第二十話
夕食を終えると、休憩のために食堂を後にする。談話スペースにでも足を運ぼうか、というときに、レルから話しかけられた。珍しいなと思いながら、
「どうしたの?」
「もしかして、ミルドレッドと何かあった──の?」
不意の指摘に吃驚して、僕は彼女を見つめ直す。
「何でそう思うの」
「だって、あの人が離れて、ため息をついてたから」
「ため息……?」
まさか、そこまで見ていたのか。僕らの記憶力は僅かなものでも忘れないから、些細なことでも気をつけなければならないようだ。
「緊張していたんだよ」と、これまた嘘でもない言い訳をする。
「凄い人なの?」
「うん……とても。前に山賊に襲われた時、僕とカナデを守ってくれたんだ」
「そうなんだ」レルは躊躇いがちに、「ねえその話、教えて」と言ったので、僕は意外に思った。
「良いよ」
言ったは良いが、どのように説明するか、と頭の中で整理しながら、長くなるかもしれないからとレルに座るよう促した。休憩時間はこれで潰れてしまうかもしれないが、話し方によってはカナデの秘密から遠ざけられるとも思われる。
こうした理由から、僕は記憶の断片を演出と合わせて彼女に見せることにした。すべて話し終えると、レルは凄いねとミルドレッドを褒めた後、
「カナデってベビーフェイスなんだね」と、感心したように言う。「羨ましいなあ」
曰く、姉は昔から歳を感じさせないところがあって、僕は彼女がベビーフェイスなのだろうと思う──と老化しないことの言い訳をしてみたのだが、果たして納得させられたかどうかはわからない。
けれどまあ、これである程度の抑止にはなるだろう。レルはカナデと同じ学部にあるから、彼女を通してベビーフェイス説でも広まれば、疑いが向けられることもあるまい。そう思い、僕は雑談の中に織り交ぜて屁理屈を並べ立てたのだが、どこまで通用するだろうか?
可能性の種は芽吹くまでわかりようがない。取り敢えず今回はここまでで良いだろう。僕はレルと別れると、訓練場にてランニングし、帰ってくるなり疲れた躰をベッドへ投げ込んだ。
リッケは椅子にもたれながら、本を読んでいる。表紙を見れば、
「それ僕のじゃないか」と、本棚の空きスペースを確認してから指摘した。
「借りてるよ」リッケは悪びれることなく言う。
まあ彼なら別に良いかと思い、「あいよー」と返事。
寝に落ちるのは刹那のことだった。その間際に聞こえた、彼の「面白いじゃないか、これ……」という言葉がこの日最後の記憶になった。
そして翌朝。
「さて、今回から実戦練習に移行する」
デミアンは声高にそう言った。彼女は訓練となると性格が少しキツくなるらしい。口調にも変化が生じている。
「今回から特別講師としてグリットが来てくださることになった。彼は保安部の部長──つまるところの偉い人、皆さん頭を下げましょう」
言われるがまま、僕たちは頭を下げる。デミアンの指示に従わなければ、外周を走らされるからだ。訓練生たちが一斉に、何の躊躇もなく頭を下げたことにグリットは満足したらしい。デミアンに頷いてみせると、
「頭を上げなさい」と言った。僕らはその通りにする。彼は小さく嘆息して、「私は保安部長のグリットだ。宜しく頼む」
彼はそれきり黙ってしまった。相変わらずの寡黙ぶりに僕は失笑してしまいそうだったけれど、そうはいかない。デミアンの一声で、代わりに膝が笑うことになる。デミアンは彼のことを熟知しているのだろう、特に戸惑いは見せなかった。
彼女は背中に掛けられた銃を手にする。それは横にした広口の花瓶に、持ち手とレバーが付いたような形をしていた。
「これは模擬銃だ。人を傷つけるようにはできていない」銃を傾けて、全員に装填部がないことを示す。「実弾は込められないが、レバーさえ引けば空気が撃てるようになっている。試しにここにある木を撃ってみよう」
デミアンは片手で銃を構えてみせると、雷鳴が轟いたような銃声と共に、大きな反動に肩を揺らした。木はと言えば、風圧に押されていたが、枝葉を揺らすのみでどこにも傷は見当たらない。
彼女はこちらに向き直り、にかっと笑うと、
「このように、物を破壊するほどの力はない。だから安心したまえ、人に向けて撃っても問題なし!」
