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4.一難去って

 一瞬の沈黙。そして直後、琴葉の目が大きく見開く。


「え、ええええぇぇぇぇぇっ!?」

「ぎゃぁぁああっ!? どうしておまえがそのこと知って……って何で今暴露したんだそれ!」


「しかも雄也の初恋の相手は当時小学校の担任だった40代後半のおっさんなんだぜぇっ!」

「ええええぇぇぇぇっ!?」

「さらにさらに今でこそ普通の友達だが、雄也と達彦が出会ったきっかけは雄也が()()()()()()()アプローチを仕掛けたからなんだぜぇっ!」

「な、なんですとーーーーっ!?」

「ぶっっっっ殺すぞ貴様ぁぁぁぁああああっ!」


 突如雄也が殴りかかってくるが、何とかかわして羽交い絞めにする。どうせ今の発言は僕が思いついた即興の大嘘だ。あとで誤解を解けば雄也の興奮も冷めるだろう。


 だからここで意味があるのは話のネタではなく、それに対する琴葉の反応。彼女は僕の発言を真に受けたのか、驚愕の面持ちを示していた。

 それはすなわち、



「わわっ、なになに!? なんか目からヘンなモノがあふれてくるよぅ!」


 まさに『目から鱗が落ちる』事態だったわけだ。



 瞳からポロポロと零れる鱗に、琴葉はうろたえた様子で立ち往生していた。

 その隙は次の行動を起こすのに十分な時間を僕に与える。


「今だっ! 窓を開けろ雄也!」

「くそっ……てめぇ、あとで覚えてろよ!」


 雄也を突き飛ばした際、殺意的なものを感じたが今は瑣末なことだ。僕は卓上コンロの土鍋を持つと、すばやく琴葉の足元に置いた。

 そして禁断ともいえる土鍋の蓋を、一気に開けた!


「いっけぇぇええっ!」


 瞬間、土鍋からブツ切りの鴨肉達が一斉に飛び出した。



 天使のような羽を生やし、縦横無尽に宙を舞う鴨肉達。やがてそれらは窓の外へ、渡り鳥のように大空へと駆けていった。その姿は雄大で、糞汁まみれの肉片とは思えないほど……美しかった。


 その芸術的な一幕に、琴葉と雄也はあんぐりと口を開けていた。おそらくあまりの華麗さに見惚れていたのだろう。

 そんな中、僕だけはシュールさ……もとい、美しさに心を奪われることなく、ただ一人ガッツポーズをとる。



 そう、これぞ秘技『足元から鳥が立つ』っ! 



 加工品にもことわざが有効なのはすでに豚肉のときに分かっていた。そこから着想を得た今回の作戦、どうやら見事的中したようだ。


 そんなわけでミッションは無事完遂。僕は土鍋をコンロに戻すと、固まる二人にも声をかけた。


「ごめんねドタバタさせちゃって。二人とももう座っていいよ」

「……ハッ! そうだお鍋お鍋!」

「何だったんだ今のは……? って健斗、糞鍋の処理はどうしたんだ?」

 琴葉はうきうきと、雄也は釈然としない様子で各々席に着く。

 が、鍋を覗きこんだ直後、二人の表情は一変。同タイミングで驚きを示した。


「あれ……? おなべのスープが透明になってる……」

「糞の臭いも消えてるぞ……。一体どうなってんだ?」

「さて、どうしてだろうねぇ……」


 二人の注目を受けるも、素知らぬ顔で窓の外を眺める僕。外はいつのまにか晴れ間がさし、冬の太陽が積もった雪を溶かし始めていた。



『立つ鳥跡を濁さず』。

 それが今回の作戦の切り札だった。



 自由を得た鴨肉達は巣立つ直前、鍋のスープを浄化していったのだ。それはまるで青空のように澄んでいて、見ているだけで僕の心まで洗われているような気分に――


「なあ健斗。作戦成功はいいが、カーペットが大変なことになってるぞ」

「うぅ……分かってるよ、ちくしょう……」

 目をそらしていた現実を雄也に突きつけられ、思わず涙が込み上げてくる。


 結局、鴨肉達が浄化したのはあくまで鍋の中だけで、飛び立つ際にこぼれた飛沫はそこに含まれないらしい。その結果カーペットとこたつ布団は一部糞まみれに。部屋や台所に染みついた臭いも取れずじまいと、悲惨な状況であることに変わりはなかった。


「何か作戦は成功したけど……代償でいろんなものを犠牲にした気がするよ……」

「……そうだな。いろんなものを犠牲にしたな」


 僕の呟きに同意するように、雄也も深く嘆息する。なぜ雄也まで落ち込むのかはわからなかったけど。コイツはコイツで何か支払った代償があったのだろうか。



「もう二人とも、なにどんよりしてんのさ! 早くおなべ食べようよー!」

「ああ、ごめんごめん。それじゃ食べよっか」


 琴葉の言葉ではたと我に返る。

 そうだった。僕らがここまで頑張ったのは楽しい鍋パーティを守る為だったじゃないか。それなのにこんな暗い面持ちのままではまるで意味がない。ここは無理にでも気持ちを切り替えて、精一杯楽しもう。



 食卓に笑顔が戻ったところで、三人でいただきますと手を合わせる。その後はもう自由気ままだ。思い思いに好きな具材をとり、自分の器へと移して食す。

 もちろんその鍋にメインの肉はなく、スープも味噌の味はしなかった。でも野菜や肉から出たダシが効いていて、塩鍋としての出来は最高。会話も弾んでいるし、最終結果だけ見れば今回の鍋パーティは成功といえた。



