音の花が咲く
「べべべ、別に、諦めた夢をもう一回見直したとか、あなたの言葉が胸にささったとかじゃ、ないんだからね。そこ勘違いしないでね。私はただ友達として一緒にカラオケに遊びに来ただけだからね」
しづくは美咲に向かって、自分でも何を言っているかわからないほど早口で言った。だって、本当のことを言えるわけないじゃない。「もう諦めた」と宣言してしまった私が、彼女の言葉でいきなり「もう一度考え直したい」だなんて、ふざけても言えるわけない。
「ううん、私もそのつもりだよ。だって、しづくの歌上手だし、声すっごく綺麗だもの」
美咲さんは、お世辞がものすごくうまい。その気になってしまいそうになる。
「じゃあ、なに歌おっかな。しづく、先にいいよ」
「え、いや、美咲さんから、どうぞ」
どうやって私の連絡先を知ったのか、わざわざ電話してきて「一緒にカラオケに行って欲しい」と美咲さんに頼まれた私は、仕方なく歌うことにした。最近歌ってなかったからストレス発散のためと、美咲さんの歌を聴くため。彼女の声がどんな音楽の花を咲かせるのかが気になったからだ。
「そう?じゃあやっぱり、最初はmaiさんだよね!私の大好きな曲は、これかな」
そう言って彼女が選んだのは、maiのデビュー曲で、アニメの挿入歌として発売した曲。
すごい。
この曲はアニメの内容と合わせて臨場感溢れる、リズミカルな明るい曲になっている。しかし、その反面リズムがとりにくく、音域も広いため歌うのが難しい曲の代表なのだ。なのに、美咲さんはひとつひとつの音をしっかり押さえて、高い声も低い声も、体全体を使って曲のスピード感を見事に表現している。
すごい。
しづくでも驚いた。もちろんこの曲は大好きだが、私の声は低すぎて、低音は出せても高音が出せない。そのため1人でも歌うことを避けてきたのだ。自分の声の低さを思い知らされるから。
美咲さんの明るく弾むような声にぴったりの曲だ。そして、彼女自身もそれをわかってこの曲にしているだろう。なんて素敵な声だ。
しづくは一曲終わったのにも気付かず、その余韻に浸っていた。
「しづく?どうしたの?次、歌わないの?」
「あっ、いや、歌うよ。じゃあ、この曲…」
「わあ!私も好きなんだよ、その曲!やっぱりmaiさんの歌は全部いいね!」
この曲は、初めて私に夢を見せてくれた曲だ。なめらかな、スムーズなメロディで始まり、明るい調と暗い調が混ざったような、でもまとまっている、というmai自身のデビュー前の苦労を歌った曲。
「すごい、さすがだよ、しづく!やっぱり綺麗だよ!」
「いや、結構音外しちゃったけどね…」
やっぱり、人前で歌うの恥ずかしい…。それが美咲さんが素敵な歌を歌った後となればなおさらだ。
「でも、しづくは高音域は課題だねぇ。逆に私は低音域が課題。2人合わせたら最強なのに」
なに、わかったような口聞いて。それは昔から知ってるよ。出ない声は仕方ない。でも最近の曲はサビを高音で盛り上げるのが主流だから、私には向いていない。
「じゃあ、この曲どうかな。しづくにはすっごい合ってると思う」
美咲さんはそう言うと、勝手に画面を操作して曲を予約してしまった。彼女は歌う気がないのかマイクをテーブルに置いて楽しみだという目をして私が歌うのを待っている。
しょうがない、一曲だけ付き合ってやるか。
これだから一人カラオケのほうがいいのに。自分が歌いたい歌だけを歌って、自分で納得して、課題を見つけて、帰る。それが今までの私なのに。
イントロが流れ出した瞬間、はっとした。
これは、いつも聞いているあのライブでmaiが歌った曲。
アコースティックギターがポロロン、と優しく奏でたと思ったら、そこからどんどん加速して優しいのに力強い、そんな曲だ。
「本当にすごい。聴き入っちゃった…」
美咲さんは、私の歌を泣きながら聞いていた。
それは、ずるいよ。
自分の歌で泣かれたら、それはこうやってたくさんの人に聞いてもらいたい、感動させたいって、思っちゃうじゃない。