始め
田舎のものにしては大きい、けれど都会のもと比べると小さい村の教会。この教会に朝と夕に毎日祈りを捧げる女の子がいた。名前はアユラ。彼女はこの白い教会を気に入ってくれていた。
祭壇の前で膝を付き、ロザリオの十字架を両の手で握る。その姿をワタシは一生忘れないだろう。
今日はいつもより少しだけ早く目が覚めた。そのせいか、朝が早い筈の司祭様はまだいなかった。彼は私が毎朝早くに来るのを承知なので、勝手に入っていいという許可を頂いている。会話自体があまり得意じゃなくて好きじゃない私は、ほんの少しラッキーだと思いながら、早々にお祈りを終わらせた。
朝の仕事までにはまだ少し時間がある。少し出来た余裕が嬉しくて顔が緩んだ。どうやらそれが良くなかったらしい。
「気持ち悪い」
そう聞こえたので振り向く。案の定、私を見て馬鹿にした様な顔で笑っていた。さっきまでの穏やかな気分は何処へやら。一瞬で心が凍って表情も冷え切った。あぁ……ムカつく。
目覚めて直ぐに私を虐めるのがそんなに楽しいのだろうか。
「あら、ちゃんと自覚はあるのね」
中心的立場の女の子の言葉に、周りにいる子達もクスクスと笑った。……嫌な笑い方。
「見てよあの子の髪。ごわごわでまるで馬の鬣ね。スカートだって汚いし」
言われてカッと顔が赤くなる。私だって貴方達みたいに綺麗に髪を結って、可愛らしい服を着たい。けど、家の仕事をしていたら汚れちゃうから着ないでいるだけ。彼女達が家の手伝いをあまりやっていないのは知っている。何で真面目に生活してる私が、こんな事を言われなきゃならないのか。
「朝にお祈りしてたから……それで…………汚れただけで……」
「ふ~ん。膝をついてお祈りしてたってこと?そんなに必死になって何を祈ってたのかしら?『お願いします神様!私顔をどうか綺麗にしてください!』とか?」
芝居がかった仕草で言った彼女は意地悪く笑った。皆がそれに同意して一緒に声を上げて笑う。
「ケヴィン!アル達も!こっちへ来てよ!」
周りにいる子達の誰かが男の子達を呼んだ。ニヤニヤと嫌な笑い方をして近寄って来るのが見えた。
「ねぇ、聞いてよ!この子ったら美人になれますようにお願いしてきたんですって」
主格の女の子が大声で全員に聞こえる様に言う。そんなお願いなんかしてない。一拍の間が空いた後、複数の大きな笑い声一帯を包む。
「誰に!?」
「神様よ」
再び大きな笑い声。私は下を向いてその場を凌ぐしかなかった。悔しい。一体私が何をしたっていうんだ。
「じゃあ、毎日こいつが教会に行ってんのは、神様に美人になれますようにってお願いするためってか!馬鹿じゃねぇの」
私は一言だってそんな事言ってないのに。よく次から次へと思い付くものだ。
「お前馬鹿だから教えてやるよ。教会っていうのはなぁ、神様に感謝するものなの!」
何言ってんのコイツ。本当、今更そんな当たり前の事を言わないでほしい。大して神様に感謝もしてないくせに偉そうに。
「どいて。私、仕事があるの」
努めて冷静に、理性的な口調を意識して言った。怒りのせいで若干声が震えたが。
「ウッザ。良い子ちゃんぶってんなよ」
「馬鹿女のクセに生意気」
私を囲んだまま誰一人として退いてはくれなかったが、元から退いてくれるとは思っていない。罵られるとも思っていたが、髪を掴まれ引っ張られるとは思わなかった。今までは手は出してこなかったのに。
「……っ放して!」
怒りと恐怖で頭を振って暴れた。弛まなかった手の力のせいで、ブチブチと嫌な音がした。頭皮に走った痛みに涙が出る。
その時、調度鐘が鳴った。この鐘が鳴ったら仕事をしなければならない。助かった。
私の髪を掴んでいた男の子がいきなり手を放す。そのせいでふらついた私の肩に、それはわざとらしくぶつかってきた。ついでに足まで引っ掛けられて転んだ。地面に当たったお尻が痛い。付いた手からは皮が擦りむけて血が滲んでいる。
「本っ当、あいつらクソな性格してるわね!」
吐き捨てる様に言って右の拳を叩きつけた。それでまた手が痛くなる。はぁ、馬鹿みたい……。
幾つか深呼吸を繰り返して心を落ち着かせる。帰る途中に、井戸で汚れてしまった手を洗ってから家に着いた。
「ただいま」
「おかえりなさい。今日は遅かったわね」
忙しい母は私の方を少しも見ない。それに若干苛ついたが、咄嗟に私は言い訳を考えた。
「神父様と話していたから」
嘘だ。私は良い子じゃない。悪い子だから嘘を付く。家族に対しての私は嘘だらけで、勿論親も兄弟も私が虐められっ子だということを知らない。知らなくていい。
さぁ、そろそろ私も仕事をしないと。私の朝の仕事はニワトリ小屋の掃除だ。最近は掃除だけじゃなくて餌の世話や、卵取りもだけど。最早私はニワトリ係だ。こんな仕事ちっとも楽しくない。
「アユラー。市場に行くから支度なさい」
母に言われて弾かれた様に顔を上げた。あんなに楽しみにしてたのに忘れてた。
人が多いのは好きじゃない……どころか苦手だけど、綺麗な布は見たいし、風変わりな美味しい食べ物も食べたい。
私は急いでニワトリ小屋の掃除を終わらせて走って向う。小屋の掃除がちょーっと雑になったのは内緒だ。
「お母さん、お待たせ」
「アユラ。貴方が作った物全部持って来なさい」
そう言われて思い浮かんだのは自作のコサージュや髪飾り。そんな物を持って来させてどうするのだろう。大体が母の言う『作った物』とは、頭に浮かんだ産物達で合っているのか否かも分からない。ええい!違ったら違ったで聞けばいいじゃないか。
急いで自室の棚を開ける。その中から自信作だけを持って来た。それを母親の前に置くと、いたく真剣な様子で検分を始める。裁縫の得意な母に見られるのは結構な緊張だ。
「本当にこれで全部?ミント色のコサージュ作ってなかった?」
「えっと、自信のあるやつだけ持って来た。ミントのは縫製がちょっと……」
全部持って来なかった理由を言うと、今度こそ全部並べるように言われた。何回かに分けて持って来られたそれらは、最初の4倍程にも及ぶ。その数に我ながら良く作ったものだ。
「こんなに……」
そんなに驚かなくても。
「本当に、これで全部?」
「うん。完成したのはね。作り掛けは持って来てないよ?」
全部と言っても未完成品は流石に入らないだろう。母も完成品だけで充分だと言った。
これらをどうするのか聞くと、私は驚いた。なんでも市場で売るそうだ。自信作ならまだしも、失敗作まで売りに出すなんて。恥ずかしいしどうせ売れないと反対したが、「いいから」の一点張りで全く聞く耳を持ってくれない。
結局私の方が折れて諦め、市場に出すことになってしまった。良いもん。売れなくてもどうせ私は困らないから。