第三十八話
僕はジョウの顔面に向けて撃鉄を打ち鳴らした。次いで、天井に穴を空けていく。彼は素早く顔を引き戻すと、天井に姿を隠し、
「おいおい、おっかない奴だなぁ。お遊びはまだまだ始まったばかりだぜ」くつくつと喉を鳴らすように笑い、「なあ、お前もそう思うだろ? 散々、俺を利用しやがって……」
フォルドがこちら向きに見上げながら、恐怖に満ちた顔をさせた。彼が見ているのは、ジョウだった。
「ま、待て……話せばわか──」
ガラス瓶の割れる音。
御者席に座っていたフォルド護衛課長が、たちまち炎上した。彼は絶叫しながらその場でくるくると回り、何かを掴もうと宙に手を伸ばす。それから足を踏み外し、背中から地面へと倒れ込んだ。
車輪が彼を引き摺った後、がくんと乗り越えていき、燃え上がる護衛課長の躰を置いてけぼりにする。
「か、課長──」アリアが目を見開き、呆然としていた。
呆気に取られていたのも束の間、僕は立ち直ると弾を込め直し、真上へと弾を撃ち尽くした。乱射のため穴が空いて、青空と共に彼のシルエットが見える。
「うおっ!」と取り乱したような声がしたかと思えば、ジョウは天井のへりを掴むなりその身を下ろしてきて、足を伸ばし、僕を蹴り飛ばした。同時にからん、という音が聞こえたけれど、目の前のことに集中してしまって、意識にも上らない。
扉に打ち付けられた勢いで、ノブを捻ってしまい、上半身が外へ飛び出す。眼前からは馬車がまた一台、こちらに向かって来るのが見えた。警備課の人間だ、彼らは銃口をこちらに向けている。引き金に指を掛け、僕を──
「ソウ!」
すんでのところでアリアに捕まえてもらい、何とか部屋に躰を戻した。続いて、弾丸が頬の横を通り過ぎていく。地面に足を付け直すと、アリアはそのまま僕の左腰辺りから銃口を突き出して、何発か発砲。ジョウの喉からぐっという呻き声がした。
すぐ横を警備課の馬車が並走している。背後からは山賊たちが追従。逃げ場はどこにもなさそうだ。カナデと目が合うと、僕は思わずにやりとしてしまう。
「大丈夫だよ」
「ど、どこが……」姉は怯えたように頭を抱えて言った。
「何を話してるんだ?」ジョウが面白そうに聞く。「俺も混ぜてくれよ」
体勢を立て直すと、僕は振り向きざまに肘鉄を喰らわそうとするも、彼に拳で受け止められ、躱された。代わりに頬を打たれ、椅子に押し除けられる。アリアが銃身でジョウを叩きつけた。が、彼は銃口を掴み、引っこ抜くようにしてアリアを引き寄せると、外へ向けて押し出そうとする。
その向こうから警備課の兵士が、アリアを殺さんと銃を抜いた。僕は銃の持ち手を掴み、引っ張り上げると、アリア共々後方へと手繰り寄せ、思い切りジョウに殴りつけてやる。彼が目を剥いてこちらへ向き直った。僕の襟を掴み、思い切り頭を振り上げる。
何をするのか察した僕も、ジョウに合わせて頭突きした。隣からは警備兵の銃弾が飛び、あらぬ方へ消える。僕と彼は痛みに額を押さえた後、ふと顔を見合わせた。
「やるじゃないか。まさか、ここまで対等にやり合うとは思わなかった」ジョウは楽しそうに、凶悪な笑みを浮かべた。
僕を突き放し、胸を蹴ると、彼はカナデの隣に座り込む。だしぬけに腰から短銃を取り出すと、真上に掲げてみせる。
「成長したな──そんなお前たちに、俺からのプレゼントだ」
いったい何をするつもりだ?