 それはよかったのだけれど……


「どうしたの二人とも? あんまりおはしが進んでないけど」

「いやまあ……琴葉は気にしないで」

「俺達ちょっと腹いっぱいでな。はは……」


 琴葉がいる手前、一応口は動かしているけれど……。正直、あの凄惨な汚物状態を知っている僕らからしたら、食欲はあまり湧かなかった。


 ただ一人、琴葉だけが嬉しそうに鍋を食べ続けていた。その隣で雄也と二人、呟きあう。


「いいよなぁ琴葉は。僕も純粋に楽しみたかったよ……」

「そりゃあ彼女からすれば何も事件はなかったわけだからな。『知らぬが仏』ってやつだ」

「あはは……、まさにピッタリなことわざだねぇ」


 乾いた笑みを浮かべたのち、またもため息をついてしまう。ため息をすると幸せが逃げるなんて言うけど、琴葉と一緒だと一体いつ幸せがやってくるのやら。なんて――


「……あ」

「? どうした健斗?」

「ねえ雄也……いま琴葉のこと、なんて言った?」

「あ? だから『知らぬが仏』だっ、て……」


 瞬間、雄也の顔がみるみる蒼白に染まっていった。

 たぶん、僕も同じような顔をしていたと思う。

 嫌な予感が脳内を駆けめぐり、二人そろってギギギッと、錆びついたロボットのように琴葉の方へと顔を回した。

 そこに座っていたのは、純粋無垢な少女の姿ではなく、




「…………ゴータマ」

「…………シッダールタ様、ですと?」



 神々しき後光を放つ、それはそれは慈愛に満ちた仏様がいらっしゃった。



「…………」

「…………」


 二人そろって、ただただ無言。リアクションなんてものはない。唖然、呆然、愕然。それらを足して三倍したような沈黙が場を支配する。


 だって、想像してみてほしい。



 ついさっきまで笑顔でご飯を食べていたゆるふわ系の幼馴染み女子が、ふと目を離した隙に黄金に輝く螺髪のインド人と化していたのだ。



 ……いやホントこれ、どう反応するのが正解なのさ! 神様、いや仏様。一体僕にどうしろというのですか……!


『すべてを受け入れるのです、健斗よ』

「答えてくれた!?」


 目の前の琴葉だった方からありがたいお言葉を授かりました。


 しかも僕の思考を読むだなんて……まさか琴葉は本当に仏様に……!


『世の中は……えーと、なんかコロコロ変化するものだから気にしちゃダメってどっかのお経に書いてあったよ、たしか』

「でも説法に知性の欠片もないっ!」


 ぐだぐだだった。やはり母体が琴葉(バカ)な分、完全な仏には成りきれなかったのだろうか。

 仏様でさえ直せない頭の悪さとは……うーむ、琴葉恐るべし。


「って冗談言ってる場合じゃねえだろ、健斗!」

「そ、そうだった!」


 雄也の言葉でハッとする。

 確かに知性は琴葉レベルでも見た目はれっきとした仏様。仏教徒の方々には大変ありがたい状況かもしれないが、幼馴染みとしては……何というか、複雑だ。正直一刻も早く元に戻したいし、そもそも親御さんに「琴葉はお釈迦様になりましたよ」だなんて言えるわけがない。


「で、でもどうすれば……早くしないと頭まで完全に仏化しちゃう!」

「だから手遅れになる前に、とっとと行動しろっつーの!」

 雄也は僕の襟首を後ろから掴むと、ずかずかと廊下に向かって歩き出した。

 抵抗する間もなく、無理やり床の上を引きずられる。


「い、痛い痛い! ちょっと雄也、どこ行くのさ!」

「はぁ? 台所に決まってんだろ。つべこべ言わずおまえも手伝え!」

「いや手伝えって言われても、何をするつもりだよ!」

 訳が分からない。これから琴葉を元に戻さなきゃならないのに、どうして台所に行く必要があるのだろう。


「何だ健斗、まだ気がつかないのか? おまえらしくない」

「気がつかないって、何に?」

「琴葉ちゃんを戻す方法だよ。簡単なことだろうが」

 雄也も相当焦っているのか、僕への言葉に苛立ちが見え隠れしていた。

 それでも一向にピンとこない僕に対し、雄也は吐き捨てるように答えを言った。


「『仏の顔も三度まで』ってことわざがあんだろ!」

「……え、それって……」


 その言葉で、僕はすべてを理解した。

 それはつまり、


「あの糞鍋をあと二回作れば琴葉ちゃんも元に戻るはずだ!」


 あと二回、僕の部屋を糞の臭いで満たし、鴨肉で糞汁を飛び散らせるということを意味するわけで。




「かんじーざいぼーさつ、ぎょうじんはんにゃーはーらーみったーじ――」

「やべぇ! ついに琴葉ちゃんが般若心経唱え始めた! 急げ健斗!」

「いやぁぁああやめてぇぇええっ! これ以上僕の鍋を、カーペットを、部屋を汚さないでぇぇええっ!」



 雄也に引きずられながら、僕は願った。



 もしあなたが彼女――彦根琴葉と友達、ご近所さん、あるいは恋人になりたいなら。

 ……やっぱりことわざ辞典なんて暗記しなくていいから、早急に琴葉を引き取ってくれませんかねぇ。

 いやマジで。


※この物語は葱を背負ってきた鴨の捕獲・調理を容認・推奨するものではありません。

現実で野生の鴨を許可なく調理すると動物保護団体等にブチ切れられますので決してマネしないでください。

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