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扉を開けて鎧野郎が入ってくるのを目の端に捉えながら、後方に向けて駆ける。
目的は何度か目にした白骨化した亡骸、さっき俺の逃亡を邪魔した奴……その脇に落ちている剣だ。
前回命の危機を招き、そして命を助けて貰った剣はやはり、先程と同じ場所で長年誰にも触れられないままに埃を被って横たわっていた。
俺はその剣を拾い上げると、ためらう事なく抜き放ち、おさまる刀身を確認した。どれだけの時間ここにあったのかは分からないが、鞘の中に在ったその刀身は、くすみや刃こぼれが多少あるにせよ剣の形を保っていてくれたようだ。
不思議と手に馴染むその剣の感覚に、俺は少しの気持ち悪さを覚える。こんな物を手に持ったのは、ガキの頃にチャンバラ遊びで振り回した木の棒くらいなのに。
「よし。これならーー!」
武器を手にするという行為に、単純に高揚感を覚える。相手を傷つけることだけが目的の、武器という存在がもたらす闘争本能だろうか。
俺はその剣の重さを確かめるように一振りすると、改めて鎧野郎を睨みつける。やはり恐怖心はあるが、思いっきりぶん殴ってやるという気持ちが、その恐怖を塗りつぶしてくれた。
鎧野郎はゆっくりと俺に歩み寄ると、その手に持った剣を天に向けて掲げるように捧げもつ。
何度も何度も見た動き。奴はここから一呼吸置くとそのまま剣を振り上げ、振り下ろすのだ。
俺の体験した記憶の後を、綺麗になぞるように動く鎧野郎を観察し続ける。振り下ろされる剣の軌跡も、今の俺には線で引けるくらいに分かっていた。
右肩から入って、左脇腹に抜けるその軌道。どこに来るか分かるとは言え、俺の身体を容易く両断するこの一撃を、剣で遮る様に受けるのは愚の骨頂だ。
人間だろうと他の動物だろうと肉体を骨ごと断つなんてのは、どんなに切れる刃物でも、想像を遥かに超える力が掛かっているはずだから。
だから俺がやるべきことは、力比べじゃない。まずは初太刀を避ける事が最優先。
「ーーーー!」
脳に焼き付いた右上から左下に向けて走る線を、大きく仰け反るように数歩後退して避けた。唸るような風切り音が耳を打ち、その一撃の威力を伝える風圧の強さに肌が粟立つ。
剣が通り抜ける後を追うように、金属で地面を思い切り打ち付けるような音が響き渡った。
勿論勢い余った剣が地面を叩く音ではない。
轟音と共に地面を打ち付けたのは、鎧野郎の足だ。
前回殺される直前に俺の足を潰したのは、剣の一撃の後を追うように出された踏みつけだったのだ。
金属で鎧われた足で繰り出す、体重を乗せたストンピングだ。こんなものスニーカーでどうこう出来るものじゃない。
「オオオオォ!!」
自分を殺し続けた一撃と、それに隠された二撃目を無傷で乗り切った俺は、迸る興奮に背中を押されるように叫びながら全力で剣を振り抜いた。握り方なんて知らない。バットをフルスイングする要領で横薙ぎにぶん殴るーー!