そんな疑念が湧き起こり、判断が一秒遅れてしまった。時が止まったかのように感じられ、すべてが緩やかな動きとして目に映る。
天井には銃弾によって焼け焦げた、幾つもの穴が空いていた。
そこから、何か瓶のようなものが見える。
乾いた銃声と、ガラスの砕ける音。
割れて溢れでる液体が、風にはためく布のような音を立てた。
途端に空が紅に染まる。
カナデがひっ、と息を飲み、
ジョウは姉を守るように手で後ろへ押さえ付けていた。
僕は視線を戻す。
炎の幕が下りた。
あれは引火した音──
赤、白、橙、黄色の綺麗なグラデーションが揺らめいている。
頭に滑りが覆いかぶさる。
目蓋が塞がらない。
閉じることが、
できない──
舞い上がる鮮烈な火の色が空から落ちてきて、僕らに降りかかった。
「まさか……」と、アリアが言葉にし損ない、口を噤む。
火炎瓶と気がつく頃にはもう、全身に油が塗れていて。
瞬く間に視界が真っ赤に染まった。耳元から暴風のような音がする。熱いのか冷たいのかわからないが、強烈な痛みが走った。息をするのもままならず、僕とアリアは声にならない声をあげながら、堪らず馬車を飛び下りる。
高速で走り去っていく勢いから、空中に取り残され、次の瞬間にはもう地面に転がっていた。痛みよりも前に苦しみが勝ち、上着を脱いでみるも、呼吸ができない。道端に雨水を溜めておく水瓶を見つけ、僕はそれに手を伸ばした。
たちまち消化され、僕らは助かったが、周囲を山賊たちが囲んでいる。アリアは蹲り、咳き込んで止まらない。カナデの乗っていた馬車はもう遠く離れ、どこにも見当たらなかった。
賊のひとりが歯を剥き出しに、「俺は小僧をいたぶるのが好きなんだ」と、僕に殴りかかる。
ぐらりと目眩がして、彼の姿が二重に見えた。顔を殴られ、涙が滲む。アリアはもうへばっていて、立ち上がれそうにない。僕は足に力を入れて、踏ん張ると、ミルドレッドとの戦闘を思い出す。
躰のダメージも忘れて、思考はクリアになった。まるで他人事のように動けてしまうものだから恐ろしいものだ。相手に近づくと、彼の上げた蹴りを空振りさせ、足を掴む。もう片方の膝を曲げさせて倒すと、首に手を押し当て、体重を乗せた。
男は頭からうつ伏せに倒れる。急激な痛みに耐えかねて動けなくなったところを、彼の腰から短銃を引き抜くと、他の賊たちを撃ち、戦闘不能に追い込んだ。最後に足元の男へ一発、弾丸をお見舞いする。やはりミルドレッドは強い。彼女との記憶のお陰で、僕は無意識のうちに制圧していた。
殺してしまっては老化してしまうから、急所は外している。だがそれでもやはり、命に関する影響力は凄まじいらしい。年輪が痛みだし、僕はまた、寿命が削れていくのを受け入れるしかなかった。
「大丈夫かい……」
アリアを助け起こすと、彼女は苦しみに喘ぎながら、「問題ない」と強がりをみせる。
肩を貸すと、辛そうに目を開けながら、
「それより……馬車が、行ってしまったわ──けたたましい音も既に遠ざかっているし、もう追いつけない……」
躰が痺れるように熱い。まだ痛みがなくならないようだ。短銃を捨てると、僕はちくしょうと何度も呟いた。
「いったいどうすれば良いんだ──」
涙が世界を覆った。陽炎のように空間を歪ませ、物事の輪郭を失わせていく。からからから、と何かが鼓膜を震わせて、今になって頭突きによる脳震盪が起き始めたのか、とびっくりした。それとも乖離病だろうか……。今の闘いで脳が焼かれ、傷付いたのか。
からからから、という小気味良い音が耳から離れない。それはどこか遠く、後ろの方から聞こえてくる。
「ねえ、ソウ……!」
アリアが目を丸くして、指を差す。
一台の馬車が、ふたりを乗せて走っていた。
御者席にはミルドレッドが、荷台にはヴァンが立っている。彼らはこちらへ近づくと、
「飛び乗れ!」と、手を差し伸べた。