3章 3
大学生にもなって人様の家で夕ご飯を食べるというのも申し訳ない気持ちがあったが、それ以上に明歌と会う機会を減らしたい、と思っていた。
だが結局、隼優は自分の気持ちを誤魔化すことが辛くなっている。明歌が大人に近づくほど、つい二、三年前まで彼女に抱いていた気持ちとは違う何かが自分の中にあるからだ。
「──今さ、声かけてもらって働いているカフェの店主がわざわざまかないを作ってくれるんだ。それに、親父さんやおばさんとはあまり会えないけど、バイトがらみで明歌とはよく会ってる。だから、これでいいと思ってるよ」
英隼は息子が何かを隠していることに薄々気づいたが、それ以上探りを入れたりはしなかった。
「あのさ、俺、来週からルクトシュタインへバイトに行くんだ」
「ん? そこ護衛が必要な地域なんかあったっけ」
「言っとくけどな、俺がいつもバイトで護衛に行くワケじゃないからな。明歌の付き添いみたいなもんだ」
「えぇ~心配だなぁ。明歌ちゃん、何しに行くの」
「何しに行くんだか……俺もよくわからない。あっちの王子に気に入られちまって……」
「えぇっ、王子!? ダメだよ、隼優。止めないと。明歌ちゃんはうちにお嫁に来るんだから」
隼優は顔を真っ赤にしてうろたえた。
「な、何言ってんだ。それは親父の願望だろ!」
「え、だって昔、明歌ちゃんに『うちへ嫁に来ない?』って言ったら『いいよ』って言ってたし」
「子供をたぶらかすな!」
英隼は自分の息子をからかうたびに不思議に思っていた。……明歌ちゃんはずーっと隼優に一途なのになぁ、うちの息子はなんでこんな鈍感なんだか。いや、明人くんの意向かな。それにしても王子……?
「──隼優。ルクトの王子ってファブリス様のことかい?」
隼優は意外そうな顔つきをした。
「ファブリス様のことを知ってるのか? 親父、まさかあっちと取引でもしてんの」
「そりゃ、僕の管轄は欧州だし……ルクトほど資金が潤沢な国はないからね」
「そうだよなぁ。話聞いてるだけで金銭感覚フツーじゃねぇし。俺が事務所で会ったのはロイク様の方だけど」
「事務所……ってその加納くんとか言うコンサルタントの? まさかロイク様が来日されたのか」
「ああ。なんか旧知の仲みたいで。だけどさ、あの奔放さはなんなんだ? 王位を継ぐ気もねぇみたいだし……」
英隼はクスッと笑った。
「そうだね。僕が知る限り、ロイク様みたいな王子はいないよ。だが、ロイク様は世界中に人気がある。知ってたかい」
「破天荒な行動で国民をざわつかす才能か?」
「ハハハ……違うよ。僕は直接、面識はないがパーティーなどでお見かけしたことがある。彼を近くで見ていればそのうち気づくだろう……とりあえず、ルクトは宇宙開発関連の取引があって僕もよく寄るから、あっちで落ち合うか。でも君、王宮に行くんだよね。外へ出られるの?」
「う~ん。出入り自由ってわけにはいかないんだろうなぁ……着いたら連絡するよ」
結局、ロイクの強い要望で明歌もルクトシュタインへ発つ準備を始めた。ある日、事務所で海里が用意したデータを整理していると、加納が個室に来るよう明歌を呼んだ。
「明歌ちゃん、これは私から特別手当だ」
加納はテーブルに置いてある箱を開ける。それはイヴニングドレスだった。
「か、加納さん? 何ですかコレ……」
「あちらへ行ったら、たぶん王子主催のパーティーに出ることがあるだろう。もちろん、ドレスはロイクが用意するだろうが、一つぐらい持っていっても困ることはないだろうから」
「でも、私お仕事で行くんでしょ?」
「君はちょっとしたアシスタントだ。くれぐれも隼優から離れないようにね。誠はファブリス様にかかりきりになるし」
加納は慎重に話を切り出す。
「万が一のことを話しておく。もし隼優が動けない時は誰よりもまずロイクへ相談するんだ」
「で、でもあの人、いちおう王子だし、そんな……」
「彼は一見チャラそうだが、王宮内で一番信頼できると思っていなさい。幸い彼は君を気に入っている。快く相談に乗ってくれるだろう」
明歌はふふっと笑った。
「加納さんて、ロイク様が目の前にいないときは呼び捨てなのね。なんか面白い……」
「ああ、私は彼と知り合った時はお互いの素性を知らなくてね。王子だと気づいた時はすっかりフランクな関係になっていたんだ。周囲に人がいる時は気を付けてはいるんだが」
「……加納さん。あの……」
明歌は緊張した面持ちで聞いた。
「なんだい?」
「本当に一緒に……行かないの?」
加納は不思議そうな目をしたが、すぐに明歌の不安に気づき、表情を和らげた。
「大丈夫だよ。今回の件は確かにややこしいが、そんな深刻なことではないからね。何かあったらこっちが夜中でも連絡して。明歌ちゃんのためなら飛び起きるよ」そう言って加納は笑った。
「はい。行ってきます」明歌は少し不安が吹き飛んだ。
出発当日、海里が運転する車に誠、たくみ、隼優と明歌が乗り込み、あと少しで羽田のターミナルへ着くというところで誠が聞いた。
「チケットは?」
「実は……その、みんなが緊張するかもしれないからって先生が伏せてたんだけど……」
数日前、事務所で加納が王室の事務方と電話をしていた。
「ファーストクラスでなくてもかまいません。ビジネスなら空いてるでしょう?」
「国家の賓客に対しそういうわけにはまいりません。今回の依頼はロイク様だけでなく、国王のご意向でもあります。ですから加納様のご希望には沿えません」
「しかし……二、三人に分けて搭乗するという手もあります。全員一緒にそちらへ向かう必要もありませんし……」
「お察しください。もう決定事項ですから」
加納は呆気にとられた。
「と、いうわけでコレに乗ることに……」
明歌たちはVIP用の貴賓棟から車に乗せられ、政府専用機などが離着陸するゲートへ着いた。
「こ、これもしかして……見たことないけど……」誠がぽかんと機体を見上げた。
明歌たち一行は羽田からルクトシュタインの王室専用機に乗ることになってしまった。
加納は一般フライトで向かわせることを強く希望したが、ファーストクラスは半分が満席だった。ビジネスを使用することは王室の事務方が許さず、ロイクは始めから専用機を飛ばせと命令を出していたため、加納側の遠慮がちな提案は却下された。




