2章 5
明人は今までこんなに険しい顔をした隼優を見たことがなかった。咄嗟に明歌の手をとり滑り出す。
三人が出口へ向かおうとした途端、男性たちに行く手を阻まれてしまう。
「おおっと、お待ちください」その中のリーダーと思われる男性が滑り出した明歌たちを両手で止めた。
「鹿屋……明歌さんですね」その男性は生粋の欧米人のせいか日本語のアクセントが少しおかしい。
「あ、あの……?」
「我々はこういう者です」リーダーらしき男性は内ポケットから名刺を取り出す。
名刺には『欧州世界音響研究機関 フロランタン・ポワレ』と記されている。
「なんか美味しそうな名前……」明歌は気のせいかお腹がすいてくる。
「鹿屋さん、我々はあなたの類まれなる歌唱の才能を高く評価しています。あなたはご自分にどんな能力が隠されているかおわかりになっていないと存じます」
ややこしいやつらが来ちまった……と、隼優と明人が目を合わせる。
「いやいや、明歌はかわいいだけで、才能なんてあったためしもないですよ~」
「そうだ、こいつは声は綺麗だが音をはずす。これがあんたらの言う才能か」
明歌は二人の言いようにぷぅっとふくれた。
「あなた方もそうやって我々をかわすおつもりで? さきほど鹿屋さんのご両親にお会いしましたが」
父さんが──なんか言ったのか? 明人は不思議に思った。
フロランタンは明歌にアプローチをかける前に、鹿屋家を訪れていた。未成年の明歌を正式に迎えるには両親の許可が必須だ。事前に電話をかけ訪問のアポをとっていた。
明歌の両親は警戒心のなさにかけては天下一品と言えた。それもあって、家の中では宴会中など知らない人間が歩いていたとしても大して気にもとめない。隼優などは出入り自由で育ち、たまに他の家へ遊びに行くと「この家はどこかがヘンだ……」と感じていた。
しかし、警戒心はなくとも人の裏をかく才能は持ち合わせていた。明歌の父、鹿屋人志はからくり箪笥を作る名人であり、以前、自分で作った隠し引き出しの仕掛けが複雑すぎてわからなくなり、開けられなくなったことまである。
明乃は明歌たちが出かけた後、フロランタン一行を居間へ通す。人志も居間で待機していた。
「鹿屋様、本日の訪問をご快諾いただきまことにありがとうございます」フロランタンは名刺を差し出す。名刺の組織の名称を見て明乃が気づく。
「あら、明歌はお菓子屋さんにでも修業に行くのかと思ってましたわ。違うんですね」
「何をおかしなことを。魚屋だろう、きみは」
人志も明乃も電話では詳しい事情を聞かされていなかったため、フロランタンの名前しか印象に残らなかった。
「申し訳ありませんが、我々は菓子屋でも魚屋でもありません。」
「しかし、それにしてはグルメが喜びそうな名前だ。ご両親がつけられたのかね」
「ええ、でもフランスではよくある名前です」
このままでは話が脱線だ。早く本題に入らなくては。フロランタンは少し焦り、明歌の力について説明を始めた。
「明歌さんの声には人体の免疫を上げるような力が備わっておいでです。しかし、それは何も不思議でもなんでもありません。元々、音楽を使ったセラピーというのは存在していますから。我々は人類の健康のために、お嬢さんのお力を少しお借りしたいだけなんです」
説明を黙って聞いていた人志がおもむろに口を開く。
「うちの娘はワシにそっくりなんだ」
「はぁ……」どう見てもこのたわし顔には似ても似つかないが。
「ワシにはそんな妙ちくりんな力はない。娘にもあるわけなかろう」
「いえ、お嬢さんはお父様とは違います。特別な才能をお持ちなんです!」
「特別な才能ならワシにだってある。ワシはぬか漬けの達人だ。明歌なぞ、教えてやってもちっとも覚えん。あのような平凡な娘は君たちの役にはたたん」
「そうだわ、あなた。よろしければ最近のぬか漬けを召し上がっていただいたら? 今お出ししますね」
そうやって話はどんどん本題から反れていった……
「クク……親父さんらしいな」隼優は笑いをこらえるのに必死だ。
「母さん、またぬか漬け出しちゃったんだ。隼優からも言ってよ。初対面の客にいきなりぬか漬けはないだろって」
「お父さんのぬか漬けってちょっとしょっぱすぎない?」
三人は自分たちが緊迫した状況に立たされていることを忘れそうになる。
その頃、事務所にいる誠の携帯に着信音が鳴った。
「あれっ、隼優から着信だ。──もしもし? おーい隼優、なんで話してくれな……」
誠は着信先の異変に気づく。
「まずい、加納さん! 明歌ちゃんが連れてかれる」
「誠、私の耳では着信先の内容は聞き取れない。君は最後まで聞き取って後から来い」
「海里、いくぞ」
「だって先生、彼らどこにいるんですか」
「スケートリンクだ」
フロランタンは両親の説得に失敗し、何としてでも明歌の協力をとりつけたかった。
「明歌さん、欧州に散在する我々の施設を一度視察されませんか。言語の心配はいりません。我々のスタッフの中には日本人もいますし、私以外にも日本語に堪能な者はいくらでもおります」
説明は至極妥当だが、明歌には何かがおかしいという直感があった。それに一体、自分の力をどこで見聞きしたのか。
隣にいる隼優を見上げる。ああ……隼優も気づいているんだ、とその張りつめた表情から確信する。




