2
――――っ!!
咳き込み、飛び跳ねるように起きる。地についた左手と足元に感じる地面の感触。足がある、と言うか身体が真っ二つに別れてない。
確かに今、斬られたはずなのに。
脳裏には自分が殺された瞬間が焼き付いていて、その時に感じた激痛、絶望感や孤独感、それに少しのおかしみを感じた事を現実として受け入れている。
しかし身体は二つになっていないし、痛みも少しも残っていないのだ。訳も分からないまま、俺は着ているシャツをたくし上げ、分断されたはずの身体を見下ろした。
身体には傷一つなかった。そもそも着ている学生服が少しも破れていないのだ。その下にある身体に何もないのは当然とも言える。
「一体どうなってるんだ……夢? 殺される夢を見たってか?」
呟きつつ、周囲を見渡す。さっき目が覚めた時と同じ、上下左右全てが土か岩のぽっかりとした空間が見渡せる。ほかに目に入るのは幽かに光る苔のような何か。その光によって闇から浮かび上がるように、何かの塊で地面が盛り上がってるのが、あちらこちらに薄っすらと見える。
そして少し離れた壁にある、倒れてないのが不思議なくらいに朽ちた扉。
ーー扉! そうだあの扉!!
扉を目にした瞬間、蘇ってくる焦燥感。何故か俺には分かるのだ、もう少しもしない内にあの扉を開いて、錆びた騎士が俺を殺しにやってくる。
もう何度繰り返したのかーー覚えていない今の俺には、記憶に残らない沢山の俺が死んでいた様な錯覚に陥りそうになる。
いま見ているのが悪夢なら、ベッドの上で眼が覚めるのを待つのもいい。でもあんな痛みは二度とごめんだ。落ち着いて。まずは逃げなければ。
一先ずあの扉とは別の出口を探そう。そう考え立ち上がると、扉から離れるように壁際に走り寄る。見渡した限り、ほかに扉は見えなかったが、なにしろ光源の頼りない薄暗闇の中だ。暗さに紛れ込むように通路が口を開けているかも知れない。
無駄な努力だと嘲りに似た諦めを囁く自分を無視して、壁に手を当てたまま小走りに確認してまわる。
すると必然的にさっきから目に入っていた、あちらこちらにある地面の盛り上がりの一つへと近寄ることになり、それが何の塊なのかが分かった。
骨だ。生き物の成れの果て。この空間のあちらこちらにある小山は、土埃を被った死骸だったのだ。
「全部、全部死体ーーくそっ! まさかこれ全部あの鎧野郎がやったなんて言わないよな。それに、この骨ーーなんかの冗談だろ……」
壁に寄りかかるように蹲った人型の骨の山、どれだけの間そこにあったのか、降り積もった埃やら何やらで地面と一体化しそうなソレを、恐怖も忘れて拾い上げる。
俺は呆然となりながらも、その表面を手で払い、息を吹きかけて、付着している埃を払う。
思ってた以上の土埃が周囲に霧のように広がって、目や気管を直撃する。俺は涙目で咳をこぼしつつ、大きく手を泳がせて埃の霧を追いやった。
そうしてようやく目に映ったソレの姿は始め、俺には座り込んだ人間の骸に、手に持ったモノは人の頭蓋骨に見えた。
あらわになった頭部全体が丸いと言うよりも楕円に長くなければ。額の辺りで大きく湾曲した角のような一対の歪みがなければ。そして、牙と言って差し支えのない歯がズラリと並んでいなければ。
「こんな、こんな生き物……見た事が……」
混乱の極みにあった俺は、そこで急に時間が経ち過ぎている事に気がついた。慌てて背後の扉へと振り返ると、いつの間にそこに居たのか、すぐ目の前に錆びた甲冑の騎士が佇んでいた。
「ーーヒッ」
喉が引き攣り、猿のような鳴き声をたてる。
そいつは記憶の中と同じように、薄闇に光る剣を掲げ持ち、錆びた身体を軋ませながら、静かに俺を見下ろしている。
つまらない事に夢中になって、接近に気がつかないなんて!
