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第三話

 年輪が九つになると、僕はネイアから一挺の猟銃を手渡され、外に連れ出された。

 この家は街から少し離れた位置にあるようで、付近には森がある。森には鹿や兎、それから熊が出るらしい。熊は食べたことがない、とネイアは言っていた。さてとまあ、このように割と危険な場所には違いないのだが、何故ここに住居を構えたのだろう。聞いてみると、

「狩りがしやすい。それに静かで過ごしやすいからだ」

 辺りに人影は見当たらないのは言うまでもないことだが、彼女らふたりだけで生きていけるものなのだろうか。僕の質問に、ネイアは口をにっと上げてみせる。

「確かにひとりで生きるのは難しいな。カナデも居るが、流石にそれだけでは人手が足りない。だからね、私は仕事をして、その対価に食料を貰っている」

「仕事?」僕は彼女の顔を見上げるようにして、「それって狩人?」

「違うよ。そんな危険は犯さない」ネイアは年輪を睨んだ。

「じゃあ何をしてるの?」

「秘密」

 意地悪くふっと笑うと、先へ行ってしまう。彼女は大股で、しかも早足なものだから、僕は追いつくので精一杯だ。その上、身の丈ほどもある猟銃を担いでの散歩であったから、かなり大変だった。

 ネイアはふとしゃがみ込むと、僕を手で制した後、地面を見るよう促す。何だろうと好奇心に駆られてそちらを見れば、野生動物のものと思われるフンが落ちていた。彼女は頷いて、猟銃を持ち直し、銃口で足跡の向かう方向を教えてくれる。

 その先を目で追ってみたが、何故かしら足跡は途絶えていた。

「バックトラックだな。ほら見てみろ、この藪の中に獣道がある。奴らは追跡されないように、一度踏み歩いた足跡を戻り、別の道へ潜むんだ。この道を辿って行こう」

 僕は頷いて、猟銃を構える。ふと、ちらりと見えた彼女の太腿に、無数の円を発見した。まるで年輪のように見える。僕の視線に気付き、

「これはお呪いだよ」と、ネイアは言った。

「おまじない?」

「そうだ。その本によれば、これはとある民族が狩りの際に、豊穣や仲間の無事、そして希望を祈って彫ったものだ」淀みなく、饒舌に説明する。「真円は万物の調和や、安定、完結などを示すらしい。それが幾重にも重なることで、祈りを強める──と、聞いた」

「読んだんじゃなかったの?」

 彼女はぶすっとして、無言で立ち上がった。何かまずいことでも言ってしまっただろうか、と不安になる。こちらを一瞬確認した後、目を瞑ると、

「獲物が逃げる。行くぞ」

 ネイアは先導するように歩き進めた。僕はその後をついて行く。どこに失言があったのか、わからなかった。

 猟銃の扱い方なら、四日前から教わっている。装填の仕方や弾詰まりを起こした時の対処法など、様々な状況に合わせたやり方を頭に叩き込んだ。だから後は、実践してみるだけ。できるかどうか、経験を積むしかないだろう。

 獣道は草で生い茂っているために、視界がかなり悪い。息を切らしながらネイアを追いかけたけれど、ほんの少し油断してしまえば見失ってしまいそうだった。小走りで向かう途中、だしぬけに彼女の手が飛び出て、止められてしまった。

 驚いて見ると、ネイアが口元に人差し指を立てている。うんうんと頷いて理解を示すと、彼女はその人差し指で向こうを差した。あれは鹿だ──図鑑で見たから間違いない。二本の立派な角は加工用の素材として重宝する。

 やってみろと言わんばかりに、ネイアは顎で指し示した。僕は中腰になって、藪から猟銃の先端を出す。深呼吸して、狙いをつけた。あまりに重たいものだから、腕が震えてしまう。引き金に指をかけ、引こうとする──が、固くて動かせない。

 諦めて、二本の指で引き金を絞る。破裂音が耳元から轟いた。耳鳴りがして、思わず目を瞑る。前方から、どさりと倒れる音。恐々確認してみると、鹿は頭から血を流して絶命していた。

 ふう、と息を吐く。脈拍が早まっていた。

「初めてにしては上出来だな」ネイアは鼻息を漏らす。「ただ、目を瞑るのは危ない。直していけ」

「うん……」

 まだどきどきしている。鹿の元へ移動すると、本当に自分がやったのか──と、疑いたくなった。怖いくらい実感がない。僕は当てたのか……?

 手の甲が痛みだし、年輪がひとつ増加する。それを踏まえてから、ようやく認めることができた。

 ネイアが腰からナイフを取り出すと、皮を剥ぎ、血抜きする。それから角をへし折ると、それぞれを袋へ仕舞い、重たい方を僕に手渡した。

「血生臭いものをレディに持たせるな」

「硝煙臭いものを持ってるのに?」

 僕が首を傾げてみせると、おいと言ってネイアは笑った。狩りはそれからも週に三回ほど行われた。時にはカナデも加わり、三人で出かけることもあった。馬車で遠くの草原へと走りながら、のどかな青空を眺めた。姉は機嫌が良さそうに、

「兎おいしかの山」と、口ずさんでいる。

「それって何?」

「歌だけど」

「何の歌?」

「兎を追い回す歌」

「何それ」僕は笑って聞いた。

「歌だけど……」カナデも苦笑しながら、また同じフレーズを繰り返し、歌う。

 綺麗な声色に耳を澄ませながら、地平線から吹いてくる風に躰を預けた。きっと、幸せという言葉はこのような場面にこそ相応しいのに違いないと思って、誰にも気づかれないよう、僕はそっと微笑む。

 丘へ来ると、僕らは揃って猟銃を持って馬車から降り、御者席に座るネイアから、兎を獲ってくるよう命令された。そういえば、カナデとの狩りはこれが初めてだ──なんて思いながら、彼女の構えを見る。カナデはもう何年も前から、ネイアと共に狩りを共にしているらしい。これは見物だぞ、と思った。

 カナデは草むらから一頭の兎を見つけ、狙いを絞っている。

 兎はきょろきょろと、周囲を警戒するように見回していた。それからふと、カナデと目があったかと思うと、背を向けるなり一目散に逃げていく。カナデは撃鉄を引いた。

 果たして兎はぴんぴんしている。何事もなかったかのように遠くへ走り去ると、これまた何事もなかったかのようにカナデは振る舞おうとした。

 僕はため息をついて、

「姉さんってさ──その、下手だよね」

「言葉を選びなさいよ」カナデは照れたようにはにかむと、「伸びしろがあるってことね」

 と、自分でフォローを入れた。

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