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あれから何度か隠れてやり過ごす方法を試してみたが、結果はすべて失敗だった。
どうやらあの鎧野郎には俺の居る場所が見えているか、何らかの方法を使って分かっているようで、部屋に入って来るとすぐに俺の潜む方に真っ直ぐ歩いてくるのだ。
それは絶望的な正確さで、扉から最も離れた隅の暗闇に数体の亡骸ーーあの人型の化け物たちのだーーを覆いかぶせるようにして隠れても無駄だった。
明らかに俺を認識している。それは数度の失敗で認めざるを得ないが、あの鎧野郎がどうやって俺を認識しているかが分からない以上、隠れて逃れる方法は無いと思うべきだ。
つまるところ、生きてこの部屋を脱出する方法の一つが完全に潰されたわけだ。それを俺は砂を噛むような気持ちで認める事にした。
そうなると次なる手を考えなければならない。ここで無限に殺され続けるなんて、地獄落ちと同じくらいごめんだ。
「ここがその地獄で、今まさにバチが当たってる最中なのかも知れないが……」
誰にとはなく独り言ちり、そんな事をチラと思うが、そこまで悪い事を重ねた覚えがない。
この先に地獄の閻魔様でも居れば、理由の一つも聞けるのだろうか。
そんなくだらない思考に迷い込みつつも、この苦境を切り抜ける方法を考える。
何をするにも、ともかく時間が足りないのだ。
殺されてから眼が覚めると、数分もしないうちにあの鎧野郎が登場して殺される。このループから抜け出せない。
そうだ、分かった事でもう一つ大事な事があった。
時間のループだ。どうやら俺はあの鎧野郎に殺された後、何らかの方法で蘇り、再び殺されてるわけではないらしい。
そこら中に転がってる白骨や、半ミイラ化した亡骸を寄せ集めたりしていて気がついたのだが、殺されて眼が覚めると、俺が散らかした痕跡は綺麗に消え去って、全てが元の状況に戻っているのだ。
俺は何度も殺されてるっていうのに、あの鎧野郎はいつだって初めて俺を殺してるわけだ。
こうして色々な事をまとめて整理できる様になるまで少なくない時間を要したし、何度も殺されている。
いつも決まって右肩から左脇腹に抜けるあの激痛ーー思い出すだけで身が竦むし、恐怖は強くなる一方で慣れる事がない。
俺と言う人間の心はこんなに脆かったのか。
心の底から情けなく思うが、何回目かの死からあの鎧野郎を見るだけで震えが止まらないし、奴の腕が振り上げられるだけで反射的に身体が強張って、目を瞑るようになってしまった。
みっともなく泣き叫んだ事だってある。極度の恐怖に精神と肉体のコントロールが出来なくなるのだ。
つまり無限に繰り返される苦しみの上に、さらなる問題を抱えたわけだ。この恐怖感を克服しなければならない。
どうすればいいか分からない問題が増えた。自嘲気味に引き攣った笑顔を浮かべる。
とにかく考え続けなければ。発狂しないで居られるのは、いつの頃からか心の底にくすぶる、熾火のような怒りのおかげだった。
単純に考えれば隠れてやり過ごせない以上、次に試すことは走って逃げ切る事だろう。
隠れんぼの次は鬼ごっこって事だ。
これまで見たところ、あの鎧野郎が走った事はない。どうみても重い金属の塊を全身に付けているんだから、もしかすると走る事など出来ないのかも知れない。それなら身軽な俺の方が、速度的にも体力的にも有利なのではないだろうか。
希望的観測に少しだけ心が晴れる。脳内には兎と亀が思い浮かんでいたが、頭を振って意識の外に追いやる。あの話だと兎は亀に追い抜かれるはずだ、縁起でもない。
「問題は俺がまともに走れるかと、あの鎧野郎が走れるか。走れるとして全力疾走が俺より速いか、それに俺の体力が逃げ切るまで持つかか」
逃げ切れるなら足がもげようと、心臓が張り裂けようと走る事をやめない自信はある。斬り殺されるよりは大分マシな死に様だ。
心配事はまだある。例えば逃げた先についてだ。この先が行き止まりになっているかも知れないし、あの鎧野郎みたいな化け物が沢山いて、挟み撃ちになるかも知れない。
考えればキリがないほど心配事は尽きないが、行き当たりばったりを繰り返して行くしかないのだろう。まずは直面している命の危機を切り抜けよう。
そんな風に心を決めていると、もはや聴き慣れた音が耳に届く。錆びた蝶番と、甲冑のたてる甲高い耳障りな悲鳴。
恐怖に身体が震えだす。俺は力の入らない足で頼りなく立ち上がると、扉の向こう側の暗闇から這い出るように現れる鎧野郎を睨みつけた。
鎧野郎はこちら側の空間に一歩踏み入れると、室内を見渡すように首を巡らせた。そして俺のいる場所で顔の向きを固定すると、迷いのない足取りでゆっくりと歩み寄ってくる。
何度も見てきた光景だった。頭の中では既に激痛と共に真っ二つになる自分を感じている。
怖い。死にたくない。それだけしか考えられなくなる。恐怖に身体の震えが止まらない。
怖い。怖い。力の入らない足は地面をまともに掴む事が出来ず、フワフワとした綿を踏みしめてるようで頼りない。
怖い。怖い。怖い。悲鳴のような音を立てて近寄ってくる闇に滲むような鎧の影が怖い。
怖い怖い怖い怖いーー!
