番外編 3
「セイ、美味いシャンパンが手に入ったぞ」
そう言って、ロイクが部屋へ入ってきた。
「おい、おまえなんで荷物を片付けてるんだ」
「ああ、ロイク……俺、クビになったんだ。だからいったん日本へ帰国する」
「なにっ? おまえをクビにするなんてやつらはバカか」
「そうでもないさ。俺の考えが甘かっただけでね。ロイク……君もいい加減こんなところで浮かれてないで国へ帰った方がいい。これ以上ここにいると国民に愛想をつかされるぞ」
ロイクはギョッとした。
「な……おまえ、まさか俺のこと……」
「当たり前だ。あんたは隠しても帝王学が染み付いてる。そのイカれた髪型も全然そぐわない。早くどうにかしろ」
「俺の正体を知っててその言いようか……不遜なやつだ」
「大丈夫ですよ。これからはあなたのことをロイク様、と呼びます」
「ロイク様だと? ……やめろ。俺はそんなものをおまえに望んでない」
「だったら大人しく国へ帰るんだな」加納は淋しげな目を伏せた。
加納は日本に身寄りがなかった。帰国後、都内の仮契約をしたアパートに荷物を送り、ほとんど日を置かずに和歌山県へ向かった。
小さい頃、身体が弱く両親に温泉へ連れていってもらったことを思い出し、久しぶりに出かけようと考えた。
加納が向かっていた温泉は小さな村が経営しているという秘境らしかった。バスを降りたはいいが、ほとんど目印らしきものがない。
歩きながら、アメリカでの生活を思い出していた。
カウンセラーなど、本当に天才なら生計など立てられない。短期間で治してしまえばそれ以上金は入ってこないからだ。カジノのカウンセラー?あんなもの、欺瞞の最たるものだ。
じゃあ、俺はもう別の職に就くしかないのか。この化け物じみた能力も人を幸せにできると思えば生きるに値すると、必死に修業を積んできたというのに。
「俺は……どうすればいい」
山の天気は荒れやすい。すぐ土砂降りになった。
眠らずに歩いていた加納はふらっと倒れそうになり、道端でうずくまった。
しばらくするとそこへ、馬に大八車をひかせた老人が通りがかった。
「おや、ずいぶんと顔立ちの綺麗な若者だ。このあたりでは見かけないのう」
そう言って加納の腕を自分の肩にまわし、大八車に乗せた。
「……あんた、誰だ」朦朧とした意識の中で、加納がつぶやいた。
それが加納と本若の出会いだった。
「うっっ、起き上がれない」
加納の視界は熱でかすんでいた。──ここはどこなんだ?
そこはまるで昔の映画の中に入りこんだような、時代錯誤な木造の家だった。加納の目にうっすらと人影が映る。誰だ……こども?
「兄ちゃん、こんな雨の日に山なんか登っちゃだめだよ」
「いや、登ったつもりはないんだが……」
まさか温泉に行くのに、こんな山道を歩くことになるとは計算外だった。
「君は……ここの家の子か?」
「ここは泰七じいちゃんの家だよ」
「じゃあ、君はそのじいさんの孫か?」
「まごってなぁに」
「そのじいさんの子どもが君のお父さんかお母さんのどちらかということだ」
「ぼく、親いない」
しまった……そういう事情か。熱で勘も働かない。しかし……この子、どこかおかしい。タオルを絞る力も弱いような、動きが鈍いような……
「熱があるくせに人を診るんでない」
加納が寝ている座敷に本若が入ってきた。
「あんた……さっきの」
「さぁ、あっちへ行って休みなさい。あとはワシが見るからの」
その子供はのろのろと歩き、部屋から出て行った。
「なぜこんな人里離れた場所へ来たんじゃ」そう言って、本若は加納の額にタオルを載せた。
「いや、このあたりに温泉があるって聞いたんで……」
「ここ何日かほとんど眠っとらんな。おまけに時差ボケが治っとらん。どこか別の国で暮らしておっただろう」
加納は驚きのあまり、一瞬言葉が出てこない。
「あんた……なんでそんなことが……」
「おや、おまえさんもその程度のことはわかるのだろう? 尤もおまえさんの能力はワシをはるかに越えとる。今までさぞかし持て余してきたことであろうな」
「……それだけの力がおありなら、なぜさっきの子をほっとくんです」
「あれは治る。だからほっといてるだけじゃ」
「しかし……時間がかかる」
カカカ……と老人は笑った。
「なんで笑うんです?」加納はむっとした。
「おまえさんは実に面白いのう。どうだ、しばらくここで暮らしてみんか。どうせ長い休みでもとっておるのだろう。温泉は入り放題じゃ。ここは源泉かけっぱなしだからの」
「ええ、それはそれは長い休みになりそうですよ。じいさん、あんた力があるくせに語彙力ないな。『源泉かけ流し』の間違いだ」
「どっちも同じようなもんじゃろ」
ロイクはカジノのオーナーと話をするため、オフィスを訪問していた。
「──おまえ、セイ・カノウをクビにしたそうだな」
「ええ、まぁ。彼は優秀すぎてうちには合わんのですよ」
「フン、あいつのせいで売り上げが激減したからクビを切ったのだろう。だが軽率だったな」
「な、何がですか」オーナーはロイクの意図がつかめず、うろたえる。
「売り上げが落ちるなど一時的なものだ。依存症が治ればしばらくは客が来なくなる。しかし、精神が健全になればそれなりに楽しむ余裕が出てくるだろう。どのみち、このあたりはろくなレジャー施設がないんだからな。現に今、もう客足が戻ってきているのではないか?」
オーナーは現在の状況をすっかり言い当てられ、色を失う。
「だが、そんなことは私には関係ない。おまえたちは私から最も大事なものを奪った。残念だが私はここを引きあげさせてもらうよ」
「こ……困ります! あなたは我々のVIPなんですから!」
「──知ったことか!」ロイクは人生で初めて、経験したことのない種類の怒りに悩まされていた。




