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第十九話

 銃身の長い鉄砲を持ち、鎧を全身に着込みながら、訓練場を走って一周する。その距離は一周につき一キロメートルほどらしい。走ってから数十分すると、息も上がり、躰が重く感じられた。先導するデミアンは顔色ひとつとして動かさず、それどころかこちらに向かって何度も檄を飛ばす。

 彼女に必死になって付いていくと、次第に骨が軋み、筋肉が痛み出すような気がして、思わず呻き声が漏れてしまった。下唇を噛みながら耐えようとするも、視線はどうも下へと向いてしまう。重力に逆らうだけの力も失ってきたようだ、なんて他人事みたいに考えながら、僕は膝を前に出し続けた。

 これも、ネイアとカナデへの恩返しのために行うのだ。だから諦めたりはしない。

 本来なら、僕はあの時に死んでしまってもおかしくはなかった。そんな暗澹たる運命を彼女たちが変えてみせた──未来に続きを与えてくれたわけになる。嬉しいことじゃないか。僕はどうしても、それに応えたい。

 気がつけば夜になっていた。デミアンは今日はここで解散、と告げてから、明日もまたランニングを行うという。くたくたになりながら、僕はくたくたに草臥れた姉やヴァン、アリアと肩を預け合いながら、何とか震える足を引き摺り、部屋へ戻る。

 同居人たるリッケとは、何か挨拶したような気がしたけれど── 枕が変わったことから、僕は今、新生活を営んでいるのだと自覚してわくわくする間もなく──気がつくとベッドの上で朝を迎え、また訓練場に立っていた。そして、走っている。

「よし、もう一周!」

 デミアンは楽しそうに声をかけ、僕たちは死人めいた弱々しい声で、応、と喉を鳴らした。

「声が小さいッ!」

「応ッ!」

 下を向いて、上を向くと、僕はいつの間にか食堂に座っている。あれ、僕はどうやってここまで来たんだっけと思いながら、まあどうでも良いかと思い直して、パンやらおかずやらスープやらを口の中へ掻っ込んだ。

 隣を見ればアリアもヴァンも、まるで血に飢えた獰猛な猛獣かのような形相で、目の前に並べ置かれたエネルギー源を食べ進めている。この後はまた走り込みに違いない。だから今のうちに食べておかねばきっと、くたばってしまうだろう。

 カナデだけは上品に食事していた。

 朝食の次には銃の扱い方を習った。教師はミルドレッドである。ネイアからある程度教わっていたが、猟銃のそれとは構造が異なっていたから新鮮だった。一度触ってみて、分解し、再構築するとすぐに覚える。とは言っても、これは皆が皆そうだった。ミルドレッドの説明が上手いわけではない。

 しかし姉ばかりはそうもいかなかった。何せ僕らほどの記憶力がない。だからその度にミルドレッドが誤魔化そうとすべく、注意を逸らすのだった。

 装填はこうするんだ、弾詰まりを起こしたらこうしろ、銃は恋人のように扱え、恋人は赤ん坊のように大事にしろ、赤ん坊とは触れてしまえばすぐに壊れてしまいかねない危うい存在、それはソウみたいに──

 なんて言うふうに。

 このミルドレッドの脱線に次ぐ脱線と僕への怠絡みによって──しかも、彼女は僕の赤子の姿を見ていないはずだ──幾度となく説明は滞ったが、お陰でカナデの秘密は守られた。……代わりに僕が恥をかくことによって。

 そうして昼食の時間となり、束の間の休憩も瞬きすればふっと終わる。

「ランニング!」

 デミアンの掛け声と共に、僕らは走り、走り、走り続けた。

「私が言ったら皆も繰り返せ、いくぞ、根性!」

「根性」

「声が小さい!」デミアンは性格が豹変して、「根性ォォオ!」

「こ、根性!」

 根性、根性と繰り返される奇妙な掛け声に合わせて、右左と足を運ぶ。数十分これが続いた後、彼女の終了の合図と共に、僕らはくず折れるように地面に倒れ込んだ。ようやくこれで休めると思いきや、今度は、

