第二十六話
「年齢と年輪は、それぞれ別々の規則で老化を促している。年齢は時間の経過によって。年輪の方は経験と知識によって増えていく。だが奇妙じゃないか。どうしてそうも俺たちは老化しやすい躰になっている?」
「そんなこと知るかよ」ヴァンが吐き捨てるように言う。
「わかってないな。これは非常に繊細な問題だ。どうして二通りの老化をするのか? 周りの動植物を見てみろ。苗はそのようには育たない。魚も生まれてすぐ枯れ果てるなんてことはない。鹿や兎も、猪に馬だってそうさ。老化はすれど、それは年輪と関係がない」
「確かに──」アリアが呟く。
「おい、アリア乗せられるな!」
とヴァンが叫んだが、次いで呻いた。どうやら蹴られたらしい。
ジョウが鼻から息を漏らす音がして、
「まったく静かに傾聴してもらいたいもんだね。こいつ──ソウを見倣って欲しいものだ。さてと。じゃあ、講義を続けようか。俺たちには年輪があって、他の動植物にはない。それは何故? お嬢さん、わかるかな?」
「い、いいえ……」
「何でも良い。答えるんだ」
アリアの息が震えた。「私たち人間が特別だから」
「ほう、面白い。確かに特別ではあるな。だがそうじゃない。人間には元々、年輪などなかったんだよ。想像できるか? ……ソウ、お前ならできるだろうな」どうしてかわかるか、とジョウは仲間たちに向かって訴えかけるように、「カナデには年輪がないからだ。本当に特別なのは彼女の方なのさ。その娘は経験に縛られない。知識に囚われない。ただひとつ時間によってのみ老化する、それをお前は知っていたはずだからなあ、ソウ?」
「え?」ヴァンが素っ頓狂な声を出す。
「年輪を確かめてみたよ。何だ、あれは? いったい誰がやったのかは知らないが、お粗末じゃないか。笑っちまう出来だ……もしかしたら、ソウ、お前もここからわかったんじゃないのか? 年輪は痣であって溝ではない。そうだろう。その娘は俺たちとは違う。まったく別な人間だ」
ジョウはそう断言する。
「まさか──」ヴァンは鼻で笑おうとして、「いや、でも……」と、考えに耽った。
僕とアリアは何も言わない。もしかしたら、彼女はもっと前からわかっていたのかもしれなかった。カナデ本人から教わったという可能性もある。
ジョウは息を吸うと、また話し始めた。
「これでわかっただろう。彼女を調べれば年輪から解放される術が見つかるかもしれない。この娘は希望なんだ。俺にとってだけじゃない。お前たちにも関係がある。いや、もっと大きな存在だ──方法さえわかれば、この国を救うことだってできるかもしれない」
「そんなの理想論よ」アリアが布を噛ませながら、突っぱねるように言った。
「そうとも。だがそのための足掛かりにはなる。千里の道も一歩から。理想なんざ俺の代で果たされるとも思わんよ。俺はただ、彼女に自己犠牲を求めようとしているに過ぎない。自己犠牲というのは美徳だろう? なら、この娘も喜んで協力するだろうさ。その上、彼女の偉大なる死には誰もが平伏し、記憶として永遠に受け継がれるわけだからな……」彼は考えてみろ、と言う。「たったひとりの命で世界を救えるかもしれないんだ……安いものじゃないか?」
僕は我慢ならなくなって、蹴り付けてやろうとした。だがそんなことは叶わない。諦めると、代わりに、
「勝手なことばかり……あんたは姉さんの苦しみを知らないからそんなことが言えるんだ!」突然叫んだものだから、喉が痛くなった。涙が出てくる。「確かにカナデは特別さ、けれどそれは、他の誰とも分かち合えないという孤独でもあるんだぞ……それに、それに……! 彼女は僕を助けてくれた……それを、あんたは……姉さんの命が安いだと!? ジョウ、あんたは……!」
大きなため息が聞こえる。次いで、「安いさ」とジョウは酷く冷たい言葉を放った。僕は理解ができなくて、興奮も徐々に収まっていく。
「わからないか? ……命は安いもんだ。お前は狩りをしていたな。狩られた動物たちは皆、躰に大小はあれど、どれも同じ尊い命があったんだろう。だがそれも、死んでしまえば無に等しい。たった一発の鉛玉で消えるんだ。生き物は簡単に死ぬし殺される。それはこの世界の理──弱肉強食という規則の中にあるからだ。もっと言うなら、強さは関係ない。捕食する、されるという関係にあったからというだけのこと」人間も同じことだよ、と彼は続ける。「生きるために食べ、眠り、子を成して種を受け継いでいく。何故人は死ぬ? 石ころのように存在し続けることはできないのか? それどころか老化していくのはどうしてだ? 考えたことはないか、苦しんだことはないか、恨んだことはないか?」
ジョウの言葉に感情が抜き取られていく。淡々とした物言いに、僕は怖気を覚えた。
「人間は捕食の頂点に居るという。それは本当か? 俺は人が虎に、鮫に、猿に、猪に殺され、食われたのを知っている。人間も捕食関係の中に組み込まれているのさ。だから命は安い──その価値を論じるのならば、な。安いからこそ、食べるだけで命を等価交換し、俺たちは延命できる。命は尊い? 人生は美しい? ハッ……馬鹿らしい」
狂ったように笑い出すと、彼はそれにも飽きたと言わんばかりに押し黙る。
「馬鹿らしいのはあんたの方じゃないか」とヴァンが呟いた。「命が安いと思いたいだけだ」
ほう、とジョウは感心した様子で、
「お前、名前は?」
「……ヴァン」
「そうか。ヴァン。君はとても鋭い洞察をしてみせるな。今のは納得がいったよ。確かにそうだ。俺はこの命が安かったから、そういうものだとばかり思っていた。しかし、そうだったな……お前たちは拾われた人間だ。安くない人間だ。ならば理解できないだろう。これは理性ではなく、感覚的なものなのだからな。これ以上の対話は不能だ。しかし、最後にひとつだけ。この娘の同居人も驚いた話を聞かせてやろうじゃないか」
僕ははっとして、
「皆、聞いちゃ駄目だ!」
途端に腹を蹴られた。眩暈に胃液が込み上げてきて、僕は気分が悪くなる。
真っ暗な視界の中、ジョウの足音が遠ざかると、何処かに座ったのか、木の軋むような音がした。彼は上機嫌に鼻歌を披露すると、では聞かせてやろう、と声を潜めた。
「昔、焚書された本を盗んだことがある。何処のともつかない言語で書かれた本だ。必死になって読み解いていくほどに、そこには年輪に纏わる事柄が一切廃されていたことに気がついた。俺は不思議に思ったね。どうして記述されていないんだろう……ってな。だが読み続けてみて、ようやくその本が何故、秘匿されたのかがわかった。その本によれば、俺たちは──」
だしぬけに弾けるような音がして、正面扉から大きな物音がした。弾丸が飛び込んできたらしい。ジョウが舌打ちして、
「つい話し込んじまった……おい、お前ら。こいつらを盾にするんだ」彼は誰かに口を利くと、僕に向けて銃口を押し付ける。「いいか、変な気は起こすなよ……」