第二十四話
轍はどこまでも続いていた。線をなぞるように追いかけながら、今まで走り込みを行っていたお陰で、持久力はそれなりにできたらしいと自覚する。彼らが潜伏しているだろう隠れ家まで、多少の疲れこそあったものの、辿り着くことができた。
と、ここへ来て自分が手持ち無沙汰であることに気がついてやばい、と思った。何も武器がない。これでは姉を助けることは困難だ。窓は塞がれていて、中の様子は隠されている。何かないかと周りを見たが、細い枝か小石くらいしかなく、使えそうなものは見当たらない。
しかし折角ここまで来たのだ。
諦めて帰るという選択肢などあり得ない。
僕は頬を叩くと覚悟を決める。と言っても、戦う術もないのに単身突入するわけにもいかない。多勢に無勢である。リッケが仲間を呼んでくれていると願って、彼らが到着するまで、周囲を観察することにした。
出入り口と思しき扉はふたつあったが、その前には立番がそれぞれふたりずつ立っている。窓は全方位に設けられていたが、先ほど記憶した通り、どれもすべて板で塞がれて、そこから入れるようには思えない。
小屋の隣には馬車が止められていた。これを使ってカナデを連れ去ったのだろう。彼女を救い出した後にはこれを使って逃げることができるかもしれない。荷台に何かないか確認したいが、生憎とそこまでは近づけないので、潔く諦める。
見張りたちは長銃を手に、つまらなさそうに会話していた。聞こうにも声は小さく、また会話が途切れがちなため、情報は入ってこない。
さて。ジョウもあそこに居るとすれば、見張りも含め、少なく見積もっても五人は待ち構えている計算となる。体術にも自信はあったが、果たして上手くいくとも限らない。
カナデは無事だろうか。祈ることしかできないのがむず痒い。
ふと、正面の扉からジョウがひとりで出てきた。彼は見張りと何かを交わしている。それから馬車に乗り込むと、見張りのひとりに運転させ、どこかへと走り去っていく。
残りのひとりは、見送るようにぼうっと眺めていると、また立番の位置へと戻った。
まさか、荷台に姉は乗せられたままだったのだろうか……?
追いかけるべきか、それとも中へ突入するべきか──これからどうしようか、と思案していると、おもむろに肩が叩かれる。どきりとして振り返ると、真剣な表情を浮かべるヴァンがそこには居た。
「来てくれたんだね」
「まあな」
ヴァンが背後を見る。と、アリアが顔を出し、僕に模擬銃を差し出した。
「え、これを使うの?」殺傷能力が低いので、僕は落胆してしまう。
「ちょっと、殺すつもりだったの?」アリアが眉を顰めて、「幾ら何でもそれはダメよ」
「……そうだね。年輪にも影響が出るわけだし」
僕はそう納得することにした。
「で、奴らはどんな感じだ?」ヴァンが聞く。
わかった情報を伝えると、ふたりは難しい顔をさせる。訓練生三人では到底太刀打ちできるか、微妙な状況だからだ。その上カナデが小屋の中に居るのかも判然としない。
しかしこうしている間にも、カナデの身に危険が迫っているかもしれないことを思うと、じっとしていられないのも事実だった。僕は彼らに向き合うと、
「危険かもしれないけど、手伝ってほしい」
「そのために来たんだ」ヴァンは呆れたように言った。
「こんな状況だとは思わなかったけど」アリアは苦い顔で、ため息をつく。「それで、どうするの? 中へ入るのか……馬車を追いかけるのか」
どうすべきか迷いあぐねていたが、
「まだ見張りが残っている以上、カナデは中に居ると思う。まずは中を確かめたい」
それに、今さら馬車に追い付けるとも思えない。
「計画はあるの?」
「いや……何も」僕は頭を振った。
「対人戦もまだ経験してないしなあ」ヴァンは模擬銃を見つめた後、「こいつだってまだ完璧に扱えるってわけじゃないし。このまま突撃するのはやっぱり危険だ」
「じゃあどうする? このまま待つのもねえ……」
