歌い出したら止まらない。
歌うことは好きだ。
歌っている間は全てを忘れられる。歌を聴いている時も、全てを忘れられる。
でも、学校では歌えない。
自分の声が嫌いでもともと歌おうとしていないこともあるが、1番大きいのは他の人の歌が混ざることだ。
2歳からピアノを習っているしづくは、音程の正しさには自信がある。だから、他の人が自慢げに違う音程で歌っているのを聞くと、歌いたく無くなってしまう。
1人で歌う歌手だったら、他の人なんて関係なしに、自分の音だけを聞いていられるのにな、と思う。
でも、歌手になるなんて私には無理。
声の汚い私には、学校ですら歌えないただの恥ずかしがり屋がお似合い。
これから、歌のテストがある。
もちろん歌わない。歌えない。
自分の声なんて、聞きたくない。
そう思っていたのに。
__もう、耐えられない。なんで皆こんなに雑に歌うの?
練習では声がバラバラで、まともに歌とは言えないほど。
__歌を作った人に失礼だと思わないわけ?
ぷつんと音が聞こえた。
頭の中で何か大事なものが切れてしまったみたいな音。
__だめだ、だめだ、だめだ。
心が、歌いたいと言っている。
歌わなきゃダメだ、と叫んでいる。
「茅﨑さーん、次ですよ!」
とうとう、先生に呼ばれてしまった。
「しづくちゃんすごーい!!」
「歌上手いね!」
「なんでそんなにうまく歌えるのー?」
結果、歌い出したら止まらなかった私の声を、みんなが聞いていた。
半分、いや、ほとんどがお世辞だ。私は歌が上手いんじゃない。音を正確に取れるだけ。正確に歌うだけなら、うまいとは言えない。
上手いといえるのは、maiのように透き通った声と伴奏がしっかり絡み合って、二つの音がひとつになった時だけだ。
その時、音楽室のざわざわが少しだけ収まった。先生が怒ったのかもしれないと思って顔を上げたしづくの前にいる人。それは怒った先生ではなく、しづくと同じ生徒、クラスメイトだった。
「声、綺麗だね!」
私の歌声よりも、みんなのお世辞よりも大きな声で言ったのは、昨日転校してきたばかりの日向美咲さん。
まだクラスに全く馴染めていなくて、みんなが一瞬で静かになったのはみんなが彼女のことが嫌いだから。自己紹介もせずいきなり教室に入って席に座り、本を読み始めた彼女は、早くもクラスで仲間はずれにされているらしい。
それよりも、大事なのは彼女の言った言葉の方だった。
声が、綺麗……
私は長い人間観察歴の中で、人が嘘を言っているか本音を言っているか、だいたいわかるようになっていた。しかし、彼女の顔からは嘘の感じが全く見受けられない。
「え…」
ぽかんとしたまま動かない私に向かって、美咲さんはニコッと笑うと首を少し傾けた。
「声、綺麗だね。私、聴き入っちゃった!」
周りの冷たい視線に負けないほどの温かい笑顔で、凝り固まった私の心が解きほぐれていく気がした。
「日向〜。そろそろ座れ」
先生に注意されても、
「はーい」
美咲さんはそのペースを崩そうとしない。
まるで、maiのようだと思った。
周りに流されない、自分を持っている。
でも、違う。私の声は綺麗じゃない。汚くて、雑で、ガサガサしている。それに、他の人より低くて、美咲さんの声のように明るくもない。
そんな風に割り切って忘れたはずなのに、そのあとの授業内容は、全く頭に入らなかった。
私は一生忘れない。
自分の声を綺麗だと言ってくれる人がいたことを。