【弐の章 挫折とトラウマ】
大失敗だ。
真っ直ぐ【ヨツヤ】の自宅に帰れば、心療内科で処方された薬が残っていたので、幾分か精神の安定を保てたというのに、俺は愚かにもアルコールに走ってしまった。
出版社で村井君に見送られた直後、まっすぐ最寄りの【新スイドウ橋】の駅に向かわず、逆方向の【コウラクエン】方面へ移動。
飲食店街で浴びるほど酒を煽った。
気付けば腕時計の針は、短針長針ともに『⒓』の数字を指している。
少なくとも四時間は飲みっぱなしだった事になる。
視界がぐるぐる回る。吐き気も凄まじい。
まっすぐ歩けない。
そもそも、俺は本当に歩いているのか?
立っているのか? 座っているのか?
「……憶えているかってぇー? 忘れたくても、忘れらんねぇーんだよ‼」
村井君の能天気な顔と言葉を思い出し、古ぼけた街灯が点滅する暗闇の中、荒々しい語気で叫んだ。
八年前、二十二歳、俺の人生において最大のトラウマだ。
当時の俺は趣味のキャンプ好きが高じて、ニホン各地を放浪しながら創作活動の日々を送っていた。
いわゆるバックパッカーという奴だ。
『裏街道シリーズ』は、オタクとサブカルチャーの聖地として名高い【アキハバラ――通称アキバ】を題材とした作品。
『アキバの裏路地や抜け道が、実は異世界へ繋がる事がある』
というコンセプトの元、主人公のオタクが日常と非日常を行き来する冒険譚となっている。
村井君が絶賛していたとおり、風景描写には特に重点を置いて書いたので、見ようによってはガイドブック的側面があるかも知れない。
旅での実体験、なにより俺自身が子供の頃からアキバを探索して回り、長年入り浸っていたオタク系だからこそ書けた自信作だった。
『流浪の若手作家』なんて触れ込みでようやくデビューさせて貰ったのに、パッとせず、スマッシュヒットも無かった俺が、本当の意味で『プロ』として評価された有難い作品であった事は紛れもない事実だ。
しかしこの作品シリーズの所為で、俺は一度筆を折った。
確かに巻を重ねるごとに売れたし話題にもなって、一時期は旅人らしくない印税収入が舞い込んでいた。
だが同時に俺を襲ったのは、凄まじいバッシングの嵐だった。
作品の性質上、作中にはアキバに実在するスポットがいくつも登場している。
その結果、まさかの聖地巡礼的な行動が読者間で広まり、知る人ぞ知る抜け道だった場所が周知される事態を引き起こしてしまったのだ。
『抜け道』とは文字通り、混雑を避けたりする為の道だ。
そういった場所の一部は、店舗やオフィスビルなどの通用口を通る事もある。
つまり警備員や店主が、知っていて黙認してくれていたからこそ使わせてもらえるローカルルートなのだ。
そこに人が殺到してしまっては、抜け道は、抜け道のとしての体を成さなくなる。
本来なら関係者が使うための通路を我が物顔で占領したり、座り込んだりするトラブルも頻発し、遂には従業員を脅したりケンカを起こしたりと警察沙汰にも発展。
結果いくつかのルートは、閉鎖されるに至ってしまった。
もちろん悪いのは、分別もつかない一部のマナー違反者だ。
作品その物や俺を擁護する声も少なくなかった。
しかし実害のきっかけを作ったのは、間違いなく俺の小説。
たちまちネット掲示板やSNS等では俺への誹謗中傷や殺害予告、それに便乗した悪ふざけで大炎上。
本名で活動していた所為で、俺の居場所を特定しようとする動きもあった様だが、放浪している者の居場所はそう簡単に掴める物ではない。
じゃなきゃ今頃、世間のお尋ね者は駆逐されている。
それにこの点に関して、当時の俺はさして問題視していなかった。
第一巻が刊行した時から『実在の場所を使い過ぎではないか』という声が出版社内でも上がっていた事は聞いていたし、むしろ良い悪いに限らず、話題になってくれる事を喜んでいたくらいだった。
心情の潮目が大きく変わったのは、第三巻が流通し始めて少し経った頃の事。
双子の姉『マナブ』から両親の急死の知らせを受けた俺は、慌てて【トウキョウ】の実家に舞い戻った。
さめざめと泣くマナブから聞かされた両親の死因は、重度の心労からくる突発性の心臓病。
そう、俺への直接攻撃が難しいと考えたアンチ共は、俺の身内に目をつけたのだ。
俺が呑気に物見遊山を続けていた裏で、実家には引っ切り無しにイタズラ電話が掛かってくるようになり、頼んだ覚えのない通販、出前、ダイレクトメールが着払いで、大量に、次々と送りつけられる日々が続いていたという。
同じような嫌がらせは実家に留まらず、両親の親族にも波及。
元々俺の生活スタイルや『作家』という仕事自体に懐疑的だった(傍から見れば遊び歩いている様に見えたのだろう)こともあり、父方、母方の両親族からも痛烈に責め立てられた様で、遂には絶縁まで宣言される始末。
そんな毎日に両親は心身を病み、そのまま亡くなってしまったそうだ。