動けない俺を見下ろして、暗闇に光る剣を掲げ持つ姿に、震える身体を動かすことが出来ない。
恐怖に塗りつぶされたまま、右肩から走り抜ける激痛を待つ自分を叱咤する。
ーーこの鎧野郎の思う通りに殺されてたまるか!
その時、恐怖の底にくすぶる頼りない怒りが一瞬強く感じられ、ほとんど意地になった俺は震える身体を無理やり動かした。
そうして後ろに倒れ込む勢いで飛び退くと、全力で壁際まで距離をとる。網膜に目の前を走り抜ける剣の輝きが焼き付いたような気がする。
躱せた!?
痛みのない身体が、死んでいない事実がうまく飲み込めないまま、繰り返す時間の中で俺を幾度となく両断し続けた一撃を振り下ろした鎧野郎を見つめる。
鎧野郎は躱された事を気にもとめず、再び俺を斬り捨てようと歩み寄って来る。
たった少し走っただけで、大袈裟なくらいあがった息と動悸がうるさいくらいに止まらない。全身に吹き出した冷や汗もだ。
とにかく初太刀を避ける事は出来た。唯一の逃げ道である扉は、鎧野郎の背後にある。今もなお俺の方へ近寄って来る鎧野郎を大きく避けるように、壁際を走り抜けてやる!
しかし俺の全力疾走は、見覚えのある場所で思いがけず阻まれる事になった。何のことはない、間抜けにも躓いて転んだのだ。
原因は皮肉にも、まだ何度目かの俺が死んだ時と同じ……角の生えた人型の化け物の死体だった。
あの白骨死体の脇を通り抜ける時、死体の横にあった何かに足を取られてしまったようだ。
呆気なくパニックに陥った俺は、何故か自分が転ぶ原因になった物体を探す。俺が今踏みつけた物だ。すぐに見つける事が出来た。
俺が躓いた物は、塵や砂埃が積もり地面と一体化するように埋もれていた。どうやら古びた鞘におさまった一振りの剣のようだ。
「ーーくそっ! なんでこんな物が……!」
身体中に走る痛みに顔を歪めながら、思いもよらぬ不幸に毒づく。
鎧野郎は既に俺の目の前だ。
また、また殺される。自分の間抜けな失敗のせいとは言え、こんなのあんまりじゃないか!
すぐにやってくる激痛と死を覚悟した俺は、恐怖のあまり強く目を瞑り、拾った剣を咄嗟に抱きしめて身を強張らせる。
耳に届く錆びた悲鳴と、剣が走る風切り音。
そして、骨に響くような衝撃と、金属がぶつかり合って発する、鈍くも鋭くも感じる空気を震わせる轟音。
鼓膜を破られたような衝撃に、思わず目を開ける。
どのような奇跡なのか、俺が咄嗟に抱え込んだ剣が、柄の頭から垂直に鎧野郎の剣を受け止めていた。
それはまるで、硬い薪が振り下ろされた斧を止めるような形で、自身に食い込んだ刃に噛み付き、食い止めてくれていたのだ。
物凄い力が掛かっていたようで、地に着いていた剣先も杭のように埋まっている。我が身を助けた剣の脇から尻を引くように這い出ると、俺は今度こそ出口へと駆け出した。
背後は振り返らない。上手くすれば噛み合った剣を引き抜くのに多少の時間がかかる。
それにほんの数秒でも隙が出来れば、俺の背中に剣がかかることはないはずだし、振り向いたことで斬られるよりは背後から斬り捨てられて方がマシだ。
どうやら不幸の中に幸運を拾ったようで、俺は振り返らないまま開きっぱなしの扉を抜け、その先の暗がりへと一目散に飛び込んだ。
長い直線の通路を駆け抜ける。通路は暗かったが、壁に手をつけてなんとかバランスを取りながら走った。暗闇の先にかすかな光が見えていて、それはあっという間に近づいて来た。扉くらいの大きさの光。開きっぱなしの扉、次の部屋だ。
俺は次の部屋に駆け込むと、周囲を大急ぎで見渡す。危険なものはないか、出口はないかーー
