二之段 予兆
夕焼けを背に五条大路を左京へ向けて足を急がせる法師と従者。法師は柔和な顔に数多の皺を刻ませ、不安げな表情を崩さないまま左京を見つめ歩く。
「善阿様、少し休まれませんと、まだ左京は遠ございます。」
善阿と呼ばれた法師の後ろに従う従者が善阿を気遣うように声をかける。
「阿南よ、何を言う。お主にも感じられよう。あの都を包み込まんばかりの禍々しき気配を。京を取り囲むかのように邪気が瞬いておる。急ぎ、邪を取り除かば、日の本は、魔の国となろう。」
善阿は振り向くと、従者の阿南をみつめ、道の向こうに見える左京を指差しながら語りかける。善阿の言葉に阿南は視線を上げて、左京を見つめる。大柄な体に六尺の金剛棒を担ぎ、偉丈夫たる体つきで周囲を圧倒する風格を見せる阿南。さらに目を引くのは、その緑に光る瞳。見るものを圧倒する風貌に似合わず、善阿に対して、静かに頭を下げて答える。
「はい、仰せの通りでございます。しかし、急ぐにしても何処へ?」「うむ。まず、わしの旧知の間柄の陰陽助、倉橋為広が屋敷じゃ。陰陽寮で何か掴んでいよう、、あと、あそこには、、」
「は?」
「いや、つけば分かる。」
「はっ、、」
再び歩みを強めて西京極から続く道を左京へ急ぐ。善阿がチラと阿南をみつめながら、独り言つ。
「阿南が寺に来てはや15年か、、その時、破邪の行をした倫子が身籠っていた子もさぞ大きかろう。いま、阿南を連れて倫子の元に向かうも、また、何かの宿命やもしれぬ…。阿南の封魔師としての腕、存分に発揮してもらわねばな…。そして、忘れぬように止めねばな…。」
その夜も更けた頃、奥に為広と倫子がくつろぐ前に清らかな白の小袖に緋袴の巫女装束をまとい、一心に横笛を吹く理沙。時に暖かく、また、悲しげに、時に心を撼わす音色に父母も、控えている下人たちも心奪われ、一心に聞き入る。
「うむ、いつもながら見事な調べよのう。」
「ほんとうに。いつになく、今日は染み入りましたよ。」
微笑んで理沙を褒めたたえる2人ににっこりと微笑んだ理沙。笛を愛おしそうに撫でながら庭に目をやりながら答える。
「笛を吹いてると、あたしも気持ちが清らかになってきます。この調べ、父様が教えてくださったもの。あたしは、一番好きな調べです。なにより、父様と母様が喜んでくれるのがとても嬉しい。」
「うむ。この調べは特に、な…お前の笛は、悪しき者の心も清くするであろう。励めば、妖をも消し去る力を得られよう。」
満足そうに頷き、盃を干す為広。
「近年、都にとみに妖が現れ出しておる。理沙、お前も、、いや、なんでもない。」
理沙に何かを言いかけ、首を振る為広。怪訝な顔をする理沙を見つめて、倫子が明るく声をかける。
「さあ、理沙もこちらにいらっしゃい。もう15だから、少し飲んでごらんなさい。」
盃を満たしながら理沙を傍らに呼び寄せ、倫子が理沙を愛おしそうに見つめる。
(理沙にそんなことをさせるようなことにならぬよう…お護りくださいまし…)
理沙を見つめながら心の中で呟く。倫子が為広を見つめると、察したかのように頷く為広。心の中で理沙への加護を祈りながら夜が更けていった。
夜更けー。誰もが寝静まり、ひっそりとした五条大路。為広の屋敷の前に闇を纏った男と下人たちが近づく。闇を纏った男が顎をしゃくると赤い目を光らせた下人たちが塀を乗り越えて屋敷に忍び込む。
寝所で眠る理沙。その端正な顔を歪ませ、小さな唇から苦悶の呻きを漏らす。
「う、うう…。」
理沙はいずことも知れない荒野に立っていた。四方八方どこを見ても無残な姿を晒した人々の死体が転がる。
「一体、ここは、ううっ!な、なに?ここ、化野みたいな…なぜあたし、こんな、はっ!えっ、な、なによ!こ、こやつら、な、何者?」
そして、1人荒野に立つ理沙を囲むように異形なる妖がそれぞれがもつ牙を、爪を光らせ、理沙にジリジリと近寄る。そして。理沙の頭上には夜叉の顔をニヤリと歪め、伸び切った髪から怪しく光る目をのぞかせた男が理沙を見下ろす。
「こ、来ないで!いやあ!父様!母様!どこ?はっ?あ、あたし、やだ!どうして…」
父母を探し視界を巡らせる理沙。ふと、腕を、腿を通る涼しげな風に自分の姿を見つめ、驚きの表情で顔を赤く染める。
(やだ、あたし、夜着を着てたはずなのに…こんなに肌を…これ、なんなの?なんでこんな…?)
