第十四話
「ミルドレッド……? お前が、何故ここに……」
ジョウが胸を押さえながら、虚をつかれたようにミルドレッドを見上げた。彼女は眉を上げ、
「あら、私をご存知ですか。有名人ってのも困ったものですね」目だけでネイアを見て取ると、「貴方がやったんですか?」
ジョウは咽せながら、口だけで笑ってみせると、おもむろに立ち上がり、両手で短銃を構えた。
「だったらどうする?」
彼は引き金を引き、ミルドレッドの頭を吹き飛ばそうとする。彼女は勢いよくしゃがみ込むと、射線から外れ、代わりに手を伸ばして剣を突いた。ジョウは横にするりと躱すと、二発三発と続けて射撃。ミルドレッドは飛び退いてこれを避け、懐から投げナイフを取り出すと、ジョウに向けて飛ばしていった。
僕はその間にネイアの元へ駆けつけ、近くにあったハンカチで止血を試みる。もう既にかなりの量を流していて、助からないのではないか、と目の前が暗くなった。泣きそうになって、腹部に痛みが走る。彼女の胸に空いた風穴を必死に押さえてみるが、指先からどくどくと血が溢れて止まらない。
どこからか物音がして、僕はそちらを見やった。嫌らしい顔つきをした山賊のひとりが、奥の部屋から窓を割って入ってきている。
「私のことは良い……。対処、するんだ……」白い顔で、ネイアが囁いた。
徐々に光を失いつつある目と目が合って、胸が締め付けられ、僕は歯を食いしばる。
「──こんな時に邪魔をするな!」
僕は激昂して、猟銃を取ると、後先考えずに腹、胸、頭へと目掛けて撃ち込んだ。男はまともに弾丸を受けて、後方へと吹き飛んでいく。涙目になったお陰で視界がきらきらと輝き出した。ポケットに手を入れ、猟銃の弾を込め直すと、辺りに目を光らせる。
ミルドレッドは相手との距離を近づけると、蛇のようにくねくねと動き、正中線を定めないようにしていた。翻弄されてジョウは撃てずにいる。僕はジョウの足元を狙い、弾丸を発射した。彼は舌打ちすると家から飛び出し、離れようとする。
「逃すか!」ミルドレッドが叫んだ。
剣を右へ左へと振りながら、銃を弾き、腕や足を切り刻む。痛みに耐えかねて、ジョウは闇雲に乱射した。その一部が彼女の肩へ被弾する。ぐっ、と声を洩らしながらも、更に剣戟は止まらない。男は全身を傷だらけにさせ、口から吐血した。
凄まじい剣捌きをしてみせる女を打ち倒そうとして、山賊たちがミルドレッドへと襲いかかる。が、圧倒的な力の差を見せつけるように、彼女は首を、脇を、と流れるように裂いていった。やがて弾を装填し直すジョウの元へ辿り着くと、ふたりは共に睨み合ったまま動かない。
ジョウは諦めたように目を伏せ、短く息を吐くと、緩やかに両手をあげる。
「わかった……! これ以上、戦うのは得策ではない──退散しよう」
と、降参したように短銃を腰へと戻してみせた。ミルドレッドは剣先を彼へ持っていく。
「ならば早く立ち去れ!」ミルドレッドは吼えるように言った。
ジョウはフードを深く被ると、残っていた山賊たちと共に引き上げていく。後には死傷者だけが残された。僕はネイアを見下ろす。彼女は弱々しく笑うと、
「終わったか……」彼女の言葉に僕は頷いた。「そろそろ……カナデを出してやってくれ」
言われた通り、テーブルを思い切り動かし、カーペットをナイフで切り裂くと、隠し扉をノックする。もう終わったよ、と囁いて。中から恐る恐る、小動物のようにカナデが顔を出すと、変わり果てた姿のネイアを見つけ、全身の毛を逆立てた。
僕も痛ましい姿の彼女を見つめる。
「ネイア!」
カナデは駆け寄った。ネイアはもう助からない。ミルドレッドが緩々と首を横に振り、そう伝える。僕は暗澹たる思いに蝕まれ、喉を掻き切りたい気持ちになった。どうしようもなく胸が苦しい。僕は彼女を助けられた立場にあったのに。
もっと強ければ……。
ネイアは震える手をカナデに差し向けると、
「すまない……握って、くれないか……少し寒いんだ……」カナデは何度も頷いて、握ってやった。ネイアはほんの少し口角を上げ、「ああ、温かい……。まったく、最期まで、見届けてやり、たかったよ……これで私の役目も終わりだ」
「そんなことない! そんなことないよ!」カナデが叫ぶ。
ネイアは物柔らかく笑ってみせる。
「幸せに、な……」それから焦点の合わない目で僕を見る。「後は、頼む……」
それは殆ど囁きに近かった。
息が浅くなり、ネイアは宙を見つめた。僕は息を呑む。彼女はやがて掠れた声で、「忘れられるなら、どれだけ良かったろうね……」と呟いた。どういうことだと聞きたかったけれど、ネイアの黒く澄んだ瞳がこちらを向いて、何も言えなくなる。
彼女の苦しげな表情は段々と和らぎ、ふっと微笑んだかと思うと、やがて動かなくなった。
時間が止まったようだった。
僕は何が起きたものか、上手く理解できずにいる。
彼女は目を開けたまま、真っ白になった。
動かない。
つまり──
「うわああああああああ──!」
カナデが大声で泣き叫ぶ。僕は呼吸もままならず、膝ががくがくと震え出した。息が吸えない。息が吐けない。鮮血に染まった服から、徐々に、色が床へと零れ落ちていく。
僕は手に痛みを感じた。
年輪が十四になっている。
彼女が生きた年数と同じだ。
涙が滲み、頬を伝う。
「残念です……」
ミルドレッドは片膝を立てると、ネイアのために祈りを捧げていた。それが何を意味するのかはわからない。けれど、彼女のためを想っていることは確かだと思われた。
カナデは手を握ったまま、離れようとはしない。
ふと、冷たい風が吹き過ぎていく。
隣に記憶の中のネイアが現れ、僕を抱き寄せた。
「私の身に何かあったら、代わりにカナデを見届けてくれないかな」
開けっ放しの扉からは、夕焼け色に染まった雪が見えていた。もうすぐ新年が訪れる。でもそこにネイアは居ない。彼女と一緒に日々を過ごすことは──未来を迎えることは、もう不可能なのだ。
……。