枯れかけの百合
私が音楽の授業で熱唱したその日の放課後。
1人の生徒が私のところを訪ねてきた。
その生徒、美咲さんは他の人が帰るのを待って私に話しかけてきた。
「あの、しづくちゃん」
やっぱり彼女の声は透明で、みずみずしくて、爽やかな香りがする。
なんだか疲れて椅子でぐったりしていた私は、応答も面倒くさくなって目線で美咲さんに「なに?」と言った。
ふたりだけ残った教室で、美咲さんは何かを言いたそうに、でも言いたくなさそうに悩んでいた。廊下で3人くらいの生徒が私たちを不思議そうに見ながら通り過ぎていった頃、やっと決心がついたのか、迷っていた一言を発した。
「あなたも、maiさんファン、だよね?」
一瞬、「マイ」という言葉を即座に「mai」に置き換えられなくて間が空く。
「あ、やっ、やっぱりいいの、なんでも…」
その間をノーと捉えたか、顔を真っ赤にしながら首をブンブン横に振る美咲さん。
もしかして、この人もmaiが好きなのか。
そう思った私は、美咲さんが諦めて帰ってしまう前に言った。
「……あなたも?」
maiは、一部の音楽好きか、アニメ好きでしか知らないことが多い。あんなに有名になったのに、とイライラしている私はmaiの凄さをわかってもらおうと頑張ってみんなにアピールしているのだが、私の趣味を押しつけるのも良くないかなーなんて考えてしまって、今の所全く成果がない。
何せ、皆アニメは子供が見る幼稚なものとして軽蔑。他人に流されやすい皆は、誰かがいいと言ったJ-POPを人に合わせていい曲だ、という。
私からしてみればそんなのは好きだなんて言えないと思うのだが、みんなは人に合わせることの方が大事らしい。
とにかく美咲さんはmaiを知っているらしい。それが、私の好きな「mai」と同一人物であるかは別として。
私の返事を聞いた美咲さんは途端に大きな目を輝かせると、音楽室で私に話しかけたぐらいの声の大きさで答えた。
「うん!!」
ここで、ひとつ疑問が生じた。
美咲さんは転校2日目で、私と話したのも今日が初めて。maiを薦めていたのは1週間くらい前の話だから、この人が私のmai好きに気づくすべはないはずだ。
「なんで、わかったの?」
勇気を出して聞いてみると、彼女からは驚きの返答。
「歌い方だよ」
歌、とはもちろん今日の授業のことであろう。しかし、歌い方なんて意識した覚えはないな。
「歌う時の立つ姿勢、さりげないブレスの位置に、一言一言はっきりした発声まで。あとは、歌ってる時の表情、とか。全部maiさんみたいで美しかったよ。一瞬見たときね、ビビッときちゃったんだっ!」
「__なっ!」
しづくは唖然とした。
まさか、と思って今までを振り返る。
maiが動画であげていた発声練習を繰り返し見て勉強した発声法は、確かに似ているかもしれない。ブレスの位置は、ライブの映像を見ながら「どこで切ったら歌いやすくて歌詞が伝わるか」を無意識に考えてしまった。立ち位置や表情は故意に似せたつもりはないが参考にはしたかもしれない。
そうだとしたら、それに気づいた美咲さんは私以上にmaiを見ていることになる。
「やっぱり、そうなんでしょ?」
彼女の口は止まることを知らない。
「私も一時期そうゆうの、あったんだ!頑張ってあれこれ研究して、追っかけまがいのこともやったし、動画は欠かさず見てた。しづくちゃんも、そうなんでしょ!ね、今までで1番好きな曲何?私はね、「one step」かな。あの曲はすっごい勇気もらえるもん!」
美咲さんは、混乱する私なんて置いてけぼりにしてどんどん進んでいく。
同時に、納得していた。
私が初対面の美咲さんを「maiに似ている」と思ったのは、彼女自身がmaiを愛しているからなんだな、と。
「あ、ごめん、私ばかり喋っちゃって。悪い癖なんだ、しゃべりだしたら止まらなくなっちゃうの。それが大好きなことについてならなおさら、ね」
うっとり、聞き入ってしまうような話し方をする人だ。美咲さんは、いいな、声が綺麗で透き通ってて。
「歌い方も熱心に研究してるなんて、さすがだね。真面目そうな顔してるもん。やっぱり、歌手とか目指してるの?」
気軽のそう言われて、少し悲しくなった私は、苦し紛れに答えるしかなかった。
「……目指して……た」
嚙み殺すような私の返事に、また美咲さんは明るく答える。
「思った通り!私もそうなんだ。あんな綺麗な歌うたって、みんなに憧れられて。初めてもった夢がそれだもの。しづくちゃんの歌い方に気づいたのもそのせい__」
「もう、その話はやめてよ」
私は自分でもわからないままに彼女の話を止めた。
「もう、無理なの。諦めたの。だから、もうその話はやめて」
人に向かって、こんな強い口調で物を言ったのは初めてだった。
「しづくちゃん……」
当然ながら美咲さんはとても困った顔で、絶望に満ちた顔で私の方を見ている。
せっかく見つけたmai仲間だったのに。
向こうから声をかけてくれたのに。
私はなにをしてしまったんだろう。
私は目に浮かんできた涙を隠すようにうつむくと、荷物を持って教室を出ようとした。
途端に、腕を掴まれた。
美咲さんが、何か訴えるようにこちらを見ていた。
「私は、まだ諦めてないよ」
その一言は、私の心に深く刺さって、抜けなかった。