってやる。銃口を突きつけられながら、即座に取り押さえられると、僕は地面に強く顔を押し付けられた。
「最初から投降していれば良かったんだ。時間ばかり掛けさせやがって」男は吐き捨てるように言った。
「隊長」ともうひとりが声を掛け、「他に仲間は居ません。制圧完了です。長命種を保護しました」
「宜しい。彼女は丁重に扱え」隊長と呼ばれた男は固い足音を鳴らしながら、「私はこいつらを速やかに排除する」
おもむろに僕のこめかみへと銃の感触がして、撃鉄を起こす音がした。頭から血が下がって、躰は死の予感に備えている。視線をもう一度、手の甲に向けた。彼の手は、カナデのものと似通っている。
耳をつんざくような雷鳴。
「最期にひとつだけ、聞かせて欲しい」僕は言った。
「何だ?」隊長は短く相槌。
「貴方はカナデの仲間なの……」
「君の知ったことじゃない」彼は冷たくそう言い放った。
「そう……」
僕は落胆して、目を瞑る。
地面は酷く冷たく感じられた。
心なしか指先も冷たい。
もし、彼らがカナデと同じ体質なら……。
もう姉さんは寂しい思いをしなくて済むだろう。けれど、彼女の前で死ぬのだけはごめんだ。どうせ死ぬかもしれないなら、
抗って、抗って、抗ってみせよう。
彼らには申し訳ないが、僕はまだ終わるつもりなどない。ゆっくりと地面に手を突くと、銃を跳ね除けた。襟元に掴みかかろうとして──銃声が響く。
ぱん、ぱん、ぱん、と三拍子。撃たれたのは隊長たちだった。彼は僕に覆い被さると、驚愕するように開き切った瞳孔と目が合う。重たい死体を何とか退かして、僕は玄関を見た。
「おっと動くなよ……死にたくなけりゃあな」その声には聞き覚えがあった。何度も何度も、何度も何度も何度も耳にした彼の声。「俺の居場所はどこにもないらしい。世知辛いもんだね、彼岸からも追い返されちまった」
扉の前で、そう言ってジョウは笑った。彼は部屋の中を見渡した後、僕ら以外に誰も居ないことを確かめてから、短銃を向ける。
「助けてくれておいて、殺すつもりなの?」僕は笑い混じりに問いかけた。
「そりゃあ俺とお前はわかり合えて尚、対立してるからな。不思議なのはお互い様だぜ。お前を殺せば胸の傷も治るかも」彼は笑ったのか、目を細める。「それにしてもグリットの奴、徹底してやがるな」
「何のこと……」
「こいつらだよ。王城に仕えてるはずの近衛兵が、どうしてここへ来て、お前たちを襲ったのかわかるか?」撃鉄を起こしながら、ジョウは可笑しそうに笑う。「秘密を守りたいんだろう。お嬢さんのことを」
秘密を守っておきながら、秘密を知るそいつの友達は殺そうだなんてお笑い種だよな、と彼は口角を歪ませた。
「グリット……」
僕の声に、呆れたのか苛ついたのか、嘆息すると、
「まだわからないか、奴がしたことを?」と、ジョウは見下ろしながら言う。