絶望感と怒りに、俺とマナブはコレまでの収入の全てと、出版社や何人もの弁護士、探偵まで利用して嫌がらせをしていた連中を片っ端から特定し、訴えてやった。
その訴訟数の多さに、一時期はワイドショーや新聞の主役にもなっていた程だ。
約二年という時間を費やし、最終的に彼らないし彼女らから、本心かどうかも解らない謝罪を引き出し、賠償命令も勝ち得た。
だが実際に支払われた賠償金はスズメの涙ほど。
法廷で涙ながらに約束された謝罪文が届く事も遂に無く、かと言って、それを催促するような気力も体力も、憔悴した俺たちには既に残っていなかった。
人々の関心というものは、驚くほど賞味期限が早い。
一年もすると騒ぎは嘘のように沈静化し、俺たちは静かな日常を取り戻す事ができた。
しかし、俺は物語を紡ぐことがトラウマになってしまい、ましてや親を殺し、俺たち姉弟の人生をグチャグチャにした作品の続きなど書く気にもなれなかった。
かくして俺の出世作『裏街道シリーズ』は、著者存命にして珍しく絶筆作品となった。
マナブはこの事件を機に『悪党を許さない』という強い想いが芽生えたらしく、警察関係の職を志し、現在は地元トウキョウから遠く離れた離島で、警察官として精力的に働いている。
一方、俺は生家を護るために放浪生活を辞めて、古物商の資格を取得。
家業の骨董品屋を引き継ぐ事にした。
だがノウハウのない素人仕事などたかが知れていた。
案の定、経営はあまり……、いや、かなり上手くいっていない。
ネット通販が主流となり、個人間での中古品取引を可能とするフリマアプリやオークションサイトの台頭した昨今、わざわざ店舗を構えて営業している我が家はかなり特殊だ。
いっそ完全にオンラインショップ化して規模を収縮する方が、維持費の面から見ても遥かに安い。
それでも頑なに実店舗形式を続けているのは、先祖代々護ってきた店と土地を潰したくないという両親のへの償いと、それを引き継いだ俺自身の意地だ。
‥などと宣って、当初は格好つけて頑張ってみたが、志だけで問題が解決すれば世話ない訳で。
現実は厳しく、マナブからの仕送で維持だけは出来ている綱渡り経営が続いている。
正直、神様にも仏様にも、何なら悪魔様や魔王様でも良いからあやかりたい毎日だった。
少しでも収入の足しにと奮起し、世話になった出版関係者にも頭を下げまくって再び筆を手にしたのは、実はここ一年ほどの事だったりする。
それも新人編集者の村井君の『練習台』に宛がわれる形で、過去の件から『平賀 學』としてのブランド力を捨てた、別名義での再出発だ。
ところがコチラも、作品の質の低下を痛感せざるを得ない結果となっている。
俺の作品作りは元来、実体験を反映するスタイル。
ブランクの長さも然る事ながら、店にこもりがちになった所為で、フィールドワークの機会が極端に減ってしまった。
本やラジオ、ネットでも世相や情報、知識は得られる。
が、実際に見聞きし、肌や鼻、舌など五感全体で感じ取る情報とでは雲泥の差がある。
村井君の指摘した『リアリティ不足』はかなり的を得ており、実際、読者からの評価も緩やかにではあるが右肩下がりになって来ていた。
これは前評判以前の問題だ。
寧ろ、本名名義でこのクオリティの方がヤバい。
唯一の取り柄にすらかげりが見えてしまった今、俺は一体どうやって家を護れば…。
「……ッ‼」
不意に何かがつま先に当たったかと思うと、天地が回転するような感覚に襲われた。
とっさに右手を突き出して何かを掴んだような気もしたが、そのまま体の正面に強い衝撃と激痛が訪れる。
何か大きな音もして、顔と手がとにかく痛い。
どうやら俺は歩いていて、顔面からコケたらしい。
「痛ッ、……?」
なんとか体を起こすと、何かかが手に当たる。
なんとなしに抱き寄せてみると、暗くてよく解らないが、ひんやりとしてツルツルとした硬い塊だった。
「‥くぅッ!」
酔いと痛み、情けなさ、なにより情緒不安定になっていた俺の心はもう限界だった。
抱き心地の良いそれを胸に、俺は大声で泣いた。
大の大人が、子供がぬいぐるみを抱えて泣くかの如く。
昔のような作風で書けだって?
少し過去を思い出しただけでこの体たらくだと言うのに、簡単に言ってくれるな!
俺が書いた小説が、両親を死に追いやったんだぞ?
今も罪悪感で潰れそうになりながら、薬まで飲んで必死に執筆しているんだ。
クオリティが下がってる事なんて、書いてる俺が一番理解してる。
別に、褒めてくれとは言わない、今の俺にそんな資格は無い。
でもせめて『お疲れ様』とか『頑張ったね』って、誰でもいいから俺の努力を認めてくれ。
頭を撫でて慰めてくれ。頼むから誰か俺を、赦してくれ……。
微かに、抱える塊が蠢いた様な気がした。
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