第十六話
僕ら三人は案内に従いながら、校舎を渡り歩いた。中は人で溢れている。多分、入学生なのだろう──僅かでも油断すれば、皆とはぐれてしまいそうだった。こんなところで迷子になるというのはとても恥ずかしい。大量の顔が目に入って、瞬時に記憶されてしまい、少しばかり手の甲が痛む。僕と違って、カナデは無傷なのだろうと考えると、少しだけ羨ましい。
人の群れを掻き分けるように歩みながら、そう言えば保育所の皆はどこに居るのだろう、と不意に疑問に思って、先へ先へと急ぐヴァンに向け、
「アリアたちは一緒じゃないの?」と僕は聞く。
「いつも一緒ってわけじゃない」
「でも、同じ保育所じゃない」
ヴァンは鼻を鳴らすと、
「あいつらはもう先に行って待ってるぜ」首だけで振り返りながら言う。
「へえ……。じゃあ、ヴァンは僕たちと同じくらいに着いたってこと?」
「いや」
「いや?」
カナデは聞くと、二秒ほど遅れてから、何かに気がついたように笑い出した。僕は尚もわからないので、
「どうして正門に居たの?」
訊ねると、彼はニヤリとして、
「お前たちを待ってたんだ。案内が必要だろ?」
「あら」と言って、カナデは目を三日月にする。「それはそれは……」
「信じてないな?」不服そうに彼は眉を吊り上げた。
「案内ならそこらじゅうにあるもんね」
入学生はこちら、と書かれた貼り紙や吊り下げ広告、在校生か或いは先生と思われる人々によって、進むべき道へと流れはできていた。僕の指摘にヴァンはムッとしたような顔を見せると、前へ向き直り、黙ってしまう。
カナデと目を合わせた。
「怒らせちゃったかな?」彼女の目が笑っている。
僕は肩を竦めてみせた。
入学式は体育館と呼ばれる大広間で行われるらしい。天井は吹き抜けになっており、目も眩むほど屋根は高かった。前方には一段高く床が迫り上がっている。恐らく、壇上に人が立つのだ。窓から日差しが入り、室内が明るく照らされている。そのため皆の顔が鮮明に見えた。
流し見していると、その中に覚えのある顔が目に入る。アリアだ──彼女はレルと話し込んでいた。ふとこちらに気付き、視線を交わすと、あっという表情を浮かべる。やがてこちらへ来ると、
「来たわね」アリアは口角を上げて胸を張った。「それにしても遅かったじゃない」
「牛に乗ってきたからね」僕は冗談を呟く。
「牛?」レルが首を傾げた。
「ごめん、意味はないよ」
「ヴァンもこんな日に限って寝坊するなんてね」アリアは彼に向けて、「いつもは鶏並みに早く起きるのに」
そうなんだと思ってヴァンを見る。彼は苦虫を噛み潰したような顔で、
「煩いな、眠れなかったんだよ」と弁解した。
「そんなことだろうと思った」カナデは微笑を浮かべる。「目の下に隈ができてるからね」
ヴァンはやれやれと首を振ると、式が始まるまで歩こうぜと提案した。一番の理由は彼女らから離れたいと思ったのだろう。特に断る理由もなかったので、素直に応じた。
彼は頭の後ろで腕を組みながら、
「それにしても、まさかお前らが訓練学校に来るとは思わなかったなあ」
「どうして?」
「そりゃだって……あの家でも充分暮らしていけるじゃないか。狩りをしながら、たまに孤児を保護して、保育所へ連れて行く。金は出ないみたいだけどよ、礼の品として食べ物は貰えるんだろ?」
「まあね」僕は目を逸らす。
「そう言えばネイアは来てねえの?」ヴァンは何気なく言った。「見当たらないけど」
胸が大きく鳴らされて、思わず立ち止まる。あの日に起こったことが思い起こされて、少しだけ息が苦しくなった。ヴァンはどうした、という顔で振り返り、僕の言葉を待っている。
口を開けてから、言葉を探した。
