第二十二話
休憩時間も過ぎ、僕はまた訓練場へと足を運ぶ。レルとの会話から得られた学びを元に、新たな作戦を立てた。合言葉は『慮る』だ。
「今回こそ息を合わせよう」ヴァンが僕とカナデの肩に手をかけた。「的をすべて撃ち尽くしたと思ったら、肩に手を置くんだ。あとはやってみるしかない」
彼の言葉に、僕ら三人は首を縦に振る。
「それと、カナデを先頭に立たせるのはどうかしら」とアリアが提案した。「私たちは残りを始末していくの」
良い考えだと思い、僕は同意する。
真上にてデミアンが懐中時計を動かし、
「皆、用意は良いな?」と聞いた。僕らのが頷くのを見ると、「それでは、始め!」
カナデは勢いよく扉を開けて、飛び出した。続いてアリア、僕、最後尾にヴァンが付く。カナデが一歩足を踏み入れた瞬間、的が顔を出した。彼女は反射的にこれを撃つ。アリアと僕は姉の撃っていない箇所を記憶から探り、ひとつずつ処理していった。
漏れがないかヴァンが目を光らせる。残りはひとつもないとわかると、「クリア!」と声を掛け、彼は僕の肩に手を置いた。同じように、彼女の肩に手をかける。アリアはこれを受けて、カナデを叩いた。
姉は更に前へと進み出る。
「一分経過!」上からデミアンの声。
狭い通路を進みながら、次々と的を撃っていく。引き金が重たい。次第に指が痺れ始めた。自分の躰にに鞭打つと、歯を食い縛る。
「二分経過!」
通路を抜け、広場に出た。眼前に構える建物の屋上と、大きく穴の空いた壁から的が見える。ここからでは届かない。足を踏み入れると、スイッチが作動した。連動して現れる的を対処すると、互いに声を掛け合い手を置き合い、屋内へと歩を進める。
「三分経過!」
物陰に隠れた的を見つけ、応射した。二手に分かれて別々の場所を視認、ふたりがタイミングをずらして発砲と装填を行うことにより、無駄のない連携を図る。このためには常に他者の動きを記憶しておき、それに合わせた動きをして見せなければならない。判断が遅くても早くてもいけないため、カナデには特に大変だ。
合流し、階段を駆け上ると、屋上を目指す。
「四分経過!」
引き金にかけた指に力を入れ、的を撃破した。的は爆風に煽られ壁に引っ付く。僕らは的をひとつも見逃さないよう気を付けながら、また、時間のロスにも配慮した。互いに肩を叩く。僕らは走り出した。後は出口へ急ぐだけだ!
カナデが出口の扉を開け、中へ走り込む。僕らは彼女の後を追うように走った。
「五分経過!」
その声と同時に、ヴァンが思い切り滑り込む。足先は扉より先へ越え、制限時間ぎりぎりに辿り着いた。肩で息をしながら、その場に座り込む。ヴァンが地面を蹴り飛ばしたからか、砂埃が出て、僕は咳き込んだ。
上からデミアンが降りてくると、僕たちは揃って顔を上げる。彼女はお疲れ様と労いの言葉をかけた後、
「やるじゃないか」と、口元を綻ばせた。「五分ぴったりだ」
僕たちは顔を見合わせる。
「よっしゃあ!」
全員同時に雄叫びをあげた。躰はもう汗と泥に塗れている。疲れていたはずなのに、それも忘れて暫くの間、歓喜の声が絶えることはなかった。
夕食時には四人とも喉を枯らしていて、
「いただきます」という声が老人のように嗄れている。カナデが他人事のように笑い、レルも控えめにくすっとしていた。
味は記憶に残るから、ゆっくり食べる必要もない。とにかく時間が惜しいので、料理を口へ掻き込んでいく。カナデがはしたない、と苦い顔をさせているのが見えた。申し訳ないけれど、どうやらここに染まってしまったらしい。
ヴァンやアリアと競うように食べ進めると、皿には何も残っていなかった。虚無の時間を過ごした後、自室へ向かおうとするカナデを呼び止めた。
