3章 2
「うん……今、王宮内では嫌がらせが横行していてね。深刻なものではないが、それがファブリス様を狙ったものだから、予期不安もひどくなる一方だ」
「どうしてそんなことが起こっているの?」
「まぁ、私を狙ってもつまらないからだろう。大抵のことでは動じないからな」
加納はあきれたようにロイクを見た。
「……ロイク様。これは全てあなたが王位を継がないことを吹聴していらっしゃるからです」
「またその話か。もう聞き飽きたぞ。大体セイ。おまえが私の性格を一番わかっているではないか」
「だからこそです。あなたが王位を継ぎ、ファブリス様が公務の補佐をなされば、全て丸くおさまります」
「あの弟が治ると思うか」
「治ります。──本人が心の底から治りたいと思っているからです。しかし、気づかないうちに心を病むことが、彼にとっては一種好都合なんですよ」
「おまえの言ってることはいつもよくわからん」
加納の言葉が意味不明な時、いつも困り気味の明歌も隼優も内心、安堵した。長いつきあいのロイクですらわからないことが自分たちにわかるはずはない。
「そうでしょう。ロイク様には必要ありませんからね……」
ロイクと王室のスタッフ一行は表面上の相談のみをすませ、事務所を後にした。明歌たちはロイクが去った途端、全員どっと疲れて茫然としていた。
「──あれがルクトシュタインの皇太子……」海里も若干へとへとだったが、早速滞在日程を入力し始めた。
「あんなにおかしな王子だったとは……王宮に行くのが心配になってきたよ」誠がデスクに突っ伏した状態で言った。
「王宮では大丈夫だろう。ロイクは日中ほとんど公務か、どっかで遊び呆けているからね」
加納はソファで休んでいる明歌に話しかける。
「明歌ちゃん、ロイクがいろいろ失礼な物言いですまなかったね。悪気はないから許してやってくれ」
「……え? あの、全く気にならなかったんだけど……それに、なんか……ロイク様って加納さんに似てる……」
全員、明歌の言葉に驚く。
「はぁ? どこが大先生に似てるんだ」明歌の真向かいのソファに座っている隼優が聞いた。
「性格とかじゃないよ。エネルギーみたいな……」
「確かにロイクと波長は合うね。ロイクは浮かれてはいるが、あれでけっこう合理的なんだよ」
「それにしてもロイク様は日本語がお上手ですね。一体、何か国語を話されるんです?」たくみはロイクが自分以上に語学が堪能ではないかと感じていた。
「ルクトでは国民のほとんどがマルチリンガルなんだよ。日本人には信じられないだろうけどね。ルクトシュタイン語の他に小学校から理系教科はフランス語、文系はドイツ語で習う。中学に上がる頃には三か国語を習得していることになる。英語はドイツ語やフランス語に比べれば楽だからその後も国民の大半が話せるようになるらしい。しかし、ロイクは勉強が嫌いだからね。今のところ五か国語程度、つまりたくみと変わらないよ」
「でも、どうせ加納さんと話したくて日本語を勉強し始めたんでしょ」誠はロイクが一般人には難しそうなことも加納のためならやりかねない、と見抜いた。
「ああ、だから始めた頃はひどかったよ。店で『カメナイ、カメナイ』って言うから『何がかめないんだ?』って聞いたら甕入りの焼酎がないって意味だったんだ。頼むから英語でしゃべってくれないか、といつも言っていた」加納は昔のことを思い出して笑った。
その日の夜、加納は事務所を出て銀座に向かった。
ロイクは銀座にある外資系のホテルに泊まっていた。最上階のラウンジに加納を呼び、二人は日中できなかった話をし始めた。
「──珍しいね。こんなに早くホテルに戻るなんて」
加納は企業の社長などからまれにこういったホテルへ呼び出されることがあるが、ラウンジでくつろいで話すのは久しぶりだった。めったに拝めない夜景を窓から見つめている。
「まぁ、普段はない。今日はおまえがいるからな。だがさっきまでいた店はなかなかよかった。日本は女性がしとやかでいい。──メイカもまだ子供だが、あれは今に大化けする。楽しみだな、セイ」
加納は少し神妙な面持ちになる。
「……ロイク。明歌ちゃんはあの事件後、微妙な立場だ。ルクトシュタインは欧州音研の本部にも近い。彼女を頼んだよ」
「おまえ……メイカのような可愛い女性を私がたらしこまないとでも思っているのか? おめでたいやつだ」
「ロイク!!」加納はすっかりうろたえている。
「ははっ、おまえはメイカのことになると血相を変えるんだな」そう言ってロイクは笑った。
「そんなセイはなかなか見れない。私は俄然彼女に興味が湧いた」
「手は出さないでくれ」
「それはできない約束だ。そうしてほしいならセイ、条件がある」
加納はロイクをじっと見た。
加納とロイクがホテルで会っている頃、隼優はバイトを終えて帰途に就いた。自宅の前まで来て、リビングの明かりがついていることに気づいた。
まさか……
「おい、どうして事前に連絡もせず帰ってくる。泥棒かと思うだろ」
「しゅんゆう~」隼優の父親、英隼は久しぶりに会う息子に飛びついた。
英隼は外資系の役員をしているため、日本にいることが少ない。しかし、性格は気さくで明るく、どうひいき目に見てもビジネスマンには見えなかった。
「ごはん作っといたよ~食べるだろう」
「……食べる」
英隼は食卓についた隼優を優しげな眼差しで見つめる。
「──隼優。大学は楽しいかい」
「ああ。でも親父、実は単位ギリギリで留年しそうだ」
「ふーん。君はわりと賢いはずだけどねぇ。どうかした?」
「明人が留年しそうなんだ。立てるようになったけどまだ歩けない。俺もバイト忙しいし」
「ああ、ニュースを見たよ。だから帰ってきたんだ。君が心配で」
「俺が? この俺があんなやつらにやられたと思ったのか?」
「違うよ。君はあの二人のことになると、急に冷静さを失うから……でも、思ったより元気そうで嬉しいよ」
「親父もな」
久しぶりに見る父親はまるで年をとっていないかのようだ。
「……隼優。留年はかまわないよ。だが、アルバイトは減らすんだ。鹿屋さんに聞いたが、全然あちらに顔を出さないそうだね。どうして?」
「それは……」




