2章 3
明人がプログラミングのコンテストに向けて追い込みをかけていた頃、明歌は加納のサイトを見つけ出し、カウンセリングに通い始めた。──と、言っても実際にはただ楽しく歌を歌いに行っていただけだったが……
結局、明人は初出場で銅メダル。完全に趣味の領域だったので、コンテスト自体には興味がなかったが、知識を定着させるには良い機会だったと言える。
「へぇ、プログラミングのコンテストかぁ。いいけど、おまえ三位ってな微妙だな。手を抜いただろ」隼優は銅メダルの賞状を眺めながら言った。
「何言ってんだよ。隼優こそ、どの大会出てもメダルすらとれないじゃん」
「あー、まぁそうだな。そう考えるとおまえの三位はすごいな。」
「ねぇ、隼優。隼優ってそんなフツーの体格なのに、とんでもない怪力で、僕は世界一の格闘家だと思うんだけど、なんで試合ごときで勝てないの?」
「それは……いろいろ試合中に考えちまうんだ。これやったら痛いだろうな、とかいい成績残したくて相当努力してきたんだろう、とか……」
「それで蹴られたら隼優だって痛いじゃん」
「蹴られることはないが、大抵かわしているうちにタイムアウトだな」
「勝つためには積極的に技を仕掛けたほうがいいんだろう?」
「試合の相手は丸腰だぞ。本気出せるか」隼優は不機嫌そうにむくれた。
「じゃあ一体隼優が本気出す相手ってどんなんだよ!」
「そりゃあ、殺気立ってて、なんか武器を持ってることが多いな。なんかの棒とかさ」つまり反則技らしき攻撃には容赦がない。
「隼優ってバカなの?」
「おまえほどじゃねぇよ」
隼優の奇行とも呼べる行動を空手の師匠は理解していた。試合では絶対に負傷をさせられないが、隼優の場合、相当手加減しても技をかければ相手へのダメージが大きい。子供の頃は手加減の意味もわからず、何人も病院送りにしたことがあり、両親が怪我を負った相手の家へ何度も謝りに行っていたことが隼優の心の中にある種の傷として残っている。
この隼優の怪力が備わった理由のひとつに、空手以外でも少林寺の秘伝などを学ぶ機会があったからかもしれない。
隼優は明人とは違う不思議な魅力を持っていた。世の中には一般人が入れない領域が多々あるが、隼優にはその領域へ入れてもいいと思うような雰囲気がある。数々の格闘家が隼優を懐刀として弟子にしたがること、再三再四だった。
初めて加納の事務所を訪れた日から、明歌の病状はみるみるうちに回復した。半年以上休学していた高校へも復帰し、明人や両親を驚かせた。
明人はある日、明歌にその経緯を聞いてみた。
「明歌、その加納さんってカウンセラー、一体どんな治療をしたの?」
明歌は一瞬、言葉に詰まる。
「え……あの、いろいろ話をしてね、心の問題から取り組むの」
まさか歌っただけで治ってきたとは言えない。
「ふーん、じゃあ次の治療の時、僕も連れてって」
「──え?」明歌はあわてふためく。
「だって僕、そんなすごい治療、聞いたことないし、なんか面白そうだしさ。そうだ、隼優も連れていこう。あいつも心配してるから」
土曜日の午後だったが、事務所には海里も誠も出勤していた。世界中のクライアントを相手にしているため、それぞれが業務の合間に休日をとっている。
「やぁ、よく来てくれたね。君が明歌ちゃんのお兄さんか。そして……」
加納は隼優に目を向ける。
「倉斗──隼優です」
なるほど、これは誠の言う通りだ。この端整な顔立ちと体格では、とても武術に長けているようには見えない。誠が隼優に接触したことは、明歌と明人には隠していた。
「明歌がずいぶん世話になって……なんとお礼を言ったらいいか、それにしても驚いたなぁ」
「何が?」明歌が明人に聞く。
「だって、加納先生がこんなに若いなんて。僕、好々爺みたいなおじいちゃんだと思ってたんですよ~」
「ああ……私の師匠がそんな感じだ。見た目はね。」
中身はとんでもなく手ごわいが。
海里がコーヒーを運んできた。
「僕も驚きました。明歌ちゃんと明人さんのご両親はさぞかし可愛らしい方なんでしょうね~」
「えっ……」明歌と明人は自分たちの父親を思い浮かべ、海里の言葉に絶句する。
「いや、まぁあのおばさんは可愛いが親父さんはどうかな。この二人は母親に似てるように思います」隼優が代わりに説明した。
「そ、そうだね、隼優。──加納さん、明歌がここへ来た時、びっくりしたでしょう」明人が加納に聞く。
加納は一瞬、明人の意図がわからず慎重に口を開く。
「いや、……どうしてかな」
「だってこんなに若くてかわいい女の子が難病なんて」明人は無邪気に笑う。
「に、兄さん!」明歌は恥ずかしくて兄をとがめる。
「──明人。身内に『かわいい』は余計だ。みんなひいてるぞ」隼優も明人のシスコンぶりには呆れている。
「ああ、そういうことか。うん、明人君の言う通りだ」
もっとも一番びっくりしたのは彼女の歌声なのだが……
「加納さん、明歌の心の治療をしてくださったそうですね」
「大した治療はしていない。どんな治療も最後に治すのはクライアント本人の自己治癒力だから」
明人の表情からさっきまでの無邪気さが消えた。
「僕は、一番近い家族ですが……明歌に何か……負担をかけていませんか」
加納は明人の瞳の中に陰りを見る。