「組み手!」

 なんて元気な声によって、僕らは体術を学ぶことになる。筋肉という筋肉が悲鳴をあげていたが、それでもやらねばならない。カナデはアリアと、僕はヴァンと向かい合う。

 地面に叩きつけられるたびに息ができなくなり、交代して打ち付けてやる時には、罪悪感よりも爽快感の方が上回っていた。

 ……どうやら僕は、この場所に毒されてしまったらしい。

 ある程度の練習に片がつくと、解散の運びとなった。日の明るいうちに夕食の時間となり、食事の席に着く。……と、鬼の形相で皿に手をつけるのだ。

 向かいの席にはあまりの疲労から呆然とししているカナデが、何も言わず天井を見上げている。その隣ではレルが、驚きを通り越してまじまじと僕らを見ていた。

「見せもんじゃないぞ」とヴァンが咀嚼しながら話す。

「汚いわ……もう」アリアが目を逸らした。「口の中見えてる」

「いつも大変そうだね」レルが僕に同情的な目線を寄越す。

「うん、大変」

 と言おうとして、あまりの疲れからすべてに濁点がついた奇妙な発音となった。ヴァンが爆笑し、数秒間喉を詰まらせた後、

「俺を殺す気か!」

 と、僕に凄んだ。が、それは僕の責任じゃないと思う。首を緩やかに振って、否定した。

「明日は実戦練習するらしいわ」

 アリアはハンカチで口元を拭きながら言う。カナデがへえ、と気のない相槌を打った。ちらりと横目に見れば、アリアの皿はもう綺麗さっぱり何もない。

「もう、食べ終えたの?」あまりに早すぎる、と恐れ混じりに訊ねると、

「それが淑女に対する聞き方かしら?」と、返される。

「実戦練習って何するんだ?」

 隣からヴァンがアリアに向かって聞いた。彼女はさあ、と両手をあげてみせる。

「射的とか?」僕は言った。

「それとも国境を越えて山賊と戦っちまうか?」ヴァンは目を爛々とさせながら立ち上がると、力のこもった指でパンを握り潰す。

「食べ物を粗末にしちゃ駄目」

 カナデが苦言を呈すると、横でレルもこくこくと頷く。ヴァンは唇を尖らせながら、大人しく座った。アリアはこちらには興味なさそうに思案気に俯くと、ふと、

「模擬戦とかかしらね」と、呟いた。

「それって何するんだ」ヴァンが問いかける。

「例えば……五人一組になって旗を取り合うとか」

「銃を使って撃ち合ったり」僕は言った。

「それは危ないね」と、カナデ。

「でもそうしないと訓練にならないだろ?」ヴァンが頬に食べ物を詰め込みながら言う。

「訓練用の銃があったりするのかな」僕は何の気なしに言ってみた。「例えば偽物の銃とか」

「空砲なの?」レルが首を捻る。

「それじゃあ撃たれたかどうか判断がつかない」ヴァンが否定した。

「ペイント弾でも使うのかしら」アリアが独りごちる。

「ああ、それならあり得るかもな」

 ヴァンが頷いていると、突然、肩を震わせた。誰かがそこに手を置いたらしい。驚いて彼は硬直したのだ。

「何の話をしてるんです?」それはミルドレッドだった。「私にも聞かせてくださいよ」

「明日の実戦練習って何だろう、って話し合ってたの」カナデが簡単に纏める。「ミルドレッドは何か知らない?」

 アリアとヴァンが緊張した様子でミルドレッドを見つめていた。多分それは、憧れや羨望の眼差しなのだろう。しかし僕は別の緊張を覚えていた。裏切り者かもしれない、という疑念である。

「さあ、私にはさっぱりですね……」カナデに答えた後、ミルドレッドは僕に目を向け、「どうしたんですか、そんな酷い顔をして」

「多分疲れてるんだろうね」

 嘘はついていない。他人事みたいに言ったためか、ミルドレッドは朗らかに笑ってみせると、今日はよく眠ってくださいと言って、その場を離れて行った。誰にも聞こえぬよう、僅かにため息をつく。ヴァンとアリアのふたりが盛り上がる中、僕は遠ざかる彼女の背中を冷ややかに見つめていた。

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