第3章「誰かが夢中 前編」1
その日、加納の事務所が入っている新宿の雑居ビルはものものしい警戒の下に置かれていた。
事務所の窓から海里が外を眺める。
「先生、何ですか? あれ」
高級車が何台も続き、私服を着てはいるが明らかに警備隊らしき者たちが整列している。加納はデスクから離れて窓際へ行くとため息をついた。
「──まるで大名行列だ。近隣の迷惑にならなきゃいいが……」
その日にロイクが到着することはほぼ情報が入っていたが、正式にはお忍びでということらしい。しかし、事前に偵察のヘリは飛んでいるし、警官がそこらじゅうに配備されていて「どこがお忍びだ、バレバレじゃねぇかよ」と隼優があきれていた。
加納はロイクの到着前に事務所のスタッフ全員に説明する。
「みんな、驚くだろうが相手はルクトシュタイン王国、名目上の皇太子だ」
「名目上? ……どういう意味だ」隼優が訝しげに聞いた。
「いろいろややこしくてね、彼は王位を継がないことを触れ回っているんだ。しかし、私は以前から彼を説得し続けてはいる。長男が継ぐのはしごく当然のことだし、現国王もそれを望んでいるからね」
「それじゃあ、あいかわらず弟のファブリス様に継承を薦めているんですか」誠が以前から聞いていた噂を確認する。
「そうだ。まぁ、しかし今回、そういう国内のゴタゴタは気にしなくていい。君たちが対応しなくてはならないのは、これから到着される少々破天荒なロイク王子の方だ」
「少々……っていうかだいぶ……」たくみの表情が青ざめる。
「彼は王家の人間ではあるが、君たちが想像しうるような礼儀正しいおごそかなタイプではない。浮かれているといった表現が適切だろう」
「浮かれた王子……」どんな王子だ、と全員がそれぞれ自分なりの王子像を想像した。
警護の者に続き、ロイクが事務所に入った。
「元気そうだな、セイ! 驚いたか」
情報は洩れていたが、それについて加納は何も言わなかった。
「こんな狭い所に大勢連れてこられては困ります。大体、あなたに警備隊など必要ないでしょう」
ロイク王子は格闘技にかけては右に出る者がいない。おそらく地球上で勝てるのは隼優ぐらいだろう。加納はロイクの連れてきたスタッフたちの手前、ロイクになるべく敬語を使う。
加納はロイクをガラス張りの応接室へ通し、ドアは開けたままにしておく。誠や隼優たちはそのすぐ近くに立ち、話を聞いていた。
「そう機嫌を損ねるな。おまえが気に入ったという我が国自慢のコーヒーを持ってきてやったぞ。これだろう? 残りは届けさせよう」
「いや、それは……」
明歌が紅茶を運んできた。
「──あ、加納さん。その缶のコーヒー、もしかして……」
加納は明歌と初めて会った日に、明歌がそのコーヒーを美味しいと言ったことを覚えていた。後から海里に誰からもらったのかを確認すると、なんとロイクの国の大使だった。加納自身は味へのこだわりがほとんどないが、ロイクにはコーヒーが美味しかったと伝えておいた。
ロイクは明歌を見たとたん、先日の事件を思い出す。
「おお! こちらが噂の娘か?」
「う、うわさ?」明歌は何のことだかわからず、目をぱちくりさせた。
「そこに座れ」
「……明歌ちゃん。すまないがしばらくここにいてくれる?」
明歌は加納の横に座った。
「欧州音研に目をつけられて大変だな。おまえの愛人に手を出すとはよっぽど勇敢な連中なんだろう」
「あ、愛人~!?」誠や隼優が素っ頓狂な声を上げた。
加納は珍しくうろたえて咳払いをする。
「ご……誤解ですよ。こんな若い女性を愛人にしたらこの国では犯罪まがいだ。大体、私には他に決まった相手はいません」
おまけに隼優に殺されかねない。
「……なんだ。おまえが珍しく若い娘を側に置いてるというからてっきりそうだと思っていたぞ」
「ロイク様。パーティーで仕入れたネタを本気にしないでくださいよ」
「じゃあ、その娘は私がもらってもいいんだな」
ロイクは突拍子もない言葉を口にした。
「な……何をおっしゃってるんです?」
「いや、私は歌が好きだからな、欧州音研のやつらに渡すぐらいなら私がもらった方がいいであろう」
「──ロイク様」明歌が王子へ話しかけた。
「なんだ、娘」
加納は明歌が毅然と王子に話しかけるのを意外そうに見つめた。
「私の力がお役にたてるのであればご協力します。でも、今回いらしたのは別のご相談なんでしょう?」
「……いや、おまえも連れていく。役に立ちそうだからな。セイ、メイカを貸せ」
「お断りします。彼女の力は誰にでも効くわけではないんです」
ロイクはチッと舌を鳴らす。
「金を出してやった恩を忘れたか」
「国王の対人恐怖を治した恩は棚に上げるおつもりですか」
「私はおまえの失態をとりなしてやったこともあるだろう?」
「私もロイク様の女性関係を全て清算したことがあったはずですが」
加納とロイクの言い合いを事務所にいる者全員が困ったように見ている。
「あいつら恩売り対決を始めたぞ」隼優もあきれていた。
ロイクが隼優に向かって言った。
「おいっ、そこのボディガード! メイカについて来てやったら褒美をとらせよう」
「──いいけど、俺は高いぜ」
「ロイク様! 彼はボディガードではありませんよ」
「やつはシュンユウ・クラトだろう。格闘技で有名な。なぜあんなスゴイやつがここにいるんだ」
「偶然ですよ。彼は明歌ちゃんの友人です」
「ほぅ……さすがセイ。おまえのことだから、これは偶然ではないんだろう?」
人は近い意識の人間を自分の見ている世界に呼びよせる、とロイクは加納からアメリカで聞かされていた。
「明歌の歌でも聴けばファブも改善するかもしれない」
「やはり……ファブリス様なんですね」
加納は以前、国王の治療で滞在している間、いずれはファブリス王子も診なければならないと予測していた。
「明歌をよこさないなら、今回もおまえが来てくれるんだな」
「いいえ、私は仕事で行けません。私の代わりに誠が」
そう言って誠を紹介する。
「……セイ? 同じ名前なのか」
「いえ、漢字が違います。彼は私の優秀なスタッフのうちの一人です。
「それにしても……おまえは一般人か? まるでモデルじゃないか」
「ええ。そうですよね。僕の美しさでみんな頭がクラクラするらしいですから」
自分で言うな!と、全員が心の中でつっこんだ。たくみは「日本語がおかしいですよ」と誠にささやく。
「しかし、あれは一筋縄ではいかない。欧州中の著名なカウンセラーをつけたがびくともしないんだからな」
「ああ……普通のカウンセラーでは難しいでしょうね。王宮内の混乱で余計意識がこんがらがっている。」
「混乱?」明歌は不思議そうな顔をして加納を見た。




