進んで、戻って、また進んで
「私は、まだ諦めてないよ」
「なんで、諦めちゃうの?」
彼女は、静かに言った。
しょうがないじゃない。諦めざるをえなかったの。
「何が、いけなかったの?」
言葉の一言一言が体に突き刺さっていく感覚。
「目指してたんでしょう?」
「歌うの、楽しかったでしょ?」
うるさい。うるさい。なんで説教じみたこと言われなきゃいけないの?私が答えないからってしつこいよ。
「諦めたの。私は自分の声が嫌い。だからこうやって話すのも好きじゃないの。ほっといて」
しづくは美咲さんの顔を見るのも嫌になって目を瞑りながら答えた。
「ほっとけない」
掴まれたままの手首と、耳に入ってくる自分より高い、羨ましくて妬ましい声に、感情が爆発寸前まで熱くなる。
「ほっといてよっ。離して!」
「夢を諦めるほど、悲しいものはないっ!!!」
彼女は、いきなり叫んだ。
驚いて目を開け、振り向いたしづくの前には、髪を振り乱して、涙をふりまいて、叫ぶ美咲がいた。
「夢っいうのは、叶えようとしなきゃ叶わないの!!一歩でも前に進もうとしたの?!自分の声をどうにか好きになろうとか、そういうこともしないで簡単に諦めないでよ!!」
彼女の訴えは、しづくを取り囲んだ。
「私は、しづくの声が好きなの。綺麗で、よく伸びる歌声が。しづくが歌ってるとき、すごく気持ちよさそうだった。私も気持ち良くなった。その歌を、その声を、捨てちゃうなんてこの世の何よりももったいない!!」
「好きになってなんて頼んだ覚えはない!私の声は綺麗に伸びてなんかない。私の歌声なんだから、私の自由でしょ?!」
しづくも負けじと叫びかえした。
「maiさんだって、ファンの人に好きになってくださいだなんて言ってない。頼まなくてもみんなが好きになる。しづくの歌も同じ」
「ねえ、もう一度歌手を目指してみない?」
しづくは何も考えずに、掴まれていた手を無理やり振り払って荷物を掴みなおすと、走って教室から出た。
廊下に出たら、後ろの方で先生が走るな、とか叫んでいたけど、気にしなかった。
会って2日の他人に、自分の夢まで決められる筋合いはない。
何が「目指してみない?」よ。自分が歌手になりたいからって、その夢に私まで巻き込まないで。夢は自分で決めるの。
しづくはそう思って家に入った。
悪いこと、言っちゃったかな。
思ったことは絶対に口に出さないようにしてたのに。
図星を突かれて怖くなったから?
一方的に言われてちょっとムカついたから?
違う、内心ではわかっている。
初めて私の声が「好き」とか、「綺麗」とか評価されて、なんて返せばいいのかわからなくなったからだ。
「諦めないで」か。
私はスマホを開くと、いつものようにあの動画を見た。
画面の中でいつもと同じようにmaiが綺麗な声で歌う。
ふと、しづくは机の横の引き出しの1番下の取っ手をつかんで開き、1番奥を探って一冊の本を取り出す。
表紙には、『My song practice note』の文字。
実は「私の」という意味の「my」と、「mai」をかけてつけた名前。
一冊まるまるにmaiの歌の特徴、ボイストレーニングなど、当時歌を何度も聞いて、夜更かししてまで書き込んである。
夢を諦めた時にもう必要ないと思って、でも捨てられなくて、引き出しの奥に封印してあったこれを、今私は再び開けようとしている。
新しい夢が見つかったらこのノートはしっかり捨てて、存在も忘れて、見つけた夢に向かってまた進もうと思っていたのに。私は戻ってきてしまった。
気づくと、夢の中だった。私は大きなすごろくの駒。サイコロをたくさん降ってちょっとずつちょっとずつ前に進んでいると、振り出しに戻るマスについてスタート地点に戻る。また進んで、スタート地点に戻る。また進んで、戻る。進んで戻って……。
「諦めないで!」
声が聞こえた。いつの間にか前のマスに人が立っている。
「前を向いて!さあ!進もう!」
その人は疲れてスタートのマスに座り込んだ私に向かって手を差し伸べる。
私はその手をつかもうと手を伸ばして……
「あっ!」
泡がはじけるように目が覚めた。
ノートを抱きしめるようにして、ヘッドホンをつけたままベッドに寝ている。
「夢のすごろく、か」
そう呟くと、しづくは再び夢の中へ戻って行った。