友人と最高の一日を過ごした帰りにて。
帰りの特急は揺れが酷い。行きは感じなかった波が体全体に行き渡る。それはアルコールのせいでは無いはずだ。僕らはもう呑んでもいい。20歳だから。誰も止めようなんて思わない。年齢確認をして欲しいくらい、20歳になるとされなくなった。それは僕らから「成人の何か」が分泌されているからなのだろうか。それならそれで、目に見えてくれたらいいんだけどな。
コンパーメントに座るみんなが寝ている。経たあとの過ぎ行く時間を感じるこの時を、夢の中で過ごしているのだと思った。だってみんなの寝顔がすこぶる良いから。いい具合に寝苦しそうだ。今回の旅は楽しかっただけではなかった。寒くて凍えたし、無駄に沢山歩いたよね。目的地がどこが見失ったし、美術館をあんな短い時間で見るなんて、腹が立つよね。それぞれがそれぞれの思いを抱えながら、思い思いの旅を楽しむ。それが出来てるなら、寝苦しそうな顔でぐっすり眠れるはずだ。窓に反射する自分の表情、愛しい人達の寝息と車輪の擦れる音、トンネルに入って耳が詰まる。五感の情報に揺らされつつ、一日の出来事を整理する。
今はきっとこの日が最高で永遠に続けばいいだなんて思っているけど、そんな永遠の希望は今まで沢山あったよね。彼らはどこに行ったんだろう。思い出は時が経つと共に薄れ消え去っていくと言うけれど、そんなことはないと言いたい。きっと僕らはこの時、この今だって永遠を望んでなんかいやしないんだ。楽しい今とその先のことを頭にめぐらせている。永遠だなんて建前で、僕らは皆がみな自分の世界の中で今日という日が、昼まで寝ていて結局何もしなかった日、授業が詰まって夜遅く帰る日、大好きな先輩に奢ってもらった日、愛しい人と壊れるくらいセックスをしたり、呆れるくらい些細な事から別れを告げた日と同じように、たった一日としてカウントされることに気づいている。その1日に永遠だなんて名前をつけて飾って揺らすのが楽しくて堪らないんだ。きっとそれには一日中のどの出来事も勝らない。僕らは思考の遥か彼方の出来事よりも、わかり切った慈しみにいつだって快感を覚えるんだ。それを共有するのが友達ってもんだよ。そうじゃないのかな。違うって言ってくれたら、少しは気が晴れるってもんさ。