耳には自分の荒い息と耳鳴り、それほど遠くない背後から聞こえる金属を引きずる音。あの鎧野郎が追ってきてるのは間違いない。
一縷の希望を抱いて辿り着いた部屋は、最初に俺がいた空間よりもかなり狭く、頼りない光源でも簡単に見渡す事が出来た。
動く物がいる気配はない。一先ずホッとする。
部屋の中央付近には腰掛けるのに具合の良さそうな岩と、その前の地面に広がる小石で囲まれた丸い焼け跡が見える。焚き火の跡だろうか。
その岩に立て掛けるように、俺の胴体くらいの大きさの金属製の盾が埃を被っているのが目を引く。
「余計な物に興味を持ってる場合じゃない! 出口、この部屋の出口はーー!?」
背後に迫る金属質な音に追い立てられるように、俺は部屋の出口を探して部屋の中へと歩み入る。
出口は直ぐに見つかった。その扉は入ってきた俺の正面の壁にあったからだ。
見慣れた朽ちかけた木の扉じゃない、錆びついてはいるが頑丈そうな、大きな錠前のような鍵のついた金属の扉が。
「はは……どうあっても俺に死ねって言うのか」
走り寄り扉を調べる。見た目を裏切らない重厚で頑丈な扉だった。鍵がなければ開きそうにない。
「畜生っ! 畜生っ!! ふざけんじゃねえよ!」
激情のままに扉を何度も蹴りつける。
しかし思った通り、どれだけ力一杯に蹴りつけても扉はビクともしなかった。
足が痛むほどに蹴りつけた後に振り返ると、丁度鎧野郎が部屋に入ってくるところだった。
この部屋はさっきよりもずっと狭い。脇をすり抜ける前に捕まるか、斬り殺されるだろう。またも時間切れって事だ。
いい加減に感じ慣れた絶望が胸に広がる。
そして全く慣れることのない恐怖に身を震わせながら、先程の激情の残りカスをかき集めて、意地で近付いてくる鎧野郎を睨みつける。
目を瞑り、項垂れたまま死を待つ。目の前の騎士は、もう何秒もしない内に俺を斬り殺すだろう。そして俺はまた、なす術もなく斬り殺されるための時間をやり直すのだ。
毎回寸分違わずに右肩から走り抜ける激痛を思い、歯をくいしばる。いっそ狂ってしまいたくなる。
そんな事を考える今際の際、稲光のような閃きが脳裏を過る。右肩から左脇腹に抜ける激痛?
閃きに恐怖を忘れて目を開くと、そこには剣を振り上げる騎士が、まさにその手を振り下ろそうとしていた。
俺にはこれからその剣が辿る軌跡が分かる。そうだ、右肩から左脇腹。寸分違わぬその痛み。
無意識に身体を開くように左足を半歩引き退げる。目の前を通り過ぎる剣の閃き。
「ーーーーッギィ!」
同時に感じた右足の激痛に、喉が引き攣るような悲鳴をあげた俺は、思わず屈みこんで足を抑えて悶絶した。
潰れた足が床に血だまりを作っているのが、涙にゆれる視界に映る。
痛い痛い痛いーー!
なぜ?
そうか、踏み潰されたのか。
色んな思考が脳内を駆け巡る。それは正しく走馬灯と呼ばれるものだった。
痛みに蹲って頭を上げられない俺の耳に、風を切るような音が聞こえ
………
……
…
目を覚ますと足の激痛は綺麗さっぱり消えていた。死の間際に閃いた思いつきに、俺は歪んだ笑みを浮かべる。
「同じ時間を繰り返せるなら、やりようはあるって事か。あのクソ鎧野郎、見てろよ」
絶望に対抗する唯一の天啓に、俺は恐怖を忘れて立ち上がる。やるべき事は分かった。
何度死ぬか、いつ終わるのかも分からないが、必ずやり遂げて見せる。
扉の開く音がする。俺はその音に震え出す身体と精神を叱咤した。ここからは違うのだ。
暗闇から這い出してくる絶望を睨みつけて、笑ってみせた。もう身体は震えない。
このままじゃ済まさない。
「かかって来いよ、クソ野郎!」
俺は暗闇に強く吠えると、背後に向かって駆け出していた。