第1章 「加納の力」 1
ばぁーん!とドアを開け「先生! ただいま戻りましたよ~ ああ、重かった」と海里が一番先にスーツケースを転がしながら事務所へ入る。
「先生~あっちではもうアクシデントばっかで、へろんへろんだったんですよ~、だから超過勤務手当を出してください!」
「──海里。へろへろだったのはお酒に手を出したせいでしょ」
自分に都合の良い話をでっち上げる海里にたくみは肩をすくめる。
「みんな、よくがんばってきてくれたね。お疲れ様」加納は二人をねぎらうと、ドアの前に姿を見せた隼優に気が付く。
「明歌は先に家へ帰しました」その瞳には静かな怒りが湛えられていた。
「……大先生、話がある」
「わかった。外へ行こうか。――誠、出かけるんだろう? 事務所はそのままでいいから。僕はまた戻る」
誠は外出する二人を心配そうに見送った。
「マスター、個室借りるよ」
加納と隼優は事務所から歩いて2,3分のところにある行きつけの喫茶店『丸焼き珈琲』に入った。加納の事務所には各国から依頼人がやってくるため、事務所の個室だけでは対応できないこともあり、ここは加納達の御用達みたいな店として使われている。隼優は大学が休みになるとここでバイトに入ることもあった。
「え~ちょっと先生、今日は予約入ってんすよ。おやっ、隼優、久しぶりだねぇ。インドにダンスの修行に行ってたんだって?」
「いつの話してんだよ。それにダンスって誰かと間違えてるぞ。マスターその予約、無理矢理待たしといて。こっちは大事な話なんだ」
「まぁったく。人間の話なんてあっちもこっちも大したことないのになぁ」
「そんなこと言ってるの、マスターだけですよ」
カウンターにいたウェイトレスの由希が皿を拭きながら言った。
「大先生、明歌をどうするつもりなんだ。あんな危険な目にあわせた上に、明歌の力を利用した。俺にはあんたがわからない……」隼優の顔に苦悩の色が浮かぶ。
「隼優。今回みたいな交渉にならなければ、相手は怒って威嚇などしなかったんだよ。だが、君が交渉に出向けば、ああいう状況を引き起こすことは予測できた。だからたくみや海里にも君のサポートをしてもらったんだ」
隼優はどんっとテーブルを叩く。とんでもない怪力なので、テーブルが歪んだかと思うほどだ。
「じゃあ、なぜ俺を行かせた!?」
「君が行けば、必ず交渉がまとまると思ったからだよ。いくら私に、ある程度未来を見る力があると言っても、実際、君が相手に何を言うかなんてわからなかった。ただ、誠に行かせてもこうはいかなかっただろう。今回は、君が成功させたんだ」
「――成功? 相手は怒って撃ちまくってきたんだぞ。あれで成功だったのかよ。」
「おかしなことにね。君の話自体には興味を持ったと電話があった。君には天性の催眠能力があるのかもしれない」
「催眠なんか勉強したことねぇよ」隼優はそっぽを向く。
「私は学生時代に少し修めているが、世界には催眠の重鎮がいてね。彼は催眠で次々と病気を良くしたが、催眠というのは相手を一気に怒らすことによってもかけられるものなんだよ。つまり、相手を一瞬混乱させることによって、暗示をかけやすくする、という技だ」
「そんなもの使った覚えはないが、部屋の壁に飾ってあったライフルに手をかけそうなぐらいにはキレてたな」
「それはまた、彼らを混乱させるには充分な挑発だと思うけどね。」
その時、個室のドアをマスターがノックした。
「ちょっと二人とも、個室に押し入った上に、テーブルぶっ壊す気?やめてよぉ。テーブルは瓦じゃないんだから。隼優、あんたの力は怪獣と一緒なんだよ」
「あ~あ、どいつもこいつも俺に文句ばかりだ。アメリカでもさんざん嫌味を言われたしなぁ」
マスターはクスッと笑う。
「あんたのパワーが強大だから、みんなあんたがうらやましいんだよ。そういう人間はへこましたくなるもんだ。ねぇ、先生?」
加納はマスターの核心をついた言葉に少し驚いて、ハハハッと苦笑した。
「マスターはさすが人をよく見ているね。──そうだよ、隼優。私も君にはかなわない。私が意識的にやっていることを君は無意識にやってしまう」
「いやいや、隼優なんて先生と肩を並べるまで何万年もかかりますって」
マスターはコーヒーを置いて個室から出て行った。──何万年たったら、誰もいねぇじゃねぇかよ、と隼優は心の中でぼやいた。
普段、イラストはほとんど描きませんが、キャラクターがこんな感じの人、というのがわかると読みやすいかな、とも思いました。皆様の想像の邪魔になることもありますが……
誰かさんです。よかったら当ててみてください。