軽率に真実を告げるのは躊躇われる。たとえいつか知られるだろうことだとしても。話すのは今じゃない。
「彼女は家でゆっくりしているよ」
そう口にすると、彼女を埋葬した庭が頭に浮かぶ。胸が苦しい。顔に出ないよう配慮する。
ヴァンはそうかいと言って、
「我が子が旅立つってのに、薄情だな」
「ネイアにも都合があるんだ……仕方ないよ」
ヴァンは唇を尖らせ、不服そうにしていたが、それ以上は何も言わなかった。僕は努めて明るい声色で、
「それにしても学校ってどういう感じなんだろうね。楽しみだなあ」と話題を変える。
「俺からしてみりゃ、保育所とそんな変わらないぜ。違うのは部活くらいか」退屈そうな調子で言い退けると、彼は、「あのさ、前から聞きたいと思ってたんだけど……」と前置きを入れた。
「何だろう」どきっとして、ヴァンを見つめる。
「ソウはネイアの子ども……なのか? カナデとは歳が離れてるよな」
「僕は──」口の中から急速に水分が失われていく。「捨て子だよ。彼女に拾われたんだ」
「そうか。俺たちと同じようなもんだな」哀れみもなく、からっとした返事。
「……だね」
悲しいような、面白いような、複雑な思いで僕は相槌を打った。ここではきっと、これが普通なのだろう。この虚しさは、誰もが抱えていることなのだ。
壇上から式を開会するとの声がして、僕らは人の輪に戻ることになった。人々はいつの間にか整列していて、ヴァンはレルの後ろに並ぶ。僕は彼の背後に立った。壇上には女性が立っている。ミルドレッドだった。
彼女を見てとると、人々は自然と話すのをやめ、喧騒は静寂へと移り変わる。ミルドレッドは笑顔を貼り付けながら、どうもどうも、と頭を下げた。
それから彼女は簡単な挨拶から話し始めると、
「さて、訓練学校へ入学するからには、皆さんはきっと兵士として働きたい意思があるのだと思います。そこでですね、どの部へ就職したいのかここで決めて貰いたいと思うのです」
ミルドレッドは僕らの後方を指差す。
指差す先には、そこには紙とペンを持った在校生が並んでいた。僕は顔を前に戻すと、ミルドレッドと目が合ったような気がして、顎を引く。
「仕事は沢山あります。保育部、保安、農業、建築、技術、医療、翻訳なんて具合に。これら部のうちまた細かく──例えば保安部でも護衛課、警備課、夜半課などに──分かれているのですが、今はここまで考える必要はありません。今決めて貰いたいのは、どの道へ進みたいか、というざっくりしたものです」
ミルドレッドはわざとらしい空咳で、一度話を途切ると、全員の顔を見回すように視線を動かした。また目が合う。何だか居心地が悪く感じられて仕方がない。彼女はまた言葉を継ぐと、
「どうして決めて貰うかと言えば、皆さんに専門家として活躍して欲しいのと、無駄に老化を防ぐため、不必要な知識や経験を与えないようにするため、ということからです。お陰で極端な分業となってしまいますが、突然、色んなことを覚えて乖離病にはなりたくありませんものね。ならなかったとして、老化してしまいかねないわけですし。安全のためでもありますから、ご容赦のほどを宜しくお願いします」
僕は年輪を見つめた。確かにこの世界は情報で溢れている。だから何を経験するのか考えるのと同時に、何を経験しないか決めるのは重要なことだろうと思われた。
ミルドレッドは続ける。
「どの課に所属するか、実際に進路を決めるのはまだ先──基礎訓練を修了してから──になります。ですから、今はある程度ふんわりとした未来像だったとしても、そう心配しないでください。何を隠そう、私もそうだったので」
それでは皆さんの幸運を祈っておりますと締めて、彼女は壇上を立ち去った。