第十七話
僕はいわずもがな、カナデとヴァン、アリアも保安部を志望した。保安部を担当していた在校生のひとりが紙を持っている。彼は背が高く、肩幅も広かった。他の人と比べると、彼の持つバインダーに挟まれた紙が、非常に小さく見えた。
列に並び、署名すると、僕は彼のように躰が大きくなるものだろうか、なんて心配を抱えたが、アリアは即座に、
「あら、あの人は女性よ」と、斜め上の返答をするので、僕は言葉が出ない。「私もああなりたいわ」
「マジで?」
ヴァンが目を剥いた。声に出さず、口だけで男じゃないのか、と動かす。
「なりたくないの?」
「そうじゃなくて──いや、それもマジか」
アリアが僕とヴァンの両方を見る。カナデはにこにことしながら、
「良いじゃなあい」と乗り気だ。「アリアって男になったら凄いカッコ良さそう」
僕とヴァンは共に何と言えば良いのかわからず、唸り合った。彼は訥々と言葉を絞り出しながら、
「いや、良いと思うけど。アリアが筋肉ムキムキってのは、ちょっとな……想像が──」ぐふっ、と彼は吹き出す。「……つかないかもしれない」
「今想像して笑ったでしょ」アリアが睨む。
「いや……」
笑いを噛み殺すようにして、ヴァンは視線をこちらに寄越した。目が笑っている。
「アリア、彼はギルティだ」
僕は目を瞑り、厳かに頷いてみせた。アリアの凶暴な瞳がヴァンを射抜く。彼はどうして裏切ったんだとでも言いたげに、悲しみで満ち溢れた顔をしてみせた。
アリアが彼の首を腕で締めてから暫くして、レルがちょこちょこと歩いてやって来た。彼女は保育部を選択したらしい。理由を聞いてみれば、
「子どもが好きだから」と無邪気な笑顔を浮かべる。
まるで幼児みたいだ。これではどちらが保育士なのか見当もつかないのでは──と考えて、流石にそれは失礼だと思い直す。
それから名簿順に名前が呼ばれると、僕らはそれぞれの部活動のために解散となった。話によれば、これから寮生活となるらしい。カナデと別々の部屋で暮らすのは心配になったが、彼女は僕の不安に気がついたのか、軽くウインクしてみせた。
……まあ、彼女なら大丈夫だろう。
不思議とそう思わせる何かが彼女にはあった。何かあれば、グリットやミルドレッドも──表面上は──助けてくれるに違いない。後は彼女に任せるとして、僕にできるのはある程度の協力と、幸運を祈ることくらいだろう。
先ほどの保安部担当の女性──名前はデミアンというらしい──は、僕の目指す先でもある護衛科の人間だった。彼女は在校生ではなかったらしい。どうして彼女が来たのかといえば、曰く、
「山賊が活発になって、春は色々と忙しいからね。皆思うように来れないんだ」ハスキーな声で彼女は言う。「それに引き換え、私たちはとっても暇。護衛するにしたって、そもそも守るべき貴族様は少ないからね。とは言え何かしら仕事はしないといけない。サボるなんてあり得ないし。……ということで、ここに来たってわけ。うちの良い宣伝にもなるし、ね」
最後の一言が、きっと一番の理由なのだろう。僕らはへえとかほお、とか言って耳を傾けていた。デミアンは落ち着きのある微笑みで、この中に護衛科を志望する者は居るか、と訊ねる。
手を挙げたのは、僕とヴァン、そしてアリアの三人だった。意外に思ったのは僕だけじゃないらしく、互いに目を丸くした顔を見合わせて、苦笑する。デミアンも爽やかに笑い、
「どうして入りたいのかな?」
「それは評価に影響しますか」アリアは抜け目なく質問した。
「印象には残るだろうね」
アリアは目線を上げると、「恩返ししたいんです」と、話す。「私は孤児でした。川に流され、溺れかけていたところを兵士さんに拾われ、命拾いしたんです。彼はどこの誰なのか、知りません。でも彼が護衛科の人間だったらしいことを、服装からわかりました。私は彼のようになりたい。彼のような、志高い人間に」
「それはそれは……大変素晴らしいね。でも、それなら保育部でも良かったんじゃない? 人を育てることはとても重要な仕事だよ。恩返しなら、そちらの方が良いと思うけど」
「それは……」アリアは押し黙ってしまった。
デミアンは慌てたように、
「ああいや、ごめんね。君の意思はとても良いものだと思うよ。私も応援する」
「ありがとうございます」
「じゃあ、君は?」デミアンがヴァンに訊ねる。
「俺はミルドレッドに憧れて」
そう言うと、背後から俺も僕も、と口々に同意の声がした。デミアンはへえ、と頷きながら、
「確かにミルドレッドは格好良いもんねえ。強いし、儚いし……」
デミアンの目が乙女のそれに切り替わる。最後の発言には、どうも理解が追いつかなかったけれど、僕は何とか頷いた。でも、と彼女は夢から醒めると、
「ミルドレッドは護衛科じゃなくて、警備課だよ」
「あれ、そうなんですか?」ヴァンは素っ頓狂な声をあげた。
「君は?」
デミアンの質問が僕に移り変わる。カナデのことを言うわけにもいかず、僕は何と答えるべきか迷ってしまった。
「そうですね……必要性に駆られて……」なんて苦しい言い訳だろう。
「必要性?」
デミアンの瞳が光り、好奇心が宿ったのがわかった。詮索されるのは拙い。場合によっては、過去を捏造するべきだろう。
「ええ、まあ……守らなくちゃいけない人が居るんです」と、言葉を濁した。嘘は言っていない。
「気になる発言だね」
デミアンは目を細め、僕を見据える。目を逸らしたかったけれど、見つめ返した。彼女は口元を綻ばせると、乙女モードに切り替わったらしい。ふふっ、と可憐な笑みを溢す。
ヴァンが少しぞっとしたようだった。
突き当たりまで着くと、彼女はここだ、と逞しい腕で扉を叩きながら、中へ入っていく。
長い通路には、沢山の扉が並んでいた。それぞれに番号が割り振られており、デミアンがそのうちの一室を開けると、中は居住スペースであることがわかった。
「ここは二人部屋だ。基本的にどこの部屋もこんな感じだね。共有する相手は同じ部の人間とは限らないけど、まあ我慢してね」
通路を渡ると、先には共用スペースが広がっている。食堂や洗濯、トイレや訓練場と題された部屋へ続く道だったりと、様々に分岐していた。既に先に住んでいるらしい先輩たちも僕らに気付くと、がやがやと集まってくる。
デミアンはそれを手で払うように散れと言いながら、
「とまあ、こんな感じだけど、すぐに慣れるからね。今日はまず部屋の割り当てから行こうか。どこの部屋かはこの紙に書いてあるから、確認しておいてね。荷物の整理が終わったら、早速訓練だよ。訓練場に集まってね。それじゃあ解散!」
と、彼女は両手を鳴らした。