金属と金属がぶつかり合う音が響いた。思ってた以上の衝撃が骨の芯まで走り抜け、痺れた腕から剣がすっぽ抜けてしまった。
「この……クソ化け物鎧野郎……!」
口中に溢れ出す血で上手く声に出せたのかは分からない。
俺の渾身のフルスイングを受けても、微動だにしない錆びた甲胄の騎士は、前傾した姿勢をゆっくりと起こすと、血に濡れた剣を再び掲げる様に構えた。
俺の血に濡れた剣だ。フルスイングが直撃するのとほぼ同時に、すくい上げるように突き出されたその剣は驚くほどあっさりと俺の心臓を貫通していた。
「グ……! オェ……!」
急速に全身の力が抜けていく。膝立ちに崩れ落ちた俺の目に、振り下ろされる剣が映る。
無理ゲーにも程がある。
薄れゆく意識で思いつく限りの罵詈雑言を吐きながら、俺はまた暗闇へと滑り落ちる様に意識を失ったのだった。
……
…
それから何度も試してみたが、最初の内は事態が一向に好転しないまま殺され続ける事になった。
当たり前と言えば当たり前なのかも知れない。鎧野郎は剣を扱い慣れているのだろうが、俺はただの学生で刃物なんて包丁くらいしか握った事はない。ましてやそれを人に向けて振るなんて以ての外だ。
殺されたくない一心で振り回してはいるが、極限状況で単調な攻撃を、あの鎧野郎は何の問題にもせず反撃してくる。
そしてその鎧野郎の攻撃は全て、俺にとって致命傷となるに十分な威力を備えているのだ。
「剣の使い方なんて習った事もないんだ、どうやってあんなのを倒せばいいんだよ」
あまりにも理不尽な彼我の差に心が折れそうになっていたが、周回を重ねるにつれ変化が訪れた。
突破口は鎧野郎にあった。剣の振り方を知っていて、人殺しの上手いやつは目の前にいるのだ。
その事に気がついてから、明らかに俺の意識は変わった。
相手を殺す方法を殺される事で学び取るその行為。死の激痛と恐怖に慣れる事はなく、ひたすらそれを怒りと復讐心を燃やす薪にした。
繰り返される短い生と死のサイクルに、既に何処かが狂っているのかも知れない。そう思いもするが、何度死んでも続くのだから、続けるしかない。
殺されながら見る。奴の剣の握り、振り方、力の入れるタイミング、上半身と下半身の捻りや足の運び。
それらを一度に見る事は不可能で、一つを覚えるまで何度も殺されながら繰り返し試した。
不思議な事だが、そうやって剣を振り回していると、徐々にだが剣を使えるようになっていく自分を確信出来る。
言葉にするのは難しいが、初めて剣を握った時からあった手に馴染む感覚が身体中に広がって、自分の剣の振り方の正誤を何となく伝えてくると言えば良いのか。とにかく上手く振れているのかが分かるのだ。
その感覚は奇妙だが心地よく、怒りや復讐心と共に、殺され続ける絶望に立ち向かい続けるモチベーションになった。
避ける、攻撃する。弾かれ、殺される。
弾く、攻撃する。避けられ、殺される。
避ける、避ける避ける。簡単なフェイントに引っかかり殺される。
弾く、避けきれず受ける。剣ごと両断される。
斬りかかる。弾かれると同時に暗転。
幾度も繰り返される試行と失敗。新たなパターンを見たら、それを乗り越えるまで同じパターンを辿ることに腐心する周回ーー
一つの事が出来るようになると、それに対する反撃方法を目の前の鎧野郎が実践してくれるのだ。これほど親切で残酷な教師は他に居ない。
殺されるまでの時間は長くなり、繰り出される剣の閃きは増えていく。
そうやって繰り返しているうちに、俺は自分が一方的に屠殺される豚から、手のかかる野生の獣になり、そして手強い剣士へと変わっていくのを感じる。
取るに足らない存在から、生まれ変わるような感覚は快感だった。
………
……
…
数え切れない程の繰り返しの果てに突然思う。ついに相手の手の内を全て晒した。目の前の相手の技と言う技を、全て体得したのだと。
そして途中から沸いていた、ある疑念に対する答えに確信を得る。
その時俺の胸に去来した想いは、色々な感情がない交ぜになってはいたが相手に対する尊敬の念だった。
自分を殺し続けた相手に持つ感情じゃない。それまでに抱いていた怒りや恐怖、恨みの感情と真逆の気持ちに、わずかに剣の振りが鈍る。
その隙は極限状態の斬り合いにあって、致命的なものとなり、錆びた騎士が放つ必殺の一撃は、過たず俺の命を両断した。
またも死の淵へと堕ち行く俺は、霞む視界に映る騎士を見ていた。剣を逆さに持ち、捧げるように掲げるその姿ーー
ーーあぁ、やっぱりそうなのかーー
確信を得た俺は、妙にすっきりとした心持ちで自分の死を受け入れて、闇へと沈んで行った。
次で終わりにしよう、その覚悟を胸に秘めて。
恐怖も憎悪も、既に胸中からは消え去っていた。