話しながら、次第にアリアは言い淀んでいく。下唇に痛みが走った。いつの間にか噛んでしまっていたらしい。にわかに血が出てくる。次いで、模擬銃を見つめた。実弾を伴わない、空砲による射撃が特徴であるこの武器で、いったい何ができると言うのだろう。
できること──それは何かを吹き飛ばすこと。そして、大きな音を響かせることだ。
「この銃で相手を撃つには、近づかないといけない」僕は誰にともなく呟いた。
「そんなの無茶よ」
そこへヴァンが続けて、「たとえ撃ったとしてもそんなにダメージは入らないぜ」
「しかも銃声は大音量……なんでこれを持ってきたの?」
思わず失笑してしまった。
ふたりはバツの悪そうな顔をして、口を曲げる。これしかなかったんだ、とヴァンは言い訳するように話した。別に責めているつもりはない。身振りでそう示すと、
「威力は筋金入りだからね。ここらにある小石を吹き飛ばすくらいはできるはずだよ」僕は言いながら思いついて、銃口内部に小石を乗せる真似をする。「こうすれば近くまで行く必要はないよね」
「成る程……」
ヴァンが地面から小石を摘むと、じっとそれを見つめると、ポケットへ突っ込む。予備弾薬だと彼は弁解した。僕とアリアも彼に倣う。
「狙ったところに飛ぶか心配ね」アリアがぼそっと呟いた。
「大量に詰め込めば良いんじゃねえか?」
ヴァンが冗談めかして言う。いや、もしかすると本気だったかもしれない。そんなことしたら弾詰まりするかもよ、と僕は苦笑しながら指摘すると、
「目標はカナデを救い出すことだ」と、僕は本題に戻す。「入り口はふたつ、僕らは三人。ふたりが陽動になって見張りを小屋からできるだけ離す。模擬銃は音だけは一丁前だからね……もしかすると銃声だけでも釣れるかもしれないけど、きちんと顔を見せて、追いかけたいと思わせるんだ。追いかけてきたら、地面を撃って砂塵を撒き散らせば煙幕にできる。イワシ作戦も有効かもね……。上手くいけば、小石が散って攻撃に転化できるかもしれない。でも距離を取るのが目的だから、無理に戦う必要はないよ」
「追いかけて来なかったら?」アリアが訊ねる。
「そうなると……」
カナデを庇ってネイアと共に籠城した、あの日と同じ光景が繰り返されるわけだ。僕は唾を飲み込む。
「力尽くってことになるかもね」
「だったら銃声は鳴らさないで、顔を見せるだけに留めた方が良いわ」
「ちょっと──ちょっと待ってくれよ」ヴァンは目を丸くさせて、「正気か? 相手は山賊だぞ。人殺しでの大幅な老化なんて歯牙にも掛けない。それどころか嬉々として撃ってくるんじゃないか……? そんな奴らとはまともにやり合わない方が良いぜ」
「何よ。怖気付いたの?」アリアは挑発するような物言いをしてみせる。
「違えよ。……ただ、正気じゃないってことさ」
「そうだね。僕もそう思う。でも彼女だけは絶対に助けないといけない」
「家族だからか」
わかりきったことだとでも言いたげにヴァンは言った。僕は頷く。確かにそれもあった。けれど、理由はそれだけではない。カナデには拾ってくれた恩がある。年輪に囚われないという、秘密のこともある。
「もし、籠城したらふたりは逃げて欲しい。追いかけられても、同じようにできるだけ遠くへ──学校まで逃げるんだ。それまで、ふたりには小屋の中へできるだけ多く小石を飛ばして欲しい」
「どうして?」アリアが聞いた。
「即席の爆弾だよ」
「爆弾……?」
「もしもの時、奴らをあの小屋から追い出すためのね。僕は助けが来るまで、ここでどうにかするから」
「どうにかってどうするんだよ」ヴァンは苛立ったように頭を掻き毟ると、「良いさ。俺はあん時一度死んだんだ。今更何を恐れるってんだ──やろうじゃないか」
彼の言葉に、アリアがニヤリとした。
「まったく、決断まで時間がかかるんだから。……ねえ、ソウ?」
「ありがとう」
僕は泣きそうになって、無理やりに笑顔へと切り替えた。