第十一話
僕は薪を割りながら、傍らで座り込みぼうっとしているカナデを盗み見た。彼女らは家族のような存在であったが、やはり他人同士である。"兄弟は他人の始まり"とも言うらしい。斧を置いて、一休みすると、
「あのさ、将来どうするとか決めてるの?」
「突然だね。どうして?」カナデが顔を上げて聞いた。
「ほら、僕らは姉さんと違ってすぐに老化するじゃない。それに姉さんよりも先にネイアが……その、居なくなっちゃうこともあると思う。だからもし、そんなふうになったらさ、この先カナデはどうするつもりなの?」
僕の言葉を真面目に受け取ったのか、カナデは深く考え込んだ。膝に頬杖を突くと、わかんないと首を傾げる。
「取り敢えず、ミルドレッドかグリットのところへ行くかもね。でもあの人たちも年輪的にそう変わらないだろうから、ネイアが居なくなったら同じくらいに消えてしまうかも。だから誰に頼れば良いんだろうね。……ううん、そうなったら自分で何とかするしかないよね。そうだなあ、訓練学校に紛れ込んで仕事を斡旋してもらうか、このまま、ぼちぼちネイアの仕事を引き継ぐ……とか?」
難しい顔して唸ると、ぷはあ、と口から大きく息を吐いた。彼女は立ち上がり、斧を取り上げると、僕の代わりに薪を割ろうとする。
「それは僕がやるから……」
「良いの。これくらいやらせて」
斧を振り下ろし、薪を割った。小気味良い音がして、木が割かれていく。カナデは手で額の汗を拭うと、
「ネイアが居なくても自立できるように、か。考えなかったわけでもないけど、少し寂しいね」
「ご、ごめん」
「大丈夫。いつかは、向き合わないといけないから……」
気まずい空気が流れてしまったので、僕は何とか別の話題を絞り出そうとした。斧は取り上げられているので、この場を離れるわけにもいかない。
カナデは無言で薪を割り続ける。カコン、と音がしては黄色い、滑らかな断面を露出させた。
「ねえ、カナデのお母さんはどんな人だったか、覚えてる?」ふと、僕はそんなことを訊ねていた。
カナデは首を横に振り、
「あまり記憶にないの。小さい頃のことだから──」
「じゃあ、ラウラはどんな人だったの」
「え?」彼女は一瞬、僕の方を見てから、「優しい人だったよ」と、薪へと視線を戻す。「何て言うのかなあ。おっとりしていてさ、何でも許してくれるような感じだった。いや、怒ったら凄い怖いけどね。でも普段は……穏やかだったなあ」
「ネイアと似ている気がする」
「そう、かもね。確かに。あの子もゆったりしているから。というか、焦ってるところ見たことがないな。あのね、いつも待ち合わせに遅刻するのよ、ネイアって」
カナデはくすくすと笑いながら、
「初めて外を案内してくれた時もね、出かけるのに準備がかかって、予定より十分くらい遅れたの。そしたら何て言ったと思う?」
彼女はニヤリとして、
「『年輪もないのに私より急いでどうするんだ』だって」
ネイアならそんなことも言いそうだな、と僕は笑った。
「まったく、もっと時間を大切にしなさいよって感じよね」
カナデの視線が僕の背後で止まる。振り返ると、ネイアが立っていた。彼女は片方だけ前髪で目を隠しながら、
「ああ、ここに居たのか。カナデ、荷物を運ぶから手伝ってくれ。あと、ソウは肉を獲ってきて欲しい」
「わかった」
僕は去り際に、カナデに向けて口をにっと上げてみせる。姉も同じ顔をして、その場を離れた。ネイアの不思議そうな表情が印象的だった。
家から猟銃を取ると、弾薬を確認して、ナイフと袋を腰から提げる。扉を抜け、ふたりに挨拶してから、森へ向かった。
雪を踏み抜くたびに固められ、ざくざくと音がする。僕はこの音が好きで、柄にもなくうきうきとした気分で歩いていた。しかしこのままでは、野生動物たちが警戒して身を潜めてしまう。今日の分はこれでお終いにして、さっそく獲物を見つけようと動いた。
「こんにちは──」
ふと低い声がして、僕は驚きのあまり飛び退いた。そこには深くフードを被り、顔を見せない男がひとり、こちらを向いている。手袋を嵌めた手で地図を持ちながら、
「ああ、すみませんね、驚かせて」
「い、いえ。大丈夫です」
「ひとつ聞きたいんですがね、ここら辺に、ふろうの女が居るって聞いたんですよ」
「ふろう……?」僕は眉を顰めた。
「老いない。つまりは不老、です。何というか、これは根も葉もない噂なんですけれどねえ。どうやらその女ってのは年輪がない──レベルに縛られていないようなんです」
「まさか……」
僕は笑ってみせながら、内心ではヒヤヒヤしていた。まさか、カナデのことを言っているんじゃなかろうか、と。
「そうですよねえ、有り得ませんよねえ」男は口調こそ笑っているような雰囲気であったが、どことなく胡散臭い。「いや、すみません、お邪魔してしまって。貴方はこの先から来たんですよね?」
「ええ、まあ……」
「だったら、この先に住み家があるんですよね。どうしてこんな辺鄙なところに住んでいるんですか? ……ああ、今のは気にしないでください。向こうにも誰か居たりしますか?」
どう返事したものか迷いながら、「居ません」と、嘘をついた。相手が山賊であるかもしれない。警戒するに越したことはないだろう。相手はそうですかと言って、
「お若いのに、ひとりで住むとはねえ」
「……生まれてすぐ、母に捨てられたんです」
「はあ、そりゃ大変でしたでしょう。よくぞここまで」
「いえ……」早く何処かへ行ってくれ、と僕は祈る。
「これからどちらに?」男は構わず質問を続けた。
「狩りに」
僕は荷物を見せてやる。彼はそうですか、そうですかと繰り返し頷いて、納得した様子を見せた。嫌な汗が背中を流れ落ちて、心の中で何度も落ち着けと自分に言い聞かせる。
男はややあってから、
「今日は寒いし、一晩でも泊めて貰いたいんですけど」と、更に食いついてきた。
「申し訳ないんですけど、食料に余裕がないんで」
「それなら問題ありませんよ、自分の分ならここに」
彼は肩から提げた荷物を見せつけてくる。厚かましい態度に、段々と苛立ってきて、
「困ります。……他を当たってください。何なら、これから向かう先に街がありますから、そちらへ案内しましょうか?」
「……そうですか。いえ、それには及びません。わかりましたよ、私も街へ戻ります。宿なら一度取ったんでね」そう言って男は踵を返し、ふと何か思い出したように振り向きざまに、「そう言えば貴方、言葉がお上手ですね。ずっとひとりだったってわけではない様子。誰に教わったんです?」
「そんなの、誰だって良いでしょう?」
「確かに──詮索し過ぎましたね。それではさようなら」
と言って、彼は歩き去っていく。僕は彼の姿が消えて無くなるまで見送ると、今は狩りなどしている場合じゃないと判断して、急いで家へと立ち帰ることにした。