些か表現には問題があったような気がする。グリットも苦い顔をさせてデミアンを見ていた。彼女は更に続けて、三人ほど捕まえると、近くに並ばせる。彼らは現役の保安部の方たちであると言った。デミアンはこれから彼らを撃つという。
僕たちはぎょっとしたが、グリットも彼らも特に気にしたふうではない。とは言え撃たれるのはやはり嫌なのだろう、表情にはしっかりと出ていた。彼らは近距離、中距離、遠距離という別の場所に立たされるなり、
「では、これから撃っていくよ。歯を食いしばって」デミアンは笑顔を浮かべる。
爆発音。
同時に、近くに立っていた男が後方へと、くの字に躰を折り畳みながら吹っ飛ばされた。凄まじい衝撃が音圧となって周囲を圧倒する。これは撃たれて大丈夫な音ではない。僕らは固唾を飲んで、彼の安否を心配した。
だが、男はやれやれと言いながら服を手で払うと、「もうこれで良いか」と聞いて、多少よろめきながら立ち去っていく。
デミアンは銃口を地面に、
「とまあ、こんなふうに近くから撃たれると吹っ飛ぶんだね。でも大丈夫、痛くないから。ほら、あんなにぴんぴんしてる。では次に、中距離に立つ相手を撃つとどうなるかな?」
彼女はレバーを引いた後、ふたりめの男へ狙いを向けて、引き金を絞る。デミアンは遠慮なく撃ち、彼が被弾するなり尻餅をついたと見て取ると、
「中距離になると、少し威力は下がってしまうけれど、まだ届くね。あっ、君ももう行って良いよ」
男は小さく会釈すると、駆け足で姿を消した。デミアンはまた、銃を構え直す。
「今度は遠距離だ。見ていてね」彼女は空気を撃ち込む。
轟音によって空気が放出され、砂塵が舞ったのがわかったが、男は被弾した様子がない。前髪が少し揺れたくらいで、無事である。デミアンは彼も帰すと、僕らの方へと近づき、
「遠距離はこんな感じに、まったくと言っていいほど届かない。この模擬銃は近から中距離までを専用としている。もうここまで言えばわかるかな? これから君たちにはこの銃を使って、四人一組で模擬戦を行って貰う。その成績によって、進路を決めるわけだね。試験は今から三カ月後。それまでは的を使っての射的訓練、対人戦の練習を行っていくから、その間に模擬銃に慣れておいて欲しい」
アリアが挙手した。デミアンが質問を許可する。
「メンバーは独自に決めても良いのですか?」
「うん、そうしよう。人数的にも余ることはないだろうから、早めに作っておきなさい」
アリアは頷くと、カナデと僕、それからヴァンを見つめた。口だけで、決まりねと彼女は言う。僅かに顎を引くことで、同意を意思表示した。
デミアンから模擬銃を手渡されると、早速構えてみた。と、何処かで銃声がして、振り返ってみれば、彼らはふざけて撃ち合っているらしいのがわかった。グリットが近づき、彼らから模擬銃を無理やり取ると、デミアンに指を回してみせる。
デミアンは仏頂面で言った。「外周、十五分!」
僕は引き金から指を離すと、地面に下ろす。彼らは文句も言わずに走っていった。デミアンは厳かな雰囲気を醸し出すと、空咳させて、
「まだ説明の途中なので、撃ったりしないように。……言うの遅いかもしれないけど、ね。それはさておき、これから射撃場を使って制圧訓練をするよ。今のうちにメンバーを作ってね。できたチームから来るように」
言い終えてから、デミアンはグリットと伴って先に行ってしまう。僕ら四人は早足で付いて行った。足音でわかったのだろう、デミアンが首だけでこちらを見ると、
「おお、早いね。じゃあこれから行う射的訓練の説明をしようか。内容はとても簡単。用意された的を、時間内にできるだけ早く、全部撃ってくる。これだけだよ」
一回限りというわけでもないし、やってみればわかるからと言われ、僕たちは射撃場へと階段を降りた。デミアンたちは高台からこちらを見下ろしている。アリアが扉の上に手を置くと、合図を待った。
「変則鬼ごっこを思い出すわね」背後からでも、彼女が笑ったのがわかる。
「少し形は違うけどね」言いながら、カナデは頷いた。
真上ではデミアンが懐中時計に触れている。
「制限時間は五分。この入り口から入って、出口へ向かうまでに的をすべて撃ち尽くしてくること。撃ち漏れがあればその都度、戻るように。それでは、用意……始め!」