第二十八話
「そうか。秘密が知れたか」
グリットがヴァンとアリアを見据えて呟くように言った。ふたりは緊張した面持ちでこれを受けている。ここは保安部部長室。昨夜起きたことの報告のために、ミルドレッドに連れられてきたのだ。
小屋で起きたことを仔細に話すと、グリットは机の上で両手を合わせ、深く目を瞑り、疲れたようにため息を吐く。そうして出てきた言葉が、秘密に纏わる文言だった。
「もう知っていると思うが、君たちが聞かされたのは、紛れもなく本当のことだ。広まっては混乱を招きかねない。他言無用だ。良いね?」
「はい」と、僕たちは歯切れ良く返事する。それから「グリット」と、疑問をぶつけることにした。「カナデはどうしてあんな体質になったの?」
敬語を使わないことに驚いたのか、ふたりが僕を見つめる。グリットは気にしたふうでもなく、
「あんな体質、というのは年輪がないことか?」と確認した。
「そう」
「それはわからない」グリットは僕を睨み付けるように言う。「遺伝子の突然変異なのか、それとも遺伝的な疾患なのか、何れもはっきりしない。そもそも確かめる術がない。また、彼女の母親ですらこの国では見つかっていない。もしかすると、他国の人間かもしれないが、これも確証はない」
彼はすらすら話すと、以上だと言って括り締めた。僕は続けて、
「姉さんはこれからどうなるんですか」
「そうだな。山賊に狙われた以上、今まで通りにしておくわけにもいくまい。彼女は我々が保護する。その内、場所を移すことも検討しよう。その頃までに、君は護衛課に入る目算はついているかね?」
「善処──しています」
「宜しい。他には?」
聞いてみるべきかと悩んでから、
「ジョウはグリットのことを知っていた。それはどうして?」単刀直入に聞く。
「対立しているからだろ」ヴァンが横から割り込んだ。「それに保安部部長ともなれば、嫌でも名が知れるってもんだ」
「私語は慎むように」ミルドレッドが笑顔で注意した。
「はい!」
ヴァンは礼儀を正す。グリットは押し黙っていたが、やがて僕を見つめると、
「奴は私を待っていたのか」と聞いた。
「はい」心の中で多分、と付け加える。確証はなかった。
「……わかった」鼻息を漏らし、グリットは疲れたように目頭を押さえる。「ジョウ……奴は元々、保安部に居た。護衛課の人間だった」
ミルドレッドが驚愕に目を開いて、彼を見た。僕は唾を飲むと、頷いて先を促す。しかし、今言えるのはそれだけだと言って、
「彼を取り逃がした以上、また会うこともあるだろう。尤も、そうならないことを祈っているが」
そう付け足すと、退出するようグリットは迫った。不完全燃焼ではあったけれど、上司の命令は絶対だ。部屋を後にすると、その場に残っていたミルドレッドと話し込んでいるのが僅かに聞こえたが、それもいつしか消えてなくなった。
狭く静かな通路を渡りながら、僕らは宿舎へと戻っていく。僕はグリットへの疑念からだったが──三人とも誰も何も言わない。こんな空気に耐えかねたのか、
「レベルも上がっちまったな」と、ヴァンが静寂を破った。
「そうだね」
僕は手の甲を見詰める。輪っかはもう、十八にまで増えていた。
「この後は対人戦の練習だ。ぼろ勝ちしちまうな」ヴァンが喉の奥で笑った。
「試験は二週間後ね」アリアが相槌を打つ。「そろそろ、進路を考えないと」
「ソウはもう決めてるんだろ?」
「うん。護衛課に入ろうと思ってる」
「もしかして、それってカナデが関係してる?」
アリアが鋭い質問をしたので、僕は驚きと共に吹き出してしまった。まさにその通りだよ、と伝える。
「ネイアに誓ったんだ。姉さんの無事を守るってね」ジョウはカナデのことを希望と表現していた。「もしかすると、それが僕にとっての希望なのかもしれない」
短命であり、物事を忘れられない僕とは違い、姉は幸せに近いような気がする。僕は別段、ジョウのように自分は不幸だとは思わないけれど、彼女ほど自由でもない。カナデはとても恵まれている。
神様はとても不公平だ。でもだからこそ、僕は彼女の幸せを守りたい。そうして僕たちの知らない世界を、幸福を、見せて欲しいと思うのだ。
それが僕にとっての希望なのだろう。
或いは、僕が希望する未来だろうか。
「希望か」ヴァンは繰り返して言った。「道具扱いされるのと比べりゃ、そりゃ確かに希望だな」
「でも、どうしてカナデだけそんな体質になったのかな……」
また無言の時間が流れていく。
「それで、アリアはどうするの?」僕は聞いた。
「私も護衛課に入るつもり」
「え、アリアも?」ヴァンが目を丸くさせて言う。
「あの子をほっとけないでしょ。ヴァンは違うの?」
「いやまあ、それは俺も同じだけどさ。俺は、警備課に入りたいなと思ってる」
「どうして?」アリアは訊ねる。
「ジョウみたいな奴を見て、少し考えたんだ。山賊といっても好きでなったわけじゃないのが多い──んだろう、きっと。それでさ、戦う前に何とか対話って言うの? 説得できないかな、って。ほら、警備課に入れば接触することも多いだろう?」
「理想論ね」アリアがずばりと言って退けた。
ヴァンは口を曲げて、「わかってるよ。ミルドレッド警備課長にも同じこと言われたし……めちゃくちゃ困った顔で」
「想像できる」僕は笑った。「でも、そうか……良いね。対話で解決するなら、それほど良いことはないよ」
「まあな」
部屋を前にすると、また訓練場で、と言葉を交わして、僕らはその場で別れた。ノブを掴むと、上の空で机の前に座るリッケが待ち構えていた。彼は僕を見ると、
「終わったみたいだね」
「そっちは? レルはどんな具合なの?」
リッケはこめかみに指を当てると、「眠ったままさ。医者によれば、起きるのはいつになるかわからないって。個人差があるらしいんだ。人によっては一週間で目覚めたり、一年経っても起きない人もあるらしい」
「そっか……」
僕は椅子に座ると彼に対面し、何か慰めの言葉をかけようとしたが、何も出てこなかった。口の中が渇いている。
「気楽だったよ、僕は」と、リッケが口を開く。「まさかこんなことになるとは想像もしてなかった。乖離病のメカニズムもまだよくわかってないらしい。年輪のこともあって、研究が思うように進まないというんだ。僕は決めたよ。この病を治してみせる。資質が何だ、遺伝子が何だ。君は努力している。だから僕も変わるよ……医療部研究課へ転部しようと思う」
リッケは強い眼差しでもって、僕を見つめた。その瞳はまるでカナデのそれと同じ、固い決意に漲っている。僕は驚きと共に、彼とレルの未来に喜びがあることを祈らずにはいられなかった。
「そうか……応援するよ」
「ありがとう」
リッケは人の良い笑みを浮かべると、悲しみを思い出したように天を見上げ、涙を堪えた。