「どうしたの?」と聞く姉に、
「知らせたいことがあってね。大事な話だから、誰も居ないところにしたいんだけど」
「じゃあ私の部屋でも良い?」カナデは小首を傾げる。「あ、そうだ。レルにも聞いとかないと。同じ部屋なの」
成る程と相槌。彼女が承諾を得てくると、僕らは場所を移した。
ふと、横に並び立つ姉の背が僕より低くなっていることに気付いて、こんなに小さかったっけ、と混乱するけれどそうではない。僕が成長し、追い越してしまったからに違いないのだ。
椅子に腰掛けながら、まずため息を吐く。誰にも秘密を漏らしてはならない息苦しさと、言い知れぬ罪悪感とが綯交ぜになった、この嫌な感じを吐き出したわけだ。
年輪はどうしているのかと聞くと、彼女は手の甲を差し出し、
「グリットにやって貰ったの」
と言って、ネイアがしてくれたような刺青がそこには加わっている。
「それで、知らせたいことって?」
手短にジョウがどこからカナデを知ったのか説明した。彼女は真面目な顔つきになって、そうなんだねと頷く。
「一応言っておこうと思って」
「ありがとう」それから息を漏らすと、「ジョウはまだ私を追いかけてると思う?」姉は悪戯っぽい顔つきで言った。
冗談混じりに言ってみせたのは、敢えて明るく振る舞うことで、不安を乗り越えようとしているのかもしれない。
僕は言葉を選び、
「どうだろう。彼はノルンとの会話の後に、僕らの家を襲ったわけだよね。それで、ミルドレッドに退治された。だったら、もう来ないんじゃないかな」と、できるだけ楽観的なことを話した。
「退治ね」カナデはくすっと笑う。「グリットも同意見なんだけどさ、ミルドレッドは警戒しているみたいなの」
「ミルドレッドが? へえ……」
「心配性なんだろうね」それはミルドレッドのことだろうか。それとも姉自身の話だろうか。「あの時は諦めてくれたけど、この後どうなるかわからない、って……」
「流石に学校までは入って来れないよ。人が多すぎるもの」
「でも相手は山賊なんだよ?」
「まあ、ね──」でもと言って、僕は反論した。「たとえ襲い掛かってきたとしても、こっちには皆が居る。僕だって──それに姉さんも──伊達に訓練してないよ。何かあったら対処できるはずさ」
もうあの時の僕とは違うのだ。ネイアを見殺しにするようなことは繰り返さない。カナデを失うわけにはいかないのだ。手が届く限り、救えるのなら何をしてでも救ってみせる。
「ありがとう」
と、カナデは言った。顔は笑っていたが、涙声だった。きっと緊張の連続だったに違いない。事あるごとに大丈夫と言っていたのは、自分に向けて言い聞かせていたのだろう。いつ秘密が漏れるかも知れないのだから。
「じゃあ念のために、これからも定期連絡しようか。グリットやミルドレッドも居るから、大丈夫だとは思うけど」僕はそう提案する。
そうだねと姉は頷き、「ごめんね、心配かけさせちゃって」
「家族だからね。これくらいは良いさ」そこまで言うと、何だか眠たくなってきて、生欠伸が止まらなくなった。「そろそろ帰るね。おやすみ」
「うん、おやすみ」
僕は寝床へと戻ろうとして、
「ああ、そうだ、姉さん。僕に気なんか遣わなくて良いからね」
「……そうだね。ありがとう」
「僕は味方だからさ」
扉を閉めて、眠気にゆらゆらと歩きながら自室へ引き下がる。リッケの挨拶に生返事すると、速やかにベッドに潜り、目を瞑った。微睡みがすぐに出迎えて、するりと意識が抜け落ちていく。
だからリッケが居なければ気が付かなかっただろう──事件がその晩に起こった、ということに。