混乱を恐慌で塗りつぶされた俺は、その場に崩れ落ちるようにへたり込み、尻を引き摺るように後退りながらも、なんとか口を開いた。
「待っーー」
咄嗟に口をついて出た言葉は命乞いだったと思う。迷いなく振り下ろされる白刃が記憶の通り、右肩から左脇腹へと通り抜けて行くのを激痛と共に感じる。
致命傷を負った身体は、どうしてか直ぐに激痛を感じなくなるようで、奈落に落ちるように意識が闇に吸い込まれて行く。
ああ、また殺された。
そう思ったのは、俺自身だったのだろうか。
何も分からないまま、俺は再びあっけなく命を落とすのだった。
・
そしてまた、暗闇から浮かび上がるように意識が覚醒する。なんど経験しても慣れない。肺に詰まった空気を追い出すように何度か咳き込む。
オーケー分かった。何度殺されてもこの悪夢は終わらない。寝転んだまま天井を見上げて思う。はっきりと覚えているのは2回だけだが、そんなもんじゃ済まないくらい繰り返してると、何故か確信出来る。
半分自棄になって覚悟が決まる。すこし冷静さが戻ったのか、さっきよりも落ち着いて現状を整理出来た。
つまり俺は今、どこか分からない地面の下に居て、周囲は見たこともない生き物の死骸だらけ。出口はどうやらひとつきり。その扉の向こうはどうなっているのか分からないが、開けば声をかけられるくらいの距離に、俺を躊躇いなく真っ二つに出来る鎧野郎が居る状況。
そしてこれも何故だか分からないが、そんな状況で目覚めてから斬り殺されるまでを、何度も繰り返し体験している俺。
「ハッ、笑える」
あんまりな状況に皮肉をこぼす。どうすればいいのか、多少冷静になってもまるで分からない。
どうにかしてあの鎧野郎をやり過ごさなければ、生きてこの部屋ーー扉があるから部屋だろうーーから出られない。
死んでも死なないと言うか、同じ状況を繰り返しているのは不思議だが、何の安心感にも繋がらない。
俺が繰り返し死ぬ夢を見ていて、今この時が現実ではないという保証はないし、予想通りに同じ状況を繰り返しているとしても、次もやり直せる保証もないのだ。それに死ぬのは怖い。それこそ死ぬほど痛いし、あんなのを繰り返していたら時を置かずに発狂するだろう。死ぬのはさっきのを最後にしたい。
「今の俺が狂っていないとも限らないが……」
ともあれ時間を無駄には出来ない。俺は飛び起きると音を極力立てないように移動を開始する。あの鎧野郎をやり過ごしてこの部屋を出るのなら、思い付く事は一つだけだ。
即ち、あの扉の影に張り付いて、奴がこの部屋に入るのを待ち伏せして、気がつかれる前に出て行く。あの野郎が俺を見つける前なら、もしかしたらこれで上手く行くかも知れない。
扉の近くには柔らかな光を放つ苔みたいなものがあったが、俺はそれに学生服のブレザーをかけて光を塞いだ。するとおあつらえ向きに扉の付近は暗闇に包まれてくれた。
屈んで居ればかなり視認性は低くなりそうだ。部屋から出るときにブレザーを持って行くか少し悩む。気がつかれる危険は犯せない。こいつとは2年の付き合いだが、お別れだ。
息を殺して鎧野郎が来るのを待つ。
かなりギリギリのタイミングだったようだ。すぐに蝶番が軋む音が静かな空間に響き、暗闇の中で扉が開いていく風の動きを感じた。
ーー頼むから気がつかないでくれ!
俺は祈りながら、あの錆びた甲冑が金属質な悲鳴を上げつつ、ゆっくりと目の前を通り過ぎるのを見ていた。あと数歩、完全に通り過ぎたら、静かに部屋を出よう。
長い数秒を耐え抜き、鎧野郎が完全に部屋に入るのを確認すると、俺は静かに立ち上がり、開いたままの出口に滑り込んだ。
ーーやった!
そう思った瞬間、首筋に物凄い力が掛かかると、俺は野菜が引っこ抜かれるみたいに部屋の中へと引きずり戻された。
どれだけの力があればそうなるのか、吹き飛ばされるような浮遊感と地面にぶつかる衝撃に、もんどりうって倒れた俺は全身に走る痛みよりも、唯一思いついた作戦の失敗に絶望を感じていた。
倒れ込んだまま、鎧の騎士を睨みつける。そいつは既に剣を振り上げ、俺の命を絶つ準備を済ませていた。胸中には恐怖よりも諦めに抗う気持ちが、怒りになって火のように広がるのを感じる。
「あぁ……畜生め」
呟く声に合わせるように振り下ろされた刃が、起き上がり駆け出そうとする身体を通り抜ける。
俺はその刃がもたらす激痛が、絶望よりもむしろ理不尽に対する怒りの燃料になっている事に、昏い喜びを感じていた。
ーー見てろよ、次こそはーー
そんな風に毒吐きながら、俺はもう何度めになるのか分からない死を迎えた。