袖のない小袖が理沙の華奢できめ細やかな理沙の腕を惜しげもなく晒す。異形の妖の吐く息に足の付け根までを覆った緋袴が舞い上がり、白くしなやかな太ももが妖たちの目を楽しませ、思わず緋袴を手で押さえる。
今までになく柔肌を晒した理沙は妖たちの欲情したうめき声にどす黒い欲望を感じて、かがみ込み、少しでも柔肌を視界から隠そうと蹲る。しかし、それでも衰えない妖たちのギラギラした視線に、顔を上げて怯えながらも、気丈に睨み返す。
「い、いやっ!み、見るな…」
荒く息を吐きながらにじり寄る妖たちを睨み、うずくまったまま持っている刀を振りかざして威嚇する理沙。
「ど、どうしてこんなことを、、あたし、なぜこんな刀を?あたし、こ、こんな奴らと戦いなんて…で、でも、た、戦わないと、あたしは…そんな、、で、できないよ、父様、母様…ああっ!くっ、こ、来ないで!」
上空で理沙を見下ろす夜叉も淫らな視線で、屈むも隠し果せなかった理沙の太ももとその付け根を舐めるように眺めながらニヤリとして、理沙に意地悪く告げる。
「理沙…あとはお前だけだ…さあ、いつまで我が企みを妨げると言うのだ…その艶かしき体で…朕に、父に従うのだ…」
「くっ、い、いやらしい目で見ないで!一体、だれなのよ!朕って…。父様じゃないでしょ!あたしが何をしたというの?あたしが、なぜ従うのよ!何をさせるのよ!」
空に浮かぶ夜叉をにらみ理沙が叫ぶ。夜叉の纏う衣が高貴なものを思わせ、言葉遣いからも父為広ではないことを見抜き、刀をかざして身構える理沙。
「ほう…理沙はまだ知らぬのか…そして、まだ己の力に気づかぬか…なら、娘なれど、邪魔になる前に死ぬが良い!」
夜叉の目が光ると周りを囲む妖たちが理沙に牙を向け飛びかかる。
「くっ、きゃあ!」
身構えるも防ぎきれず、赤い目の犬の姿の妖が理沙の二の腕に牙を立てる。白い肌を赤い筋がながれ、理沙の手から刀が落ちる。
「うわあ、やめて、、ひっ!いやあ!」
怯む理沙の太ももを猪の牙が引き裂き、その場に蹲る。
「うう、父様、母様、たすけ、ああ、いや、こないで…あぐう!」
「はっ!…はぁはぁ…ゆ、夢?なぜ、こんな夢…。ん?嫌な、予感…父様、母様…」
飛び起きて辺りを、自分の体を見つめる理沙。脂汗をかき、荒い息を整えながら何時もの夜着を身につけた自分の姿に安堵する。ふと、辺りを包むそら恐ろしい空気を感じ、父母を案じて父母の寝所へと